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扶桑国マレビト伝 ⑭

 ついにオオワシのクロは足にからまっていた毛むくじゃら影鬼をビルの外壁に叩きつけた。べしゃりとはじける音がして、影鬼の鮮血と肉、体毛がそこにぶちまけられた。影鬼の遺骸を貼り付けたビルの外壁のその部分だけ、またたくまに緑地に変化していく。

そのすきに蹄を持つ影鬼がクロの首筋に両腕を伸ばす。爪を立てる。諸見沢くんが銃口をあげた。轟音が響き、クロが自由になる。

「戻れッ」

 苦し気に呼吸を荒げて諸見沢くんが叫ぶ。

真っすぐにクロが急降下してきた。地面に足をつけるまでに翼はオオカミの前肢になり、頭部も変わった。ぶるっと身震いすると名残の羽毛が抜け落ちて完全なオオカミになっていた。

鼻先を諸見沢くんに近づける。オオカミの頭を支えにして彼がやっと立ち上がった。

マモリガミは絆で結ばれた所有者から遠く離れることはできない。

あたしはハッと振り返った。

「あああ、おれのマモリガミが……」

絶望と恐怖に一人の警官がその場にうずくまり、頭をかかえている。彼のマモリガミが尾を後肢の間に入れて震えていた。

「もうだめだ! おれは食われてしまう……」

対峙しているのは昆虫の胴体に醜い顔がはめこまれた影鬼だ。その動きは素早かった。その場に風圧を残すだけの瞬間移動と急停止の動き。異様に口を大きく開いて、ゆがんだ笑みを浮かべている。ぞろりと鋭い牙が口元からのぞく。

 そこへ駆け寄りながら、あたしは左右の手を動かした。チョークの先で複数の文字を円形の中へ描きこむ。

そのあいだにも、諸見沢くんは驚いたことに別の一匹の影鬼に接近している。岩石の鼻を持つ影鬼だ。銃口を口につっこみ、そのままぶっ放した。影鬼の後頭部がふっとぶ。それでも生きていた。影鬼の顔を構成していた小石がばらばらと足元に崩れただけだった。頭を無くした影鬼は銃把を握る諸見沢くんの手を上からつかみ、左右に振り回しはじめた。すかさず諸見沢くんが相手の肩をつかんだ。

「来い!」

諸見沢くんの声に従って、黒いオオカミが猛然と飛び掛かる。

クロが影鬼の体をくわえるのと、諸見沢くんが手を放すのが同時だった。クロは一気に影鬼の体を噛みちぎった。

「……ケガレタ、ウツツヨ、トコヨニ、害悪……」

 いつのまにか背後にコウモリの翼と蹄を持つ影鬼が回り込んでいた。

いきなり髪の毛と肩をつかまれた。そのまま全身が舞い上がる。チョークを動かして弧を描く。イナズマの光りをまとった魔法陣が影鬼の顔を横殴りした。

 魔法陣をまともに受けた瞬間、影鬼の背からコウモリの翼が抜け落ちる。あたしは影鬼ごと路地に落下した。

振り返ると大きな影鬼の姿があった。皮膚も眼球も翼も、蹄さえもが一瞬にして黒ずんでいく。肉や内臓が朽ちていき、頭蓋骨、あばら骨があらわになる。

そしてすべてが緑色の新芽に覆われ、路地の上でひと固まりの土となって崩れていく。

「マキリさぁ! 無事か」

駆け付けた諸見沢くんに手を取られるまで、あたしは身動きできないでいた。

 

二本の金色のチョークを拾い、立ち上がって着物の袖やすその乱れを直した。ふところ深くにチョークを収めると、ようやく吐息をついた。そのあいだにも、先刻あたしが路地に放り出したカバンをくわえて、クロがやって来た。

