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扶桑国マレビト伝 ③

 六歳になり、函伊達折原孤児院から徒歩で一時間の場所に建つ尋常小学校に入学した。そのころにはレランマキリを縮めて誰もがあたしをマキリと呼んでいた。

 学校は楽しかったし、勉強は好きだった。でも、同級生より頭半分くらいひょろりと高い背丈と紫色の瞳をしたあたしは必要以上に目立つ存在だった。

 容姿から「シクヌ人」と冷たい罵りの声色をぶつけるのは決まってごく一部の本州から来た扶桑人の子どもだった。そのうち「異人の子」「捨て子」「マモリガミがいない影鬼のできそこない」とはやしたてられ、取っ組み合いのけんかになった。

けんかには相手の子のマモリガミたちも参加する……といってもつかみ合うあたしたちの周りで子犬が吠えたりスズメが騒いだりする程度のことだ。他人のマモリガミに触れることは禁じられているし、マモリガミが人を襲うことも許されない。

そのときのケンカはすぐに担任の先生たちが仲裁に入ってくれた。子ども同士の他愛ない衝突として「もう二度と悪口を言いません、暴力もいたしません」とあたしたちは誓わされ、仲直りさせられた。

 同級生にしてもそれを根に持つほど陰険な子はいない。むしろ思い切り戦ったことでお互いを受け入れるきっかけになった。

 なにしろ教室にはさまざまな子がいた。

 蝦夷地屯田兵寮から運び出される残飯をごった煮にして売り歩く「残飯屋」の子もいれば、そういう食べ物をわずかな金で買い、数日分の粥にして飢えをしのぐ貧しい家庭の子もいた。収穫のない荒地に手を焼いている開拓民の子、拾ったくず鉄を売って入学費用をまかなった生徒もいたからだ。そういう子の親たちは「義務教育でなかったら、ウチの子はすぐに働きに出すのだが……子を入学させぬと処罰されるから仕方なく……」と眉をひそめていた。

異質なあたしの容姿に拒絶反応を示したのは、別の生徒の保護者たちだった。

「どこの馬の骨とも分からない捨て子が、遊女の血を引くであろう孤児が、ウチの子と同じ学校に通うなど汚らわしい!」

「第一、あの子にはマモリガミがいないじゃろう。マモリガミなしということは影鬼ですよ。教室に影鬼に成る一歩手前の生徒が通っているなんて、考えただけでもぞっとする」

 校長室で騒いだ保護者たちは函伊達でも屈指の裕福な商家の主人や銀行支配人といった人々だった。

 そのころから折原涼加先生は体調が悪かった。左半身はすでに強張っていたため、片足を引いて尋常小学校の呼び出しに応じなければならなかった。首筋にはすでに緑色の新芽が芽吹き、腰からはしなやかな枝が五寸ほど伸びていた。手首の皮膚は樹皮に変化しつつあって、涼加先生のマモリガミである金色の小猿・キキはその部分をいつもなでさすっていたものだ。

尋常小学校までの道のりをぎこちなく徒歩で進もうが辻馬車を拾おうが、人目につく。

幼いながらもあたしは心苦しかった。自分のために孤児院を営んでくれている涼加先生が、さらし者になってしまう。

六歳のあたしはどうしていいのか分からなかった。

 

そんなときあたし一人が校長室に呼ばれた。そこには校長先生と教頭先生もいた。厳かな調子で二人はそっと提案した。

「義務教育を受けないと保護者に罰金刑が課せられるのは知っているね。もし君が学校をやめた場合、孤児院の涼加先生が罰金を払うことになる」

 義務教育という言葉の意味はよく分からなかったけど、バッキンケイや涼加先生がバッキンヲハラウ、という言葉の響きが怖かった。

「あたし、学校をやめません。やめたくありません。ちゃんと通います」

 あたしがここでがんばれば、涼加先生は怖いバッキンケイを逃れられる。

「いや、よく聞きなさい。君一人のために同級生が迷惑している。彼らの父兄も悩んでいるのだよ。その責任をとれるのかね?」

 あたしは黙り込んだ。メーワクって? セキニンって? 言いたいことがさまざまあったけど、質問しようにもどういう言葉を口にしていいのか分からない。
 同時に、問い返せばバカな子だと思われて涼加先生が責められるんじゃないかと気が気じゃなかった。だから唇からそっと息をすることしかできなかった。

