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扶桑国マレビト伝 ㉗

 終章

 

 九十九円蔵はその後、逮捕されて取り調べを受けた。裁判では死刑が言い渡された。
門条文麿男爵を通じて政界に「統制派」を組織し、影鬼を使って帝都・耶麻都の治安を脅かしたのだから当然だ。

その件について、ぼくとレランマキリさんの証言が求められ、警察で調書が取られた。
ぼくは九十九に発砲して怪我を負わせた傷害罪に問われ、マキリさんは「許可もなく大聖堂に壁画を描いた」という理由で建造物損壊罪に問われることになった。

 ぼくとマキリさんの罪を弁護してくれたのは意外なことに門条文麿男爵だった。
「九十九はわしを神輿にかついで裏で統制派を操ろうとした卑劣な男であり、影鬼襲撃の黒幕であった。我が家の書庫にあった古文書のニセモノを作成し、一族の重責をゆがんだ形で伝えわしを策術にかけたことも許しがたい。本来なら、主人自らが罰するべきところである」
と怒りをあらわにした。

古文書のニセモノ……というのは斯波の門条男爵邸の蔵で見つけた『依姫記』のことだ。
 九十九円蔵はやはり、画技の力がある巫女が『扉の壁画』を描けばそれだけで常世と現世をつなぐことができる、という内容の古文書を作って男爵に渡していた。そのせいで、文麿男爵は娘の涼加さんとの仲に亀裂を生じたのだった。この怨みと怒りは計り知れないものだろう。

「記者見習いの小僧が騒動をおさめるために発砲し、怪我を負わせたというのだから、九十九にとって天罰である。それと麻央……マキリが描いた大聖堂の壁画もまた、同じ理由で罪に問うわけにはいかん。なにしろ麻央はわしの養女であり、みなを救うべくあの壁画を描いたのだからな。事後承諾ではあるが、正式にあの見事な壁画を大聖堂の重要な一部としたい」

 だから、ぼくとマキリさんの取り調べと裁判はまったく茶番みたいなものだった。
 あの事件以来、男爵も人が丸くなったものだ。
 
 講宿で暮らしているおみつさんは最近、いい旦那ができたとかで浮かれている。
 門条邸への出入りが許されたから、ぼくも取材が順調だ。特にハウスキーパーの村井ゆず子さんはマキリさんにもぼくにも親切で、涼加さんの過去についても詳しく話してくれた。

 あの屋敷に出入りして耳にしたけど、跡取りの岩麻呂氏は男爵が叩き出して寄宿制の法律大学に再入学させたという。「財務や司法を勉強し、ひとかどの漢(おとこ)になれ!」と叱責されて奮起したらしい。いまでは信じられないくらい勉強熱心だそうだ。
 そんな岩麻呂氏を婚約者の藤ノ原里美嬢は「愛想がつきたから、別の殿方を伴侶に選ぶわ」と婚約破棄してしまった。いまでは上海に店を持つ英国人貿易商と付き合っているらしい。

 我楽多号は相変わらずシャチを連れている。船足もシャチの力を利用しているけど、黒岩周五郎主筆は海から離れて街中を自由に散歩できるようになった。
 つまり、マモリガミはかつてのようじゃなくなってきているということだ。
 いまではマモリガミが所有者から一キロや二キロ離れても呼吸困難や頭痛といった不調はないし、マモリガミ同士がケンカしても所有者が傷ついたり倒れたりすることはない。
 その証拠に、ぼくのクロは最近ではオオワシにもライオンにも変身しない。体も一回り小さくなって、人を背中に乗せて疾走するオオカミじゃなくなった。幸せそうな黒い大型犬ってところだ。
 ちょっと残念な気もするけど、納得もしている。これでよかったんだ、と。
 あれから影鬼が生まれたという情報は一切ないし、新生児の影からマモリガミが発生することもなくなった。大気や河川の汚染と山野の荒廃は深刻さを増しているけど。
 
 政界ではいまだに統制派について議論されている。
 統制派が女帝や皇族を「お飾り」とすることでさまざまな事件の責任逃れをし、影ではマレビトの驚異的な力を利用して扶桑国の近代化を目指していたことが明るみに出て、混乱をきたしている。何人かが議員辞職し、民本運動家は政権批判に忙しい。

 いまでは「マレビトと関わって来た歴史など我々には無かった。もしマレビト信仰や伝説などを記録した古文書があれば、それはすべて贋本(がんぽん)である! 近代化してこそ我々の扶桑国の歴史が始まるのだ」と叫んでいるのは貴族院議員ばかりじゃない。

 辻演説する民本運動家も政府に「地租の改正」「言論の自由」「普通選挙制の要求」「専制政治の撤廃」を要求する一方で「我々にマモリガミを与えたとはいえ、影鬼の脅威をもたらしたマレビトは扶桑国から去った。もともとマレビトなど無用な存在であったのだ」と言ってはばからない。