警官の一人が興奮して手を差し出した。

「マモリガミがいないおじょうさん、一体どうやってあんな技を身につけたんだ」

 すぐに警官二人と柴犬に取り囲まれた。

胸のチョークが熱く感じられる。クロがあたしをかばうようにすりよった。その口からカバンを取ると、それを胸に抱いた。

「午後六時二十五分、影鬼五体が消滅」

 別の警官が声をあげた。

振り返ると、どの影鬼もたちも黒土の固まりになっていた。上面はびっしりと苔や草木が芽生え、キノコすら生やしている。

食い殺された人の姿は悲惨だった。石化しはじめている一人と、腕を噛みちぎられて絶命した一人……。

生き残った警官は三人だった。

「すごい技だ。いままで見たこともない」

「おじょうさん、君にはマモリガミがいない。真っ先に影鬼に食われても不思議はないのに、なぜ身を守れたのだ」

警官はあたしと諸見沢くんとクロを取り囲み、興奮を隠し切れずに言葉を投げつけた。

その中で、自分を取り戻したのは三白眼の警官だった。

「君たちはどこから来たのかね」諸見沢くんとあたしが連れだと見当をつけた三白眼警官が手帳を出す。「影鬼討伐への助力は見上げたものだが、あのような技を持つとは怪しい。それに君のマモリガミは大きすぎるな。思想に問題があるかもしれぬ。住所、氏名を記録する。正直に言いなさい」

「蝦夷地から」

 言いかけたあたしを素早く諸見沢くんがさえぎった。

「怪我人や石化がはじまっている人を病院に運ぶのを手伝いましょうか?」

「すぐ応援が来る。それより名を名乗れ」

「応援って、あの馬車ですか」

 警官たちの肩越しに目をやって、指さした。つられたように三白眼の警官たちがそっちを振り返る。

その一瞬の隙に諸見沢くんはあたしの手を引っ張った。クロは背を低めていた。その背中にあたしを横座りさせると、自分は素早くまたがった。

身を起こすなりクロが跳躍する。振り返った警官たちがどよめいてのけぞった。

待て! と背後で怒鳴る声が響いたけど、クロは足をゆるめない。蝦夷地の山を降りたときより猛烈なスピードだ。思わず諸見沢くんにしがみついていた。柴犬たちがぐんぐんと引き離されていく。

 角を曲がり、細い横道を抜けた。それからしばらく書店と喫茶店が並んでいる街角を走る。もう周囲は薄暗く、ガス灯にもレンガの建物の窓辺には灯りがともっていた。

 クロがやっと歩調をゆるめた。すとんと降りた諸見沢くんに手を借りて、あたしも路上に立った。

「いきなりどうしたの?」

「一言の感謝もなしで尋問みたいだったろ。気にいらなかったんだ」

「まあね、あたしもちょっとヤな気はしたけど」

「でも、マキリさんにも不思議な力があるみたいだね?」

「不思議な力って?」

「孤児院で涼加さんが盾の魔法陣を描いて影鬼を退けたときと、同じだったよね」

 ふところから金色のチョークを取り出し、それを見せた。二本のチョークはそれぞれ十二センチくらいだ。細長い金の固まりとなって輝いている。

「あのときの図形を思い出して空中に描いたの。これで描いたから、特別強い魔法陣だったんだと思う」

 チョークを持つあたしの手を押し下げて、諸見沢くんはささやいた。

「しまっといたがいい。……あまり人に知らせない方がいいような気がする。もしかしたら」

「なに?」

「もしかしたら、九十九画伯はこのチョークを欲しがっているかもしれない」

 倉庫街の裏路地にあたるらしく、洋食屋のたぐいはない。そのかわりに、あちこちに屋台があった。一椀十六銭の蕎麦屋、「だんご・汁粉」と木札を下げた屋台もあれば、スイカや瓜を切り売りしている小店が出ていた。麦湯売りもいる。

 あたしたちはその一つで蕎麦をすすり、歩きながら串だんごを食べた。

 やがて三叉路に出た。

「明日は帝都見物がてら門条邸に面会を申し込みに行こう。とにかくここが講宿だよ」

 レンガの三階建ての建物だった。板看板に『時計修理いたします』と書かれている。

 オオカミのクロの体の輪郭が崩れ、鳥の姿になった。翼で風を起こすなり、その建物の屋根を目指して舞い上がっていく。

 黒いドアを開くと壁一面に掛け時計がずらりと並んでいた。どれも大きさ、形、時刻もばらばらだった。秒針が止まっている時計もあれば、いきなりオルゴールの音を響かせる時計もある。文字盤の下にある小さな扉からオモチャのハトが飛び出してくるかと思えば、突き当りには金色の振り子を揺らしている大時計があった。

