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扶桑国マレビト伝 ⑳

 翌日からあたしの令嬢としての教育がはじまった。

 ダンスのレッスン教師が来るかと思えば書道の先生が現れたし、九十九さん本人が絵画を指導してくれた。アトリエでスケッチブックに静物画を描いているあたしに、九十九さんが耳元に声を吹き込んだ。

「涼加お嬢さまが化身した金色のチョークをわたしに預けておきなさい」

「いえ、形見としてわたしが持っています」

描線に集中しているふりをしながら、あたしはつぶやいた。

「どうして九十九さんは文麿男爵に涼加先生の病気について知らせないんですか?」

「男爵のお心を苦しめないためだよ。主家の令嬢があのような病におかされたなど、一族の恥。わたしの方からそっと金色のチョークを男爵に渡しておく。だから出しなさい」

「実は人にあずけてあるんです」

 あたしは画用紙から顔をあげ、にっこりした。

「帝都は物騒だから、大事な物は持ち歩かない方がいいと思って」

 九十九さんがみるみる不機嫌になった。激怒の表情で静かに告げた。

「あの探り屋の小僧などより、わたしを信用しなさい」

「信用していますよ、尊敬もしていますし」

 もっともらしくそう言って、スケッチブックを閉じた。そそくさとアトリエを出て、その日は九十九さんを避けて過ごした。

 とにかく忙しかった。

庭を散歩する合間にもダンスステップをおさらいさせられ、スケッチするかたわらで外国語の知識を授けられた。

 テーブルマナー、着物やドレスの着付け、しゃべり方や歩き方を村井さんに指導された。

九十九さんを身近にしているときは特に用心した。金色のチョークを奪われまいと。

 講宿へ戻って諸見沢くんに情報を知らせたい。村井さんから得た情報を。あたしの考えを。

 ただちらっとでも姿を見るだけでもいいのに。

 何度も外出許可をとろうとしたけど、九十九さんもこの屋敷に住んでいる岩麻呂さんも首を横に振った。

「だめだよ麻央、君がぼくの妹としてどこへ出しても恥ずかしくない立派な華族令嬢にならないうちは屋敷から出さないよ。君の監視役というのが、ぼくが伯父上からあたえられた仕事だからね」

 イングリッシュガーデンの木陰でそう告げられた。

いつもはあたしのそばに村井さんがいるのだけど、このときは岩麻呂さんと二人きりだった。マモリガミのカナリアがあたしの肩に乗り、洋装のえりぐりからのぞいている鎖骨あたりをつつく。痛くはなかった。むしろくすぐったいくらいだ。なぜこの人のマモリガミはいつもあたしにまとわりつくのだろう。