 教頭先生が引き継いでしゃべりはじめる。

「もしも……君が自分の意志で小学校を辞めるなら、同じ教室に通う生徒たちのお父さんやお母さんが……蟻金(ありがね)商店の奥さんと鮭鱒(さけます)漁協支配人のご夫婦と蝦夷地搾乳銀行の役員をしているおじさんたちが……その罰金を支払ってやってもいいというのだよ」

「これは素晴らしい提案だよ。君さえ学校を辞めれば涼加先生は療養できるし、お金の負担もないのだから。みんなが幸せになれる。もっとも、君が二度と小学校に近づかないことが条件だけれどね」

「……あの……孤児院に戻ってよく考えてもいいですか……」

「いいや、自分のことなのだからいまここで決めなさい。それからこの書類が」

 校長先生が紙を差し出した。まだ読めない漢字がたくさんあって、何が何だか分からなかったけど、最後の行の部分に「名前を書きなさい」と言われた。

 カタカナで「レランマキリ」と記入した。できるだけきれいな文字を書いたつもりだった。文字がきたなくて、名前も書けない子だと人に思われたら涼加先生に申し訳ない。あたしがちゃんとした生徒だと分かってくれれば、校長先生も教頭先生も味方になってくれると信じていた。

「まだ扶桑人名がついていないのかね」

手元をのぞきこんで教頭先生が鼻をふふんと鳴らす。不安で胸が苦しくなった。扶桑人名がないといけなかったのかもしれない。なにより、こういう苦しみをあたしのために涼加先生が味わっていたのかもしれないと思うと、早く切り上げたくて仕方がなかった。

 

その翌日、いつものように登校したとき校門が目の前で閉じられた。

閉じたのは教頭先生で、わざとらしいほど大きなため息をついた。

「レランマキリ、君は昨日、『尋常小学校退学届け申請書』に名前を書いただろう。もう学校へ来なくていいんだよ」

野良犬を追い払うような口ぶりだった。学校の生徒たちが振り返ってこっちを見る。数人がひと固まりになってひそひそとささやきあい、あたしを指さしている。クスクス笑う顔もあった。

……学校をやめた子が登校したんだって、やっぱり変な子、マキリのマはマヌケのマ……

泣きながら孤児院に戻ったあたしの説明で、憤慨したのは涼加先生だった。

「許せないわ。大人が小さな子をだまして学校をやめさせるなんて! 教育は大事なのよ。誰もが平等に学ぶ機会がなくてはいけないの。普段目にしている大勢の人とあなたが違うというだけで拒むなんて、教育者として許しがたいことだわ。ゆくゆく扶桑国にはマモリガミを持たない、あなたのような子は増えていくはずよ。突然変異で生まれる影鬼から身を守るためにも、強く賢くならなきゃいけないのに……。よりによって小学校からあなたを放り出すなんて冗談じゃないわ!」

 樹木化していく体を引きずって、涼加先生は尋常小学校へ出かけようとした。校長に抗議し、あたしを復学させるために。でも、そうはいかなかった。細く発根しつつあった足がもつれて玄関のたたきでつまずき、右半身を地面に強く打ってしまったのだ。

 それから涼加先生の樹木化は一段と加速したようだった。

 髪の毛の先は細い薄緑色の繊維質になり、黒と緑色、薄い黄緑色と見事なグラディエーションが頭髪を彩った。鎖骨あたりから首まで斜めに枝が伸びていき、フリルのような形でしなやかな枝が弧を描いた。

