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探偵になるまでの2,3のこと ⑬

ぼくは自分の傘を拾い上げた。

「じゃあ、緑川さんも帰った方がいいよ」

「……そうね」
 足元でうずくまっている宮本定克に目を落とし、それからぼくにうなずいた。

「良真くんも早く家に戻ってね。宮本くんも」

宮本定克は身動き一つしない。ぼくはうなずいた。

「うん、さよなら」

篠田正次がぼくをターゲットにした理由。

 宮本定克のそそのかしに簡単に乗ったのは……。

傘を差して背を向けた緑川さんの姿が角を曲がって見えなくなる。

「義理だと思ってなかったと思うよ、篠田は」

 ぼくはそう告げた。声は風と雨音にさえぎられ、緑川さんには届かないだろうけど。

 

 路上にはぼくと宮本定克だけだ。周囲では風がうなっている。家々に植えられた木々が枝を揺らし、葉をこすりあわせていた。

 まだ立ち上がろうともしない同級生をあらためて見おろした。

「宮本」と呼びかけてぼくは宮本定克の前にしゃがみこむ。顔を近づける。「お前、ぼくの父さんがあの事件の犯人だって誰から吹き込まれたんだよ?」

「……や、やめてよ」やや甲高い声を出すと宮本定克は尻で後ずさった。「ただの、ちょっとした悪ふざけ……」

「悪ふざけですむかよ」

 宮本定克の胸倉をぼくがつかむと、すぐにしゃくりあげた。

「よ、四年生のときから、ぼく、イジメられて……。だから、もう……イジメられたくなくて、誰かほかのヤツがイジメられれば、ぼくは無事だと思って……」

 雨水を受けた涙が目じりを流れ落ち、あごにしたたった。しきりに鼻水をすすって声をしぼりだしている。

ぼくは宮本定克に手を貸してやる義理はないと思ったけど、手をつかんで立ち上がらせた。

宮本定克はシャツの袖で顔をぬぐっては涙を流し、またシャツの袖で顔をぬぐった。よく涙が尽きないものだとぼくは変に感心してしまった。

「いい加減、泣きやめよ」

「だって……だって」

 なにが「だって」だ。いくら自分がイジメられたくないからといって、篠田正次にイケニエを差し出す卑劣さには吐き気がする。

「聞きたいことがある」ぴしゃりとぼくは言った。「誰が父さんのことをお前に吹き込んだ?」

 単刀直入だった。質問に一瞬ひるんだ様子の宮本定克だったが、もう泣きはしなかった。唇を震わせる。

「お、おばさん……だよ……」

「おばさん? どこの?」

 言葉の少なさにイラついた。宮本定克の返答では、近所に住むおばさんなのか、親戚のおばさんなのか分からない。

宮本定克はどもりながら続けた。

「ママの妹……。でも……ママとあんまり仲良くなくて。……若いころは女優が夢だったみたいだけど……どうでもいいウソをつくから、誰からも嫌われて。……永沢の実家で、おばあちゃんと住んでたんだけど、去年おばあちゃんが亡くなってさ。おばあちゃんの家と土地を勝手に売ってお金を全部自分のものにしちゃったんだ……。この間の一周忌の法事で、顔を合わせたとき、紅菱の物流センターに勤めているって自慢してた」

「紅菱の物流センター?」

 父さんの勤め先だ。胸がどきんとした。

「ちょっと待てよ」

 傘を閉じ、ぼくはランドセルを腕からはずすと中からノートとシャーペンを取り出した。ページをめくってシャーペンを構える。ノートに雨がぶつかり水滴のしみが広がった。宮本定克の言葉をうながした。

「なんて名前だ? お前のおばさんて」

「ながさわ……みつえ」

「名前の文字は?」

「ながさわは永遠の永、さわはサンズイに尺の沢。みつえは光に枝……」

永沢光枝、とぼくはノートに記入する。

その文字をにらみつけた。えんぴつの先で名前の左端をトントンと叩く。

「この光枝おばさんて、物流センターでの仕事は?」

 父さんの直属で働いているのかもしれない。だから出張後に失踪したことを知ったのかも。

「バイトだよ」

「え?」

「ママが言ってた。光枝おばさんは紅菱の正社員だって自慢していたけど、物流センターで在庫管理と雑用やってるアルバイトだって。ちょっと調べたらすぐばれるようなウソばっかりついて……って怒っていた」