「でも、村井さんは『そろそろ外出許可をあげてはいかがですか』と男爵に言ってくれましたよ」

「だめだめ」岩麻呂さんが人差し指を立てて左右に振った。「君の件に関しては男爵よりぼくに決定権がある」

「たかが外出に、決定権なんて」

「同じことを二度も言わせないでくれないかな」

 口元に笑みをたたえて岩麻呂さんがあたしをながめている。戦法を変えた。

「それじゃあ……門条男爵家に伝わる記録でも読ませていただけませんか?」

「書庫に何冊かあると思うけど」岩麻呂さんがなれなれしく肩に手を回してきた。「ぼくとおしゃべりするより、あんなかび臭い場所へ行きたいの?」

「あたし、門条男爵家にふさわしい人間になりたいんです」早口になった。さも急用を思い出したように身をひるがえした。「書庫ですね。村井さんに頼んでみます」

鍵を借りたのはその午後だった。

「ご指定の本があれば、部屋へ運びますので言ってください」

 村井さんはそう言ったけど、あたしは書庫にこもることにした。書庫といっても漆喰壁の古めかしい蔵で、屋敷の北側に建っていた。

 黒くて重い南京錠をガチャリと開錠し、分厚い扉を開く。

 入り口からのぞきこむ。蜘蛛の巣や埃がそこここにあるだろうという予想を裏切って、内部はただひやりとして暗いばかりだった。

そっと足を踏み入れた。

両側に棚がずらりと並んでいる。骨董品が収まっているらしい箱、平べったい箱、円筒形の箱、油紙に包まれた何かが種類ごとに重ねられ、納められていた。

「一目で書籍って分かる形やないのかもしれんぜよ」

不意に背中に声がかかった。振り返ると逆光の中に人影が立っている。思わず笑顔になった。

「どうしてここに諸見沢くんが」

 いまさら愚問だった。諸見沢くんは得意そうな表情で、気楽な足取りで蔵に入って来た。

「マキリさぁ、ぼくはネタ取りじゃき。どこんでも潜り込んじゃる」

諸見沢くんのいでたちはいつもの黒い着物と袴だ。袖はたすきでまとめている。その上、門条男爵家に出入りする庭師の前掛けをしめていた。

「……よかった、来てくれて。一人じゃ心細くて」

「マキリさん、改名したって聞いたよ。洋装も似合うなぁ」

 薄闇を透かし見る目つきであたしの様子に目を細めた。

クロはきっと、オオワシの姿でこの蔵の屋根に止まっているに違いない。気持ちが浮き立ってくる。薄暗い蔵の中が、ふわりと明るくなった気がした。

「庭師の仕事は午後六時までだ。それまでにマレビトに関する記録を探そう」

「うん。あたしは右側の棚を。諸見沢くんは左をお願い」

 あたしたちは箱を一つ一つ開いていった。埃が指先についてすぐにざらついた。

それでも手分けしたせいか、半刻とたたないうちに『依姫記』と毛筆で表紙に書かれた紐綴じの一冊を見つけ出した。とても薄い一冊で、しみや日焼けで紙が痛んでいた。いつの時代に書かれたものなのか想像もつかない。

「よりひめ……巫女のことなんだ」

「巫女……」

 古い文章で、旧字体の読めない文字があったものの数ぺーじめくるうち「業病」の章を見つけた。

 顔を寄せ合って小窓から入る陽光を頼りにあたしたちはそこに目を通した。指先で古文書をなぞりながら。

「概略はこうだ。……力が最高潮に達した門の一族の巫女は全身に植物が生じ、やがて黄金色に輝く棒に化身する。その棒で描かれた絵画は常世と現世を切り離す力を持つ。巫女が化身した画材で描かれたのが壁画の『扉』。マレビトが来訪するための『扉』である……」

 内容を低く読み上げてみて、間違いがないかどうか探る視線でお互いの目をのぞきこみ合う。あたしはうなずいた。ドレスのベルトに挟んである金色のチョークを抜いた。

「つまり……かつて内裏御所の奥にあったという、描かれた『扉』は、もしかしたら……こういうチョークで描かれた」

「たぶん、当たっていると思うよ」

 諸見沢くんの指が頁をめくった。

「……ここ扶桑国は常世と現世との境目があいまいである。マレビトの力を頼り、魔除けとしてマモリガミを与えられねばならなかった。けれど、巫女が化身した金色の棒で絵画を描くことで、常世と現世の境界線を新しく線引きできる……」

「新しく線引き? 封じるとか支配とかじゃなく」

「ぼくの想像だけど」用心深く前置きし、諸見沢くんがささやいた。「この『依姫記』を読んだはずだ、門条涼加さんは」

「あたしもそう思う」

 だからあの業病を冷静に受け止めていたんだ。

 そして金の流砂となってあたしたちを守ってくれた。

……涼加先生。あたしはそっと胸の中で呼びかける。あなたのことが、やっと分かってきました。

 一冊の『依姫記』を前にして、諸見沢くんとあたしは熱心におしゃべりした。

「影鬼がマレビトの手先ってことは明らかだ」

「……現世である扶桑国の山野が荒れ、河川も大気も汚染されたために常世にもケガレとゆがみが生じ、滅亡の危険に直面している。だからマレビトは扶桑国に緑を再生させるために、影鬼を出現させた。つまり、土や緑を再生させるために影鬼は生まれてくる、ということだとしたら……」

「だけど人食いというのはとんでもないことだ。……もしかしたら、マレビトが来訪するために必要な装置……描かれた『扉』……を失ったことで、現世と常世の均衡が壊れたのかもしれない」