「安心して、涼加先生。あたし必ず自力で復学するから」

 決意を打ち明けると、涼加先生はやっと安心して孤児院の日当たりのいいリビングに車いすを出させた。

 自分の体が自由を失うと予想して、ラシャ張りの座面と背もたれがある椅子の足を短くし、座面の下に人力車用車輪より小さい車輪を装備した車いすを特注していたのだ。

そこに落ち着いた涼加先生からあたしはさまざまなことを教わった。

小学校を挫折したあたしに、涼加先生は本当にいい教師だった。

読み書きや計算、外国の言葉や科学といったことを熱心に指導してくれた。

あたしにとって、涼加先生は知らぬことのない保護者であり、知識を満たす本であり、豊富な展示物を誇る博物館だった。

しかも絵を教えてくれた。

口で説明するだけでは分からない物を涼加先生はものすごい早さでスケッチして見せてくれた。せがむと、あたしにもその技法を教えてくれた。

木炭で板切れにラクガキを楽しむことから始まり、デッサンの仕方や色の濃淡で陰影をつける方法、画用紙の中に遠近感を意識して風景を配置するよう指導してくれたのだ。

もともとあたしは絵を描くのが好き。涼加先生の指導もあって、色エンピツで針の先端みたいな細かい線で静物の陰影をつけることも、画集で見かけた有名な『聖母子像』を白いチョークで路上に忠実に模写するも朝飯前になった。涼加先生は「天才ね」ってほめてくれた。だから絵を描くことは純粋に楽しかった。

いまでは一度見た風景とか人の顔とか、かなり正確にスケッチすることができる。

だからといって、絵にかまけていたわけじゃない。

小猿の姿のマモリガミ・キキが涼加先生の指図で孤児たちの着替えや食事の世話をするといっても、年長者のあたしがしっかりしなきゃいけない場面が多い。あたしもキキと共に年下の子どもたちの世話に明け暮れた。涼加先生から発芽するツタが車輪にからまり、せっかくの車いすが動かせなくなるのを気に病みながら。

 

貧しいのはお互いさま、と割り切る人々ですら、肉体が樹木化していく孤児院の経営者に好奇の目を注ぐのは致し方のないことだった。

「奇病だんべ? 医者はなんて言ってんだ? 涼加さんの左足からまぁた木の枝が伸びてるべ。どれ、少し切ってやっから。痛くねえべな?」

 心配してくれるのはイオさんという青菜を届けてくれるシクヌ人の女の人だ。ベンリウクおじさんの女房で、親切だけどちょっと口うるさい。

涼加先生本人はさばさばした態度で応じていたものだった。

「これは枝じゃありません。ほら、足そのものが主根となっていきますから、きっとこれは側根だと思うの。いつか、わたくしの顔そのものが大輪の花になるかもしれませんね。お花に成りましたら、お花見のパーティにご招待しますから楽しみにしていてくださいね」

くったくのない涼加先生の受け答えに、イオさんも「樹皮に包まれていく涼加さんだけど、お元気そうだから大丈夫だべな。前向きなのが一番さぁ」と納得して、ベンリウクおじさんが山で捕らえた獣の肉を分けてくれるのだった。

そういう日常に変化が訪れたのは数年前のことだ。

毎年六月、『全国新聞社合同美術コンテスト』が催される。

華族をはじめとする知識人に政論を提供する「大新聞」と、世間一般の人々向けに娯楽中心の記事を載せる「小(こ)新聞」の二つに分かれていたけど、複数ある「小新聞」が大新聞に対抗して「購読者を増やすため」に企画したのが『全国新聞社合同美術コンテスト』だった。

