帰るとと誰かが待っててくれている感覚を、初めて味わった日。
今日は恋人が家で私を待っている。
なんか色々あってややこしくなったうちのWi-Fiを直すためにやってくる通信業者を、出迎えてくれたのだ。リモートワークがしづらい私に代わって。
2時半くらいになって、あー早く帰りたいなーと一瞬中だるみつつも
5時半にはきっちり退社しないといけないから、さくさくどんどん仕事が進む。
これまで実家に住んでいたあいだは、当たり前に毎日家に誰かしらは居た。
一人で住んでから、独りで住む寂しさを知った。
そんな今だから、誰かが待っていてくれる部屋のあたたかさを感じられる。
帰ると誰かが待っていてくれている感覚を、初めて、「味わった」。
これまでは当たり前すぎて認識したことがなかったな。
失ってはじめて、「あった」ことを初めて認識することってよくあると思う。それがどれだけ大きいものだったかを、失ったときの自分の喪失の大きさを持って知る。
「ある」ときから、その大きさをきちんと認識して、有り難く思えるひとでありたいね。
誰かが家で私を待っていてくれている。
このこそばゆさ、わくわく、心地よい焦燥感、心に優しく降り注ぐ春の雨のような潤いを、覚えておこうと思った。
失って気付くまでもなく、大切に覚えていられるように。
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