「問題なのは……」

 言葉をどう選ぶべきか迷う。でもあたしは無理やり続けてみた。

「影鬼を捕獲して労働力に使うとか、マレビトそのものを支配するとか……。政府はマレビトを表向き『迷信』として扱っているのに、強大な呪術的な力を認めているんだよね」

「うん。だから支配下において国力を豊かにするための資源にしようっていう野心を持つ者が存在する。それが統制派で、彼らは門の一族の末裔である文麿男爵を要としている」

「だけど、本当に巫女として力を持っていたのは文麿男爵ではなく、娘の涼加先生だよ」

新しい『扉』を描くことを強制され、苦悩した涼加先生はここから逃げ出した。そして金色のチョークに化身してしまった。マレビトをいざなう『扉』を描くためのチョークは、常世と現世の境界線を新しく引き直すためのチョークでもある。

ここまで考えて、あたしはぎくりとした。同じことに気づいて、諸見沢くんも表情を強張らせている。

「執事としての九十九さんは、このことを文麿男爵に知らせるべきなのに、そうしなかった」

「しかもあの人は、我楽多号に影鬼を潜ませた。証拠はないけど、そうとしか思えない」

……この人は文麿男爵を出し抜きたいという野心があるのよ……

ずいぶん以前、涼加先生は九十九さんについてそう言った。

手元の『依姫記』にあった内容といままで見聞きしたことを突き合わせてみた。

「もともと扶桑国は常世と現世の境界があいまいな地理的位置にあるということだよね」

「らしいね。だから現世……扶桑国が荒れると常世も荒れて、滅びてしまう危険がある。マレビトの力は強くても『扉』が失われているから、直接来訪することはできない。だから人が影鬼を産みだすように力を使った……」

「再び『扉』を描くための巫女が涼加先生だった。でも、そのためには自分自身が絵画を描く道具になる必要があって……。全身に植物が生えてくる業病は、金色のチョークに化身するための準備だったということだよね。それを九十九さんは知っていたはず」

「くそ、ぼくをさんざんばかやわにしちょったけんど、あいつは人間やない」

 悔しがった諸見沢くんがお国言葉になった。

「マレビトを支配する野心がある統制派は文麿男爵……と思っちょったけど、違うかもしれん。男爵はヤツの隠れ蓑ぜよ」

涼加先生が化身したチョークは『扉』を描くのに重要な画材。統制派は当然、欲しがるだろう。

 でも、文麿男爵は涼加先生があの業病をかかっていたことすら知らされてはいなかった。

「もしかしたら、この『依姫記』の存在すら文麿男爵は知らないかもしれない」

「一族の長が『依姫記』を読んでおらんかったなんちあり得るろうか」

諸見沢くんの疑問は当然だ。

「本人に確かめたいけんど、古文書を男爵の鼻先に突きつけるわけにもいかん」

「男爵が目を通す『依姫記』がニセモノにすり替えられていたとしたら? 事業で忙しい上に、屋敷内のことは執事の九十九さんに任せっきり。ニセモノの古文書の内容を男爵は信じていたとしたら……」

「つまり、一族の巫女がマレビトを導くためのチョークに化身する前にどういう病に苦しむということすら、知らなかったというのか」

「たぶん、そうだと思う。文麿男爵は十六年前に離れのアトリエに涼加先生を幽閉して『扉』を描かせていた。その絵画だけで大丈夫だと信じていたんだと思う」

 一族の重いつとめを放棄した……と文麿男爵は十六年前の涼加先生失踪事件を責めた。

念をこめた素晴らしい絵を描くだけでマレビトを導く『扉』が出現するのだ、と信じていたからこそ、家出した涼加先生が許せなかったんだ。

まさか業病に苦しみ、巫女自身が画材に化身するとは、文麿男爵は想像もしていなかったに違いない。

あたしは用心深く言葉を選んだ。

「画才や絵を描く技術そのものを呪力として使う門条一族なら……もし涼加先生の次に呪術的な力を絵画にこめられる人がいるとしたら……」

 そこまで憶測して、その残酷さにぞっとする。

 苦々し気に諸見沢くんがうなずいた。

「函伊達で孤児院が影鬼に襲撃されたあのとき、九十九円蔵は待っていたんだ。……完全に涼加さんが金色のチョークに化身するのを」

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