「その光枝おばさんが、どういうわけで『森部五色村ストーカー殺人事件』の犯人がぼくの父さんだと吹き込んだんだよ」

 問い詰めると緊張がぶり返したらしく、宮本定克は表情を強張らせた。

「おばあちゃんの一周忌の法事が終わって、実家を売ったお金をどうしたのかってママが光枝おばさんを問い詰めていたんだ……」

結婚して「永沢家」を出た姉(宮本定克の母親)からすれば、うざい妹だったのだろう。おまけに金に汚いとくれば最悪だ。

当然、永沢光江は面白くなかったはず。詰問からその場にいる全員の目をそらすべくニュースで流れた『森部五色村で鷲尾麻美さんが遺体で発見』を指さした。

……わたし、この事件の犯人、知っているよ……

……どうしてあんたが犯人知ってるの? 虚言癖、いつまでも治らないわね。ばっかじゃないの……と姉から軽蔑のまなざしで皮肉を言われ、永沢光江は自分の言った言葉を詳しく説明する気になったらしい。

「そのとき光枝おばさんは、ホントに知っているんだから……ってスマホを見せたんだ」

「スマホ?」

「うん、カメラアプリを立ち上げて、写真データを。そこに三加茂くんとお父さんが写っていたよ」

 ぼくは耳を疑った。

 言葉を失っているぼくにおかまいなく、宮本定克は記憶を確かめる表情で続ける。

「仲良さそうに顔を寄せ合っている写真。三加茂くんは柔道着か空手着みたいな白い着物姿でさ、顔と胸の部分しか映ってなかったから、自撮りだと思うけど」

 道着姿で自撮り。

 思い当たった。

自宅のテーブルに置いてあるアイパッドにも同じデータがある。印画紙にプリントし、青羽署に「行方不明者届」を出すときに持参した。

 父さんとぼくが顔を寄せている構図だ。父さんの右腕が前方に伸びて切れているのは、スマホをかかげての自撮りだったからだ。

「……その写真データを見たのは、いつ?」

「えっとだから『森部五色村ストーカー殺人事件』の……死体が発見された日」

「九月二十日の夜か」

「……たぶん。その写真を見たとき、一組の転校生だって光枝おばさんに伝えたんだ。そしたら、おばさんはこの子の父親が犯人よって」

 ぼくは混乱していた。

 写真を撮ったのは去年。

 ぼくに合気道を手ほどきしたのは父さんだ。

合気道は「和合の精神」を大事にする武術で敵対や対立を否定する。技をかける側の「取り」があり、「受け」は技を受ける側。両者で技術を高め合い精神を錬磨することを重視するのだ。

だから、試合はない。

それでも自分の技がどれくらい上達したのか知るために、演武大会というイベントがある。

去年の春、ぼくは父さんと一緒に演武大会に参加。黒帯に昇級した。そのとき父さんと顔を寄せ合ってスマートフォンで写真を撮った。写真はアイパッドにも転送したし、捜索願を青羽署へ出すときに印画紙にプリントして提出している。

 

 その写真データを、なぜその女が持っている?

 

「永沢光江……この人、お前んチにいるのか?」

「ううん」宮本定克は首を横に振った。「ママとホント仲悪くて……。おばあちゃんが死んだあと、すぐにおばあちゃんチを勝手に売り払ってさ、ママを激怒させちゃったんだよ」
「勝手に?」
「実家のおばあちゃんの年金で暮らした挙句、そのおばあちゃんが亡くなってすぐに……。だけど、ぼくには割と優しいよ。お小遣いもくれるし……」