年齢性別、経歴、身分にこだわらず、美術学校に通う生徒であろうとなかろうと、ただの絵画愛好家でもそうでなくても、「水彩画や油彩の応募をつのる」というものだ。

選者には高名な画家・九十九円蔵(つくもえんぞう)画伯がいることで大々的に知名度を上げた公募だ。

この画伯がなぜ有名なのかというと、なんでも財閥の門条文麿男爵に仕える執事という顔もあるためらしい。

選者紹介欄ではこうあった。「画伯の九十九家は門条一族の分家筋にあたり、門条男爵家に代々執事の職をつとめる。卓越した画技を誇る九十九円蔵画伯は我が国の第一人者である」と。

その記事をちらっと見た涼加先生はつぶやいた。

「手がける絵が一流なら華族に仕えるのを辞めてもよさそうだけど……この人は文麿男爵を出し抜きたいという野心があるのよ……」

「この人を知っているの?」

 思わずそう聞いたとき、涼加先生は葉音をざわめかせて首をすくめて「当てずっぽうよ」とほほ笑んだだけだった。

だから、あたしが反応したのは画伯・九十九円蔵の名前じゃない。一等から三等までそれぞれ賞金が出ることだった。

多くの孤児たちは幸せに院を去っていたものの、まだ幼児が二人いる。それにあたしも。

生活にはお金がかかる。

孤児院の経営がどういう資金でまかなわれているのか、問いかけたあたしに、涼加先生は銀行預金を取り崩して充てていることを打ち明けた。若いころに仕事をしていたお金と、亡母から引き継いだ財産があるからまだ大丈夫よ……と。葉をゆらしながら涼加先生は明るい調子で銀行通帳をあたしに見せてくれたものだった。

笑いごとではない。一目であたしは緊張した。月々の支出とそこにある残高を照らし合わせて考えれば、先細りするに決まっている。

当時十二歳のあたしが『全国新聞社合同美術コンテスト』の賞金に目がくらんだのは無理もないことだった。

以来、あたしの水彩画は「我(が)楽(らく)多(た)日報」に届けられた。

我楽多日報は弱小とはいえ本社が船で、海上を航行しながら印刷し、新聞を売っているという。涼加先生は月に十銭で購読契約していた。

あたしの絵は蝦夷地で予選を通過。新聞社合同美術コンテストで審査され、三等賞金五十円が為替で届いた。

それから毎年、六月になるとせっせと水彩画を我楽多日報に送りつけた。一度は予選締め切り期日を過ぎて不参加をだったものの、十四歳で二等賞金八十円、十五歳で一等賞金の百円を手にした。

画壇ではいつのまにか「蝦夷地に天才少女あり」とささやかれているらしく、あたしに「帝都・耶麻都にある美術専門学校へ入学しないか」という打診の手紙が九十九円蔵画伯から届いたことがある。

「涼加さんがほとんど働けなくなったって、おめえが絵を描いて稼げるなら孤児院は安泰だべ。マモリガミがいなくっても引け目に感じるこたぁねえよ」

 ベンリウクおじさんはそう言う。イオさんも同意した。

「んだんだ。マキリちゃんは日増しにピリカになってんだもの。帝都に出てみれば? きっと運が開けるべ」

 ピリカは「きれい」という意味だ。

涼加先生もまた、髪をおおう果樹の花々を震わせて勧めてくれた。

「マキリ、思い切って蝦夷地を出なさい。わたくしや子どもたちに縛られることはないのよ」

 絵画を本格的に学びたい。熱情に頭がのぼせるときがある。ここじゃない場所で、自分の運命を切り開いてみたい。そのたび、あたしは自重するのだった。

 自分がいなくなったら誰が幼い桃子ちゃんや康夫くんの面倒と、涼加先生の介護をするのだろう。ベンリウクおじさんとイオさん夫婦に頼ってばかりはいられない。マモリガミのキキ? 涼加先生が完全に樹木となってしまったら、キキだって消滅してしまうかもしれないのに。

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

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