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探偵になるまでの2,3のこと ⑫

 ランドセルを背負って玄関を出て傘を差した。路地を渡って右に折れたとき

「おい……」

 おずおずとした声がかけられ、ぼくと緑川さんはちょっと傘をあげた。

植木の枝、電信柱とコンクリートブロックの塀の影になった狭い小道。そこから篠田正次と下川秀和、佐野健司と宮本定克の四人組がいた。傘を差さず、レインコートをばたつかせている。

 身構えたぼくだったけど、四人の様子は変だった。

篠田正次はふてぶてしい表情をしているものの、その背後では下川秀和と佐野健司が宮本定克の身体を文字通り左右ではさんでいた。腕を取って逃げられないようにしているのだった。

ぼくと緑川さんの前に出ると、レインコート姿の篠田正次が腕を組んで居丈高に言った。

「全部、こいつが仕組んだんだ。犯人はこいつさ」

さもいまいまし気にあごをしゃくる。自分の背後で捕まえられている宮本定克を示す。ぼくは自然、緑川さんを背中にかばう姿勢になっていた。

「犯人? なんのことだよ」

 篠田正次はムッと口をへの字にした。

「宮本のせいなんだよ。お前にいやがらせしたのは」

「人のせいにする? 最低……!」緑川さんが叫ぶ。「あんな映像をよくもわたしに送って来たわね。盗撮なんかして、どういうつもりよ」

「盗撮じゃねーよ。まさか撮影してるとは思わなかったんだよ! 夏子。全部宮本のせいなんだ。公園で三加茂をシメようって提案したのも宮本だし、ネットにおれらがした映像があるってサイトを知らせたのもこいつなんだぜ」

 篠田正次が怒鳴る。声色はしかし、気おくれした感情のために冴えなかった。

ぼくは篠田正次が「夏子」と呼び捨てにしたことと、宮本定克が公園を指定したということが気になった。

「つまりさ、おれらそそのかされてさー」

宮本定克の片腕を押さえながら下川秀和がのらりくらりとした口をきいた。

「こいつが三加茂良真の父親があのニュースの犯人だって言ったんだよ。犯罪者の子と同じ学校に通うと、おれらの一生まで台無しになるって」

「そーそー、だから三加茂を学校に来られないようにしようぜって」

「犯罪者の子どもと席が隣だと、夏子が困っているだろうと思ったんだよ」

「どういうことだよ……」感情の波立ちを押さえながらぼくはつぶやいた。「たちの悪いネットチューバーの妄想を真に受けたとしても、なんでそいつがぼくの父さんを犯人だって決めつけたんだよ」

 そもそもあのとき「三加茂重彦」の名前がニュースで報道されてはいない。森部五色村ストーカー殺人事件を、なぜ宮本定克がぼくに結びつけたんだ?

 被害者の鷲尾麻美さんが父さんの部下だったと、どうして知ったというんだ。

 一組と五組というクラスの違い。文星小に転入したのはぼくが六年生に進級したときだ。昨日までこっちは宮本定克のフルネームすら知らなかった。それなのにどうしてこいつが?

「とにかく! こいつをお前に土下座させりゃあ、おれたちのやったことは帳消しだ」

「勝手なこと言うなよ!」

「そうだよ、ちゃんとみんなで良真くんに謝って。二度とこんなことしないって約束して」

 緑川さんがぼくに加勢すると、目をすわらせた篠田正次がいまいまし気にうめいた。

「実際、お前の父親は犯罪者なんだろ。ネットではそういう書き込みばっかなんだぜ」

「そういう問題じゃないでしょッ」緑川さんの声は悲鳴に近かった。「どうしてそうなるのよ。わたし、こわい。そういう考え方が……。あんたたち、お父さんのことを理由によってたかって良真くんにひどいことをして……どうしてそういう結論になっちゃうの?」

 どこかで窓が開く音がした。子どもたちのやり取りを聞きつけた近所の人が二階から顔をのぞかせたらしい。

「ったく、なんだよ! 良真くん良真くんってッ」

いきなり篠田正次が背を向けると、二人に押さえつけられている宮本定克の顔をいきなりひっぱたいた。

勢いで宮本定克の体が揺れ、顔が横を向く。雨水に鼻血がにじんで飛び散った。

「わ、こいつの鼻血がスニーカーにかかった、きったねー。何すんだよ!」

下川秀和たちが口々にわめき始めた。宮本定克の腕を取ったまま、左右から蹴りを繰り出してくる。

「ほら、謝れよ! お前が言い出したんだろ。三加茂が悪いって」

「公園でシメようって誘ったのもお前だろ。ネットチューブにコンテンツがあるって知らせたのも」

「そうだよ、おれたちをそそのかしたんだ! 悪いのはお前だ。さっさと土下座しろ」

 吹き飛んできた枯れた雑草の切れ端や小石を後ろ衿から突っ込まれ、ひっきりなしに蹴られるうち宮本定克の左腕が自由になった。片手で顔をかばいながら腰をかがめ「やめて、やめて」と細い声を上げる。ついにその場にうずくまった。