「公園でぼくをシメろって提案したのも、その人なんだろ? いつお前にそういう指令を出したんだ?」

「指令って」宮本定克は不満げに口をとがらせた。「まるでぼくが光枝おばさんの家来みたいじゃないか」

「だけど、命令をきいたんだろ」

「……だって、上手くやったらまたお小遣いあげるって言うから。ママには秘密にしてねって」

「だから、いつだよ?」

「電話で。ぼく、家には子ども用のスマホがあってさ、ほとんど動画とゲームしかしないけど」

 冷ややかな軽蔑が頭をもたげる。

 結局、こいつは永沢光江の言いなりだったんだ。その金だって、きっとネットチューブの広告収入から出したんだろう。

イジメ動画を投稿したのは「メメラン・チャンネル」のアカウントを持つ人間。

永沢光江の身近な誰かか、永沢光江本人の可能性もある。

「おばさんのスマホ番号、覚えてるか?」

「スマホの番号なんか、ぼくが知るわけないじゃん。家にあるスマホに登録してあるけど」

「どこへ行けば会える? 住所、知ってるだろ?」

 音信不通になっているとしたら、手がかりが切れる。ぼくは焦った。

「……えっと……」宮本定克は首をかしげた。「よく分かんないんだ……ホントに」

父さんの写真データを持っているなんて怪しすぎる。

九月十七日の和歌山出張から父さんは帰宅していない。当然、父さんはスマートフォンを持って出ているはずだ。

二十日の夕方に鷲尾麻美さんの遺体が発見され、ニュースが報じられている。そのときには永沢光江はあの写真データを自分のデバイスに入れていた?

父さんと同じ勤め先にいた女、永沢光江。被害者の鷲尾麻美さんとも顔見知りだったはず、と思うのは飛躍しすぎているだろうか?

悪趣味なネットおたくというだけの中年女だとは思えない。

ぼくは醒めた目で宮本定克をながめながら、ノートとえんぴつを押しやった。ここに永沢光江の連絡先を記入しろ、とうながす。

「だけど、そういう個人情報って明かせないよね……」

 雨で汚れた宮本定克の顔をにらんだ。ひっぱたいてでも口を割らせたい。

「お前のしたことと、お前のおばさんがやったことはどうなんだよ」

「……マンション」ぽつりと宮本定克がつぶやく。「でもウソかも。だって、おばさんはいつもウソを」

ついにぼくはぴしゃっと宮本定克のおでこを叩いた。濡れていた分、痛かったかもしれない。あわてた宮本定克が早口に告げた。

「青羽(あおば)市海(う)潮(しお)区にあるマンション『シャトー・ヴィラ』……。部屋の番号は知らない」

 

宮本定克と別れ、ぼくは風にあおられるようにして走った。

晴れた日なら西の空が朱色に染まっている時刻だ。ところどころ街灯がともりはじめている。雨粒は大きくなり、量も増えている。上空では濃い雨雲が渦を巻いていた。

 坂道に入った。選定されていない木の枝が公園から道路へ突き出て、細い横道の入り口を隠している。

 傘を風になぶられながら公園に入ると、墨汁の水たまりが豪雨で波紋を描いている。この雨で痕跡はすべて洗い流されてしまうだろう。

それでもぼくは砂場、植え込み、ブランコのあたりをゆっくりと地面に注意を向けながら歩いた。

それから改めて墨汁の水たまりに目を細める。

イジメの被害にあった現場だ。メメランとかいうネットチューバーがあの映像を撮影したとすれば……あの映像……カメラはぶれていなかった。クローズアップもなければ、遠ざかりもしなかった。つまり、一定の距離をとって、固定されていたんだ。

 公園と道路の縁取りにツツジが植え込んである場所を振り返った。

立木が強風にゆられてざわざわしている。上空は地上より風が強いらしい。ものすごい勢いで雲が動いていた。

植え込みの枝をかき分けてのぞきこむと、地面にわずかなくぼみが見て取れた。それも三つ。小さな子どもがほじくったような、浅い土のえぐれ具合だ。だけど、公園に砂場があるのに、枝が邪魔になるところをわざわざ選んで土をいじる子がいるだろうか? いるはずがない。

 確かなことは言えない。だけど、パッと見るかぎりは三つとも同じ間隔に土がえぐれている。

……三脚だ。カメラをセットした三脚を植え込みに隠して、あの映像を撮ったヤツがいるんだ。

永沢光江は甥っ子の宮本定克にこの公園でぼくをシメろと指令を出した。宮本定克の口車に乗った篠田正次たちはそれを実行した。

しかも、永沢光江は父さんがセンター長を勤めている物流センターでバイトをしているという。

マンション住まい。殺された鷲尾麻美さんのストーカーだったという豊田久巳が住んでいるシャトー・ヴィラに。

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