 店内には誰もいない。

 諸見沢くんはあたしをうながし、突き当りの大時計の前まで進んだ。

「これが宿の管理人みたいなものさ」

 大時計の振り子をつかみ、ぐっと下に引いた。壁の向こうでガチャリガチャリと機械音が響き、すぐ大時計の中のゼンマイが回り始める。壁がぐるんと動いた。

ううん、違う。大時計を中心に、あたしたちを乗せている床がぐるっと回転したんだ。

振り返ると壁面に小さなランプが下がっているホールにいた。壁が裏返ったと気づくのに少し時間がかかった。

「あのランプの向こうに共用の厠があって、隣のドアが洗面所。風呂は近くの銭湯『梅の湯』を利用するといい。入浴料は大人十文。ぬか四文。維新以前の天保銭がまだ使える。講宿の裏にあるから。それから講宿は二階から上が宿泊用の部屋だよ」

 声をかけられて階段へと急ぐ。

「もしかして、こういうカラクリ仕掛けの建物が帝都名物なの?」

「まさか。ここは互助組織のための宿だからね、影鬼が襲って来たときの場合、ご近所さんの避難所になるように設計してあるんだ。いつもは宿の人がいるんだけど、不在のときはあの大時計の振り子を引いて使っていいと言われているんだよ」

 階段を上がり切ると二階のフロアには五つドアが数えられた。

「誰だえ?」

突き当りのドアが開き、髪を肩に流した女の人が顔を出す。白いゆかたをまとっている。化粧焼けした荒れた肌をしていたけど、割ときれいな人。彼女のマモリガミらしい動物もいた。

普通のネコより一回り大きい。体色は茶色に褐色の斑点が散っている。左右の耳の先に筆の穂先に似た黒い毛がぴんと立っていた。オオヤマネコだ。

気取った腰つきでこちらへ歩いて来た。桃色の兵児帯がゆるいらしく、衿が大きくくつろげてあらわになった胸元がランプの灯りを受けて染まっていた。

「錬(れん)じゃないか、取材からもどったのかえ。……その娘は?」

「あれ、おみつさんまだ滞在していたんですか。こちらはレランマキリさん」

「マキリって呼ばれています。蝦夷地から来たばかりなんです」

 あたしが挨拶すると、ちょっと気だるい動きで髪をかき上げ、「そうかい」と会釈を返した。すぐ諸見沢くんを軽くにらむ。

「まだ滞在していた……とは相変わらず生意気だねえ。こちとらあんたより年上の学生を一度に三人はたらし込んで、月に五十円は巻き上げている凄腕だよ」

「おかげでカフェの女給をクビになり、借家も追い出されたんですよね?」

「世間を自由に渡り歩くのがわっちの生きざまさ」

「その点だけは尊敬しています」

「だけ、とはなんだえ、ダケとは」

 腕組みした諸見沢くんがじりっと後ずさりした。おみつさんがあたしのすぐ近くに来る。手に下げたカバンや着物を観察され、まじまじと顔をのぞきこまれた。オオヤマネコは廊下で伸びをしていた。

おみつさんの唇に、皮肉っぽい笑みが刻まれた。

「へぇーえ、すごい美人じゃないか。やるね、錬。取材がてら宿に女を連れ込むなんてさ」

 諸見沢くんの顔が気の毒なくらい赤くなった。

「は? なんのことです」

「おや、この子、マモリガミは見えないね。瞳の色も扶桑人らしくないし……」

「あたしにはマモリガミがいないんです」

 耳にするなりぎょっと目を見開き、おみつさんがあたしから離れた。オオヤマネコがうなり声をあげる。

「なんだえ、あんた影鬼かい? 錬のクロみたいにでかいのも考えもんだけど、いないってのはどういうわけだい」

 ほとんど怒鳴りつけるような声色だった。別のドアが二つ開き、「うるさいよ、おみつさん」「面倒はごめんだよ」「また誰かと痴話げんかかい」と声を上げてすぐに閉まった。

「はん、そうか」おみつさんが蔑むようにあたしを横目でにらむ。「異人さんとの混血で、マモリガミがいないってわけか。……蝦夷地だって? じゃあ土人と異人のアイノコかえ」

