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追悼・70年代の後半にピヴィレヌというバンドがあって、好きだった。

70年代の後半にピヴィレヌというバンドがあって、好きだった。ロッキングオン誌面でレビューを書いたことがある。コンセプチュアルなバンドで、ステージの上のスターと観客席の観客という構図を否定して、ステージの上から観客席に向かって「キャー、ステキー!」と叫んで回ったというような噂が流れてきた。名古屋のエルあたりを拠点にしていたので、ステージを見たことはなかった。

メンバーの水野マコトとはいろいろ交流して、バンドをやめる時、僕の持っていた写植機スピカをあげた。一番カッコ良かったヒコちゃんとは一度だけ飲んだことがある。ピヴィレヌ解散の後も、ヒコちゃんは原爆オナニーズのバンド活動や、名古屋ロックシーンで頑張っていたみたいだ。

昨年だったか、突然ヒコちゃんから連絡があって、東京に行くので会いたいと。最初に会ってから30数年も音信不通なのだが、「昔、橘川さんが原稿を書いてくれたことが嬉しかった」と言われた。年を経て、もういちど、バンド活動を再開するのでと、音源をくれた。ヒコがどういう歳月を過ごして来たかが分かるような、プログレッシブな音だった。Facebookでは、その後の活発な活動状況が見えていた。

僕が結膜炎で寝込んでいる時、薄目で見たメールフォルダーに、水野くんからのメールがあり、ヒコが死んだと。発症して3ヶ月でガンで亡くなったと。なんとも、唐突な引き際である。僕に会いに来てくれたのは、何かの予感だったのかも知れない。瞬間的に出会って、そして瞬間的に別れるしかない人生のはかなさに、僕は何度も打ちのめされてきた。人の生死など、ロシアンルーレット。かろうじて生き延びた者は、生き続けていくしかない。ご冥福をお祈りいたします。合掌。

みんなのうた/ピヴィレヌ

▼80年頃、新宿あたりで飲んだ時のヒコちゃん。



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