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情報化社会における師匠と弟子(3)

 戦後社会の最大の意味は「家」の崩壊である。それは同時に「個人」の誕生であった。それは、戦後というよりも明治維新にはじまった近代化による「村」の崩壊と「都市」の勃興という構図と相似形である。

 「村=家」の時代は、人の生き方や目的は個人が考える必要がなかった。自分の外側に大きな価値観があり、掟があり、約束事が無数にあった。人は、代々つたわる地域や家の決まり事に従って生きていればよかった。

 明治社会はアメリカから訪れた黒船の艦長によって近代化がはじまり、戦後社会は飛行機から降りたコーンパイプの将軍によって個人化がはじまった。近代化=個人化は、彼らの理念であり宗教である。

 僕たちは戦後社会の流れの中で、徐々に個人になっていった。個人とは確かに素晴らしいものである。村や家の掟に縛られて窮屈な思いをしてきた若者が、都会に出て、自分の行動を自分だけで決められるという自由と開放感に感動したように、個人という立場と欲望は、戦後社会を大きく成長させた推進力になったのは間違いない。

 しかし、個人の自由とは、同時に孤独なものでもある。それまでは、周辺の約束事に従っていれば一生が決められていたものが、すべてを自分の判断で進めなければならない。自分のことは自分でしなさい、という学校の要求も厳しいものであった。

 かつて、桜田淳子というアイドルがいて、彼女は、統一教会に入会して合同結婚式をあげた。その時に彼女は「結婚相手なんて、自分では決められない」と言ったのである。彼女の生まれた東北・秋田の村では、結婚は、親や周辺のアドバイスで見合いしたりして相手を決められていたのだろう。自由恋愛は、戦後の個人主義の最もダイナミックな成果であるが、しかし、それは肉体に染み付いている本来の村人の意識からすれば、恐怖に近いものであったのかもしれない。カルトと呼ばれる多くの戦後宗教が、戦後社会の中で「擬似家族」「擬似共同体」を作り、絶対的な教祖の下で家父長制をデザインした。頭脳明晰な人間たちが、自分で自分の行動を選択することに疲れはてて、第三者の指示を絶対化してしまったオウム真理教のことを、僕たちは忘れてはいけない。そこに至る、戦後個人の精神の軌跡をしっかりと見るべきだと思う。そして、新しい師弟関係を創ることが出来ず、旧来の家父長制の構造をそのままスライドしてしまうことの恐ろしさを思い知るべきだ。

 僕たちは、個人という新しい飛躍の羽を得たが、それは、ふと見ると、幻の羽かもしれない、という不安を内在している。選べる喜びと、選ぶことの自己責任の重圧に、人は押しつぶされているのではないか。

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