「よ、よしなさいよ、ひどいじゃない……もう、やめて。どうしてこんなことに……」

 目の前で起こっている乱暴に動揺し、緑川さんは傘を飛ばされそうになっておろおろと全身を揺らした。

宮本定克の脇腹に蹴りを入れてから、篠田正次がそんな緑川さんを振り返る。

「夏子のせいだからな。お前がそいつに謝れって言うからだ。そそのかした宮本をシメなきゃ納得できねーんだよ! だいたいマジ三加茂の父親は犯罪者だろ。ストーカーのパワハラ野郎で人殺し」

 ぼくは最後まで言わせなかった。傘を放り出して不意に篠田正次の前に飛び出すなり、シャツの胸をつかんでぐいと引きつけた。

「もういっぺん言ってみろッ。ふざけるなよ! なんでもかんでも人のせいにしやがって、結局お前は自分の頭で何も考えてないんだろッ。ぼくの次は宮本か?」

「放せよ! 夏子の前だからってカッコつけてんじゃねーよ」

 手をふりほどこうと邪慳に腕を振り回したが、ぼくは篠田正次を放さなかった。力任せに前後にゆさぶった。

「緑川さんは関係ないだろ! 父さんはあんな事件起こしてなんかいないんだ!」

「へ、ネット見ろよ!」

「それがでたらめだとは考えないのかッ。ばかはお前だよ! 謝ったって絶対ゆるしたりしないからなッ」

 耳元でそう叫んでいた。
 圧倒されて逃げ腰になる篠田正次へ足払いをかけるなり、右腕を相手のあごの下にくぐらせて身体を返す。背中のランドセルががたがたした。反動で篠田正次の身体が大きく後ろへ傾ぐ。ドシッと重量感を響かせて篠田正次があおむけになった。

一度見おろしてから、ぼくは地面にうずくまっている宮本定克、その左右にいる下川秀和、佐野健司らの顔を順々に見回した。

「謝罪なんか受け付けない。大体本心から悪いと思ってないだろ。父さんがいなくて母さんだって誘拐されたかもしれないのに、悪口並べ立ててひどいことばかりする低能をどうしてぼくが許さなきゃならないんだよ? 自分が何しているのか分かろうともしないお前らみたいなヤツ、地獄に落ちればいいんだ」

 その場にいる全員が、呆然とぼくをながめていた。いままで見くびっていた相手が、いきなり牙を向いたことが信じられないらしい。

少し離れたところで立っている緑川さんすら、いま起こったことに呆然としていた。

 空は重い雲でおおわれている。雨まじりの風はうなり声をあげていた。

近所の家々では、ところどころ窓辺のカーテンを開いている。路上での様子をうかがっている人影があった。スマートフォンを耳元にかかげている様子だ。きっと文星小学校に「子どもたちが路上でケンカしています」「台風だというのに子どもが騒いでいるんです」といった連絡をしているのかもしれない。

 どう思われたっていい。

それよりも気になることがある。

「宮本を残してもう帰れよ」

 決まり悪そうに篠田正次が一歩前に出た。ぼくを無視して緑川さんに片手を差しだしている。

「台風だからお前んチまで送るよ、夏子」

「やめて。一人で帰れるから」

刺々しくにらむ緑川さんに篠田正次がひるんだようだった。

「わたしたちただの幼なじみだから。その呼び捨てもやめて! 運命とかって思わないでよね」

「だけど、チョコくれたろ?」篠田正次の声は小さくて、風のうなりでほとんど聞き取れなかった。「バレンタインのときに」

「あれは義理だから。ママが正次くんにあげなさいって言うから、仕方なく」

 篠田正次の表情が固まった。気の毒なほど。ヤツの手下、いや友だちの下川秀和と佐野健司の二人が顔を見合わせた。

「じゃあ、おれたち帰るわ」

「台風だしな」

 二人は篠田正次の肩に声をかけ、目だけでぼくに会釈するとそそくさと歩き出した。それをしおに篠田正次も背を向けた。二人を追うように数歩進み、それから振り返った。

「……三加茂」口にするのはイヤそうだったけど、とにかく吐き捨てた。「ワルかったな……」

「よせよ、ムシズガハシル」

「ふん」

「もう二度とひどいことしないって約束してっ」

三人の背中に緑川さんが叫んだけど、誰も振り返らなかった。聞こえなかったのか、風の音の方が大きくて気づかなかったのかは、分からない。

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