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自身か、他者か。

毎日、暑いし、報道でも「猛暑」って。
それでも、相変わらず冷房は苦手。アイスクリームも苦手。
今日は午前中にキンキンに冷えたコーラを飲んでしまい、何も食べられなくなった今日この頃
#暑いのはイヤなのに、冷やす行為がいつまでも苦手
#キンキンに冷えたコーラ

さて、本題。
7月8日、言葉にならない出来事が起きた。
今日は、10日。やっぱり本当に「言葉にならない」って言葉がぴったり。という気持ちは全く変わらない。

特に安倍さんは、山口県出身のかた。こんな小さな私でさえお会いしたことがあり、気さくに話してくださる方。

政治信条とか、そういうことは置いておいて、
人として、地元でもとても人気のある人だったし、今もって地元は深い悲しみに包まれている。

やり場のない気持ち。怒りの持っていきどころがない。

なのに、テレビでは、政治家や著名人が「民主主義へのテロ」「言論への暴力はダメ」と。。
そうではない。犯人は、そんなことなにも考えてない。
それを、さらにあおって、テロと認定することで、問題が刷りかえられているように思えてならない。

どういう事情があれ、悪いのは犯人。それが大前提だとして、
犯人には、犯人の言い分があったから行動したんだろう。と。
自身にしか理解できない、自身にとっては正論や正義があったのかもしれない。
問題なのは、家庭や学校など様々な環境で壁にぶち当たったとき、どう他者が関わっていくのか。その仕組みから、あふれた人が一定数いるんだってことだと思う。

そして、そういう「あふれた人」が「怖いもんなし!」に覚醒してしまうこと。その時、こうやって社会に一瞬、表面化するんだろうなって。

攻撃の対象が「他者」に向いてしまうと、もう手遅れなんだと思う。
他者に向かう前に、何か本人に変わるきっかけがあってほしかったと思うばかり。
こうなる前にできることがあったはず。

経営も、人のせいにしては前に進まない。どんな事情があれ、自分が頭はってやる。って決めたなら、すべては自分の責任で解決しないといけない。
それを、あの人のせいで。あの出来事のせいで。って言ってても、一生解決しないし、前に進まない。

でも、一定数いるんだよね。そういう人。
自身を被害者としてしか可愛がることができず、他者に置き換えることで、逃げようとする人。

本当に、残念。
自身の人生を他者への感情で支配されて、犯罪をおかして満足ですか。
他者を責めることで、自身の問題が解決しましたか。


そして、無念。


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