 土人とは蝦夷地に昔からいるシクヌ人のことだ。扶桑国本州に住む人々はなんだってそう呼ぶのだろう。自分たちと容貌や風俗が異なるからって。

「そうかもしれません」うんざりしながらも、あたしは腹を立てていた。「だけど、そんなことあなたに言われる筋合いはありませんから」

「ふん、錬も妙な小娘に引っかかったもんだ」露骨に舌打ちする。「マモリガミがいないなんてさ」

「おみつさんこそ妙じゃないですか」

 ムッとした表情で諸見沢くんが大きく息を吐いた。

「あちこちで浮名を流してカフェの仕事にしくじって、講宿に居座って、ときどき妙な手紙をぼくに寄こしますよね? 一度ちゃんと聞こうと思っていたんですけど、あれ、なんの暗号です? ああいう詩や散文? みたいなのはぼく興味ないんで三木先輩に送ってください。きっと感動するでしょうから」

「て、手紙って……。お前、わっちからの艶文が嬉しくないのかえ」

 言い淀むおみつさんの語尾を奪い、諸見沢くんが首をかしげた。

「つやぶみ? 素直に解釈してよかったんですか? 暗号解読に悩んでいました。でもまあ、安心してください。ちゃんと燃やしました。末尾に必ず『読んだあとで燃やして』って一文がありましたから」

「本当に燃やしたってのかえ? たらしのおみつと異名を持つ、このわっちからの艶文を。ああいう文を心底待ち焦がれている殿方は傾奇(かぶき)町にゃあざっと百人はいるってのに」

唖然としたおみつさんの表情には、ついさっきまでの色香はなかった。信じられない事実に打ちのめされ、呆然としている。

逆に諸見沢くんは目を輝かせた。

「え、百人もいるんですか。そんなら今度は我楽多日報に掲載します。これで購読者が増えるぞ」

「このガキ、ちょいとかわいいと思って誘ってやってるってのに、ネタ取りと購買者数のことしか頭にないのかいッ。ばかばかしいったらありゃしないよっ」

 顔を紅潮させたかと思うと、いきなり背を向けた。

そのままおみつさんは荒々しく部屋のドアに身を滑り込ませ、乱暴に閉めた。

壁に並んだドアの向こうで、再び「騒がしいよ、おみつさん」「たらしも形無しだね」といった笑い声が響く。宿の利用客たちが聞き耳を立てていたことがこれではっきりした。

おみつさんは『女』を売り物にして世の中を渡り歩いているんだ。そしていま、その自尊心が傷ついたのだと分かった。もう一つ理解したことがある。

諸見沢くんは、恋愛に、うとい。

たぶん、ううん、きっと……おみつさんが言っていた艶文は恋文と呼ぶのがはばかられるほど、露骨な誘い文句をつらねた内容だったのかもしれない。それを諸見沢くんに渡したのだろう。からかうつもりだったのか、暇つぶしだったのかは分からないけれど。

あたしと同い年で仕事をしている諸見沢くんを「大人だな……」って感心したことを打ち消しておこう。最後のおみつさんの言葉が、そのまま諸見沢くんに当てはめられると気づいたから。

「いきなり怒り出すなんて、やっぱり妙な人だ」

 首を振ってから、諸見沢くんがあくびをした。あたしもつられて口元を手で押さえた。いきなり疲労が肩にのしかかった気がする。

「女の人は二階の客室で、男は三階と決まっているんだ。ドアの脇に『二十五』と木札が下がっている部屋があるだろ」

 指で示されたドアにその木札があった。

「あの部屋がマキリさんの。じゃあ、ぼくはこのまま銭湯へ行くから」

 言い捨てて階段を降りていく。どことなく浮足立っているみたいだ。「あたしも銭湯へ行く」って声をかけたかったけど、おみつさんとのやりとりであたしを連れ歩くのが急に気恥しくなったのかも。諸見沢くんは手を振ってさっさと見えなくなってしまった。

仕方なく「おやすみなさい」と階段に言って『二十五』のドアを開いた。

 狭い部屋だ。三メートル四方ほどで、ベッドと小さな机とイスがある。蝦夷地から運んで来たカバンをベッドに置き、開いて中を見た。着替えや手ぬぐい、スケッチブックなどが入っていた。

歯ブラシを取り出して一度部屋を出て、一階の洗面所に入った。髪が洗えそうなほど深い流しが細長く造られていて、隅っこに大きな水桶とひしゃくがある。そこで歯を磨いた。

再び『二十五』室にもどると、足がよろめくほど睡魔が襲って来た。もう銭湯へ行く気はなくなっていた。

帯を解いて襦袢姿になると、あたしはベッドにもぐりこんだ。

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