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探偵になるまでの2,3のこと ⑩

三 犯人

 

若い者のあほらしい色恋も、ばかにならぬと思い知る。

                           『犯人』太宰治

 

 一晩中、奥田巡査が「灰色の一戸建て」にいてくれた。仮眠をとったと思うけど、ほとんど休んでいなかったかも。

朝になって二階の寝室から降りたぼくは、リビングのソファでウチの固定電話をにらんでいる奥田巡査に声をかけた。

「おはようございます」

 眠そうな疲れた表情で奥田巡査は軽く手をあげて「おはよう」とうなずいた。

固定電話には警察から持ってきた色々な器具がつないである。たぶん、探知機とか録音機とかだ。

 着替えて顔を洗い、リビングに入るとぼくは改めて奥田巡査にお礼を言った。

「一晩中見張っててくれたんですね。ありがとうございます」

「今日はどうするの?」

「……登校するか、休むか、迷っています」

「えっと、六年一組だよね?」

「はい」

 うなずいてから思い切って聞いてみた。

「ぼくが家にいた方がいいですか? 母さんが誘拐されたとしたら……犯人から電話があったとき、ぼくが取らなきゃならないし。……でも、大人を誘拐って変ですよね? ドラマなんかでは子どもが誘拐されて、お金を要求されるのが普通だけど……」

 奥田巡査は「普通かぁ普通はねぇ」と頭をかいた。

以前、服部警部補にたしなめられ、自分のことを「不謹慎でした」と認めていた奥田巡査だ。だからちょっと踏み込んでみた。

「警察は誘拐を疑っているわけじゃないんですよね?」

「ううーん、少なくとも身代金要求の誘拐とは違うと見ているよ」

「じゃあ、この家を無人にするための呼び出し電話だったんだ」

「は? 君、そんなこと考えてたの?」

 ぼくはうなずいた。

「たぶん、母さんとぼくが二人でチャンスマートまで来ると犯人は考えていたんじゃないかなって思うんです。でも、母さんはぼくに留守番させた。母さんを迎えにぼくが家を出たから、やっと侵入したんじゃないかな……」

 奥田巡査が目を丸くしている。ぼくは続けた。

「だから、いまだに犯人がここを見張っているとしたら、ぼくが普段と違う行動をとれば不審に思うかもしれないし……。そう考えると小学校へ行った方がいいかもしれない」

 

 昨夜、ぼくは服部警部補に電話した。

 母さんが「黒田圭子」を名乗る女に呼び出され、そのまま帰ってこないこと。

 ぼくがチャンスマートへ迎えに行っている間、何者かが自宅に侵入したらしいこと。

 玄関先に香水の香りがただよっていたことを。

人目を引くのを遠慮したのか、パトカーじゃなく普通の自動車で服部警部補と奥田巡査が来た。

十時半まであちこち写真を撮ったり調べたりしてくれた。散らかったリビング、母さんが酒浸りだった名残の洋酒のビン。たまった洗濯物。そういう部屋を見られたのは恥ずかしかった。

父さんの自室にあったノートパソコンを回収し、服部警部補は引き上げた。

 誘拐の可能性から、固定電話は逆探知できるシステムにつながれ、奥田巡査が警戒のために居残ってくれたんだ。

 

 玄関のインターフォンが鳴った。

奥田巡査が出て、四十歳くらいの知らない女の人を連れてリビングに戻って来た。女の人は手に下げたエコバックをちょっと持ち上げた。

「おはよう、君が良真くんね? わたしは生活安全課の巡査、笹野です。車を使って目立つといけないから文星小前のバス停留所で降りて、そこのコンビニでお弁当買って来たの。朝食に食べて」

ぼくが返事をするまでに、笹野さんは弁当を取り出してリビングのローテーブルに置いている。

「何が好きか分からないから、卵サンドとココア、ビスケットとサラダ……。適当に買って来ちゃった。あ、もちろん奥田くんのもあるよ」

 ちょっとあごが四角いせいか厳しい印象の人だけど、ぼくを寛がせようと笑顔を浮かべていた。

「わざわざ……ありがとうございます」

 警察の人たちが出入りして、また知らない人が現れた。

いまいる場所も自分の家じゃないって気がする。むやみにお礼の言葉ばかり口にしていることで、余計自分がみじめに思えた。こんな気分で自宅にいるより、何もなかったふりをして登校した方がいいかもしれない。少なくとも、クラスには緑川さんがいるし……。

