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尾原 和啓(アフターデジタル副著者)君との対話

*ちょっと最初のところが橘川のマシンの調子が悪くて音量低いのですが、現在、友人に調整してもらっているので、なおったら変更します。とりあえず現状で公開。

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「参加型社会宣言」を刊行したが、書き終わったところで、猛烈に執筆意欲が爆発して(笑)長いあとがきになってしまった。そして、入稿したあとも、まだまだ書き足りないところや、新しく発見したり思い出したりするネタが日々の生活の中で沸騰して、体力もたない(笑)

読者との対話も進めている。ここでも自分自身に新たな発見がある。

「参加型社会宣言」橘川幸夫との対話シリーズ
第一回 為本吉彦(株式会社三菱総合研究所 主席研究員)


「参加型社会宣言」橘川幸夫との対話シリーズ
第二回 久米信行(iU情報経営イノベーション専門職大学教授)

以上は公開済みだが、昨晩、尾原和啓くんとZoom対話をした。

 私には、学生時代から、なぜか「橘川の弟子だ」という人が現れたりする。雑誌をはじめて、メディアを通して「自称弟子」という人が現れたりした。血気盛んな頃は、「オレは弟子とか師匠とかいうタテの関係を否定しているのに、それが分からないのか」と、師弟関係を拒絶してきた。40代になり、そういう意識が変わってきた。自分の子どもが思春期を迎えた頃からだろう、親である私も変わってきた。メディアを通しての関係を目指しているなら、社会的な子どもたちと関係もあってよいのではないかと思った。まあ、いわば、弟子を認知した(笑)。

 自分の40代は1990年代である。1950年生まれなので実年齢と時代の変化と組み合わせやすい。40代になって、はじめて、「弟子」を認めた。3人だけだ。しかも、それは、こちらが勝手に「おまえは弟子だ」と告げただけで、言われた本人も怪訝な顔したり、「そんなのじゃありません」と、流石の反応をする奴もいた。50代になると、自分の人生は一回、終りだから、次世代に私の経験をすべて渡すと、公式弟子登録システムまで作った(笑)。今は、多くの弟子に助けられている。

橘川弟子登録(登録してない人は、勝手に弟子を名乗ってはいけません(笑))


 90年代の3人の弟子の一人が故・信國乾一郎である。信國は、リクルートが一番おもしろい時にいて、「じゃマールOnline」を作った。僕の事務所から、「ポンプ」のバックナンバーを全巻もっていって、編集部で分析していた。私の、葬式の実行委員長として全部を仕切ってくれると言ったのに、若くして亡くなった。

追悼・信國乾一郎くん

元リクの友人たちと信国乾一郎

 信國は、リクルートの鬼っ子みたいな存在で、いつも問題を起こしていた。それでも彼の実力を知る人は、彼を慕った。信國が、リクルートに二人の弟子があるとして紹介してくれたのが、一人は、村井満さんだ。現在は、Jリーグチェアマンとして活躍しているが、当日はリクルートエージェントの社長だったが、年下の信國を師匠と呼び、定期的に指導を受けていた。そしてもうひとり「橘川さん、リクルートにすごく優秀な男がいるので、会ってください」と何度か言われたが、じっくり話す機会がなかったのが、尾原和啓くんである。リクルートを離れたあとも、ビッグカンパニーで思う存分に実力を発揮してきた人だ。橘川にとっては、弟子の弟子、孫弟子ということになる。

 そういう彼なので、私としては、どうしても対話するというより、信國乾一郎と話している気分になってしまった。当時も、日々、いろんなことを思いついては、信國と会うと、すぐにそのネタを聞いてもらった。私には、そういう人が必要なのだ。

 昨日も、日中、いろいろ思いついてメモしたことを、対話の中で話した。ひとつは、「近代そのものが巨大なバブルであり、それがはじけつつあるのではないか」という仮定。これは80年代日本バブルや、リーマンショック、中国バブルのようなものではなく、根本的なバブル崩壊なのではないか、ということ。大量生産モデルは、不要なものまで生産するわけだから、泡だな。

 そして、もうひとつ日中に思いだしたのは、私が学生時代に、ある理由で悩んでいて、辛い日々があった。「ああすればよかった、なんであんなことしたんだ、オレは駄目だ」というような自責の念に苛まれていた。その時に、なぜか、その「悩んでいる自分」を観ているもうひとりの自分の存在に気づいた。そのもう一人の人間は悩んではいなくて、こういうことを思っていたのだ。「悩むって、結構、創造的な行為なんだな」と。そうか、悩むって、自分の力で、いろいろ想像するわけだから、クリエイティブなことなんだな、と理解したことがあった。そのことを思い出し、尾原くんに伝えた。

 ということで、バーチャル信國である尾原くんとのZoom対話は、あっという間に終わったのだが、なんか、私の言葉に対する受け止め方や、面白がるポイントが、信國と同じなので(笑)不思議な感じだった。ツボが一緒なんだ。また、しばらくしたら、やりましょう。

 ありがとうございました。

1-表紙案_R2_ページ_1


追伸
90年代の3人の弟子には、ひとつだけ同じことを言っていた。「小説を書け」と。一人は小説家になり、いつか私を驚かせてくれる作品を出してくれる約束(笑)していて、一人は、ある賞を受賞したが、今は、ビジネスに忙しいみたいだ。信國にも、よく「おまえ小説を書け。特に恋愛小説だ」と言い続けたが、いつも苦笑いをしていた。尾原くん、小説を書け(笑)


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