なによりも、外交に危険が迫っているのだから「いまさらマレビトや常世のことに振り回されるわけにはいかない」と誰もが考えているわけだ。

 そんな風潮について、マキリさんはこんなことを言った。
「いったいあたしたちはどこから来て、これから何を目指して進み続けるのかな?」
 無邪気にマレビトを尊崇し、畏敬し、守ってもらっていた時代が終わったことへの哀切。
 本当にあの神秘の力が現世に影響しないよう線引きしたのは、正しいことだったのか。
 マキリさんなりに思うところがあるのだろう。
 

 英国や仏国だけでなく、北の大帝国ルーシが勢力を拡大している。

 大秦国は皇帝がいるものの、国土のあちこちは英国や仏国に植民地化されているから「次は扶桑国」という危機感はただごとじゃない。

 特に問題なのは長く大秦国に従属してきた蝶仙王国だ。領土では農民一揆、反乱があって、国王の軍隊は押さえきれない。王宮警護のために大秦国と扶桑国に出兵を要請したこともある。ルーシ帝国もその混乱に乗じて蝶仙半島の北、満洲を狙っている状況だ。

 実際問題として、このまま蝶仙王国が独立を失いルーシ帝国に支配されてしまえば、地理的環境から扶桑国も同じ運命をたどることになる。

 大秦国に従属してきた蝶仙王国だけど、宗主国の大秦国は英国を相手にアヘン戦争をし、ベトナムの領有権をめぐって仏国と戦争した結果、国土のあちこちが植民地化されている。

 扶桑国もまたルーシ帝国の南下拡大を警戒しているから「蝶仙王国にいつまでも大秦国の属国であり続けてもらいたくない」というわけだ。

 蝶仙王国に近代化してもらい、ルーシ帝国軍を阻止する防波堤にしたい扶桑国政府。
 大秦国としては属国・蝶仙王国の統治権を扶桑国にみすみす与えるわけにはいかない。

 蝶仙半島で大秦国を相手に戦闘が始まって五日後、ついに「宣戦布告」が正式に発表された。
 政府はそれにそなえ、海軍の近代化に力を傾けていきたわけだ。
 扶桑国初の近代戦、対外戦争は蝶仙半島の海域と「満洲」とで幕を開けた。

 少し前なら扶桑国の軍兵は銃撃戦にしても、白兵戦にしても、不利だった。なにしろマモリガミが敵弾に倒れたり斬り殺されたりすれば、所有者の兵士も戦えなくなるのだから。

 だけど、マモリガミの性質が変化したから、「陸上戦での不利は解消されました」と陸軍大臣は女帝に上奏したという。

 海軍はどうだろう。
 国土のあちこちが植民地化されているとはいえ、まだまだ富裕な大秦国だ。
 国庫を傾け、無理を通して軍艦を購入してきた扶桑国に負けず劣らず、近代化した巨大戦艦を誇っている。
 海軍力は戦艦に搭載された砲やエンジンなどの機械性能によって勝敗が決まる。
 陸戦で一つや二つ勝利したとしても、最終的にこの対外戦争がどういう結果になるのか、誰にもわからない。
 
 そんなさなかに常世やマレビトの真実を探る研究など、いまさら「愚かな道楽」にすぎないのだろう。
 それでも我楽多日報で出版した冊子『マレビトの記』は一部の学者たちが競うように手に取ってくれている。
 
 マキリさんはいま、蝦夷地へ行っている。里帰りというわけじゃなく、ベンリウクさんとイオさん夫婦にあずけてある二人の幼児……桃子と康夫……の二人を引き取るためだ。
「帝都の門条邸の離れを孤児院に改造して、涼加先生があたしを育ててくれたように育てたいのです」
 と文麿男爵に相談したら了解してもらったという。
 マキリさんの説得で、文麿男爵は貧しい人を救う「救貧院」や孤児院を帝都と余子浜で営んでいる。繰り返すけど、まったくあの人もずいぶん変わったものだ。

 あ、書きそびれた。
 マキリさんは我楽多日報で挿絵を描いてくれている。三木先輩が担当の文芸欄だけじゃなく、裁判や事故現場の素描を。

 写真入りの新聞は輪転機がうまく印刷できないから、写真は別冊にして販売しなきゃならなかったけど、マキリさんの挿絵なら記事と一緒に多くの部数を早く印刷できるから助かっている。

 それになにより「門条麻央」の名前が入った挿絵は人気だ。
 本当は「レランマキリ」という署名を入れたいそうだから、いつかその名前で画集か絵本を出版できるようになるといいな、と思っている。
 つまり、いまではぼくと同僚だ。

 正直のところ、ぼくはあの子が好きだ。出会えてよかった。
 だけどそれは打ち明けるべきじゃない。
 近代戦を取材しに戦地へ行くってときに、想いを伝えたりしたら、きっとマキリさんを戸惑わせてしまう。
 また忙しくなる。

『我楽多日報 記者 諸見沢(もろみざわ)錬(れん) 手記』

(了)

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