奥田巡査と笹野巡査は気安い調子でおしゃべりしていた。

「じゃ、笹野さん、あとよろしく。おれ帰って寝るよ……ってわけにはいかないよね?」

「ええ、任せてください……ってわけないでしょーが!」

 腰に手を当てて胸を張り、「わはは」と大きな口を開けて笹野さんが笑う。署ではいつもこんな風なんだろうな、たぶん。

「朝食食べながらだって電話番できるでしょ。奥田さんはわたしとペアで数日ここに待機だから」

「だと思ったよ……」

「さ、二人とも食べて食べて」

 やや強引にぼくらを座らせた。「いただきます」と言ってサンドイッチを包んでいるセロファンを取った。もぐもぐとサラダを口に運び、ココアをのどに流し込んだ。

 固定電話はひっそりとしている。

「小学校では楽しく過ごせているの?」

 気さくな調子で笹野さんが問いかける。目にはぼくへの同情と好奇心の光りが宿っていた。

「まあまあです……。あの、交差点のカメラとかで母さんを確認できたんでしょうか? 誘拐の線で追っているんですよね? 犯人から電話はありませんし、ぼくんチはお金持ちじゃないからもちろん身代金目的じゃない。勤務先で父の部下って言うのかな……係長の黒田圭子さんからの電話で母は呼び出されたんですけど、黒田さんはなんと言っているんでしょうか?」

「ずいぶんたくさんの質問を一度にするね。……さて、わたしが応えられるのは『いますべてを捜査中』ということ。それにしても、香水の匂いによく気づいたわね? 重要な手がかりだよ。お手柄だわ」

 あやしておだてて黙らせようとしているんじゃないかな。そんな疑いを持った。人を疑うことへの罪悪感も胸を重くした。

「近所に『山田』って表札の家があって……。ぼくはそこで同じ香水の匂いを嗅いだ気がするんです。でも、もしかしたら、鼻がいかれちゃって玄関先で同じ匂いを嗅いだ気がしただけなのかもしれません……」

「香水? おれは気づかなかったけど」

「奥田さんは鼻炎でしょ。あとでわたしも確かめてくる。この鼻でね」

 笹野巡査は自分の鼻の頭を指先でつついた。

「まあとりあえず、君は警察の捜査進展を黙って待っていなさい」

 テレビをつけると「台風十一号が上陸」と告げている。強風高波に警戒を、と報じていた。

 窓の外では空が暗い。風もあった。

 

七時に、ぼくはいつも通りランドセルを背負って玄関を出た。

文星小学校の校門が見えたころには強い風が校庭で砂埃を舞いあげていた。

国語、図工、音楽の授業があり、先生から「強風のため外の体育の授業は取りやめだ。代わりに体育館で縄跳びをするぞ」と宣言された。みんなは抗議した。「え~外でドッチボールじゃないのかよ」「こんな風、どうってことない」と男子は騒ぎ、女子は「縄跳びなんてヤダ」「体育館ならバスケだよね」と文句を言った。

同じクラスの中で、どれくらいの人がぼくの違和感を共有できるだろう。

昨夜、父さんの書斎からノートパソコンが警察に回収されたなんて信じられない。

もしネットで騒がれている情報が本当で、父さんが「犯人」だとしたらどうしよう。その証拠がノートパソコンにデータとして残っていたら? いままで警察が家宅捜索もしなかったのは、その可能性が低いと判断していたからじゃなかったのか?

だいたい、昨夜ウチに侵入したのがドロボウなら、パソコンを盗んで行ったはずじゃないだろうか? でも盗まれてはいない。警察が回収していったんだ。

ぼくが体験したことを全部ウソだと決めつけられてしまうかもしれない。ネットで父さんが犯人だと断定されているように。

 もうこれで、誰からも信じてもらえなくなるのかも。

 助けの手を差し伸べる人も、親切を示す人も、二度と現れないのかも。

 

給食の片付けが終わると、遠藤先生が言った。

「みんな、朝のホームルームでも知らせたけど、台風接近のため五、六時間目の授業はナシだ。下校途中に寄り道せず、真っすぐ帰宅しなさい。雨はまだたいしたことがないけど、降り始めたらすぐ増水するから遊び半分で河に近づかないように。風で公園の木の枝が折れたり、店の看板なんかが飛んできたりするかもしれない。気を付けて下校するように」

「先生、心配症」

誰かがはやしたてた。

帰り支度をすませ、ぼくはクラスを出た。

「一緒に帰ろう」

 振り返るとランドセルを背負った子が立っていた。キャメル色のジャケットに赤いチェックのプリーツスカート。

「緑川さん」

緊張しているらしく、緑川さんは一度無理に笑顔を浮かべようとして、すぐに目を伏せた。ランドセルの肩バンドに手をやって、少し身体を左右に揺らした。ぼくに耳打ちした。

「先生は寄り道するなって言っていたけど、ちょっと話したいことがあるの。ウチに寄ってくれない?」

「いいけど」

 ぼくらが並んで歩き出すと、男子の誰かがわざとらしく「ひゅーひゅー」と唇をとがらせてからかった。

 上履きからスニーカーに履き替え、校門を出た。

細かい霧雨が強い風に混じっている。傘をさして歩いている子はいたけど、すぐ風にあおられて傘が裏返り、悲鳴をあげていた。「傘なんかきかねーよ」と叫んで傘を閉じて走り出す子もまばらにいる。

 ぼくと緑川さんも傘で雨を避けるのをあきらめ、それを閉じて足早になった。

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