俺島太郎
むかしむかし、ヴェネツィアという街に、心のやさしい俺島太郎という若者がいました。
俺島さんが純金のセグウェイで海辺を通りかかると、子どもたちが大きなカメを捕まえていました。
サングラスを額まで上げ、よく見てみると、子どもたちがみんなでカメをいじめています。
「OK, boys. 嫌がっているじゃないか、離してあげなよ」
「いやだよ。オラたちが捕まえたカメなんだ」
「caの発音が違うね。カメじゃない。キャメだよ」
「あっ……」
どうやら一人の男の子が気づいたようです。
「……ひょっとして俺島さん……ですか?」
「あっ!本当だ!俺島さんだ!」
「うわー!実在したんだ!」
俺島さんは、おもむろにギターケースを取り出しました。中には、伝説の100万人ライヴで使用していたエアギターが光り輝いています。
「このエアギターを弾いた時に使った、エアピック。これをあげるから、キャメを離してあげてくれないか」
「はい!」
「いい子だ」
俺島さんは子どもたちからカメを救い出すと、「Forever」という曲をその場で作り、心を込めて歌い上げたあと、海の中へ逃がしてあげました。
「これが噂の俺島太郎か……」
カメの頰には、一筋の涙が流れていました。
さて、それから2、3日たったある日。俺島さんが人魚とビーチバレーを楽しんでいると、
「俺島さん、……俺島さん」
と、誰かが呼ぶ声がします。
「このハ長調の声色、どこかで聞き覚えがある……」
「わたしですよ」
すると海の上に、ひょっこりとカメが現れました。
「このあいだは、ありがとうございました」
「やっぱり君だったね」
「はい、俺島さんのおかげで命が助かりました。そのお礼をどうしても言いたくて」
「いや、お礼をするのは俺のほうだよ」
「え……どういうことでしょうか?」
「君に作ったあの曲。おかげでCD化が決まってね」
「それはおめでとうございます。絶対に買います」
「ちょうど今から竜宮城ホールでライヴがあるんだけど、見に来る?」
「光栄です…!でも竜宮城というのは……ちょっと聞いたことがないですね」
「知らなくて当然、海の底にある会場だからね。それじゃあ、行こうか」
俺島さんはカメを背中に乗せて、海の中をヴァタフライで潜っていきました。
真っ青な光の中で、海藻がユラユラ。赤やピンクのサンゴの林が、どこまでも続いています。
「それにしても俺島さんっていい匂いがするな…」
カメがうっとりしているのも束の間。ふたりは竜宮城に到着しました。お城の周りには「チケット譲ってください」と書いた紙を持った人たちで溢れています。
会場に入ると、カメでも知っている有名人からお祝いの花が廊下一面に置かれていました。
「さぁ、関係者入り口はこっちだよ」
俺島さんに案内されるまま進んでいくと、それはそれは美しい乙姫さまがカメを出迎えてくれました。
「ようこそキャメさん。わたしは、俺島さんのサポートメンバーをしている乙姫です。このあいだは、俺島さんの新曲作りにご助力いただきありがとうございます。お礼に、今日はどうぞ楽しんでいってくださいね」
カメは用意された席に座ると、先ほどエントランスの花を送ってきていた有名人たちが、次から次へと近くの席に座ってくるではありませんか。
「こ、これが関係者席か……」
さぁ、会場は超満員。オーディエンスたちは開演を今か今かと待ちわびているようでした。しばらくすると会場のライトが消え、名曲「Messiah」のイントロが、8万人の大歓声をかき分けて響いてきます。
ステージには真っ白いスモークが焚かれ、うっすらと俺島さんのシルエットが見えてきます。悲鳴にも似た歓声が会場を包みました。
「OK, 今夜は帰さないよ」
俺島さんの第一声に、会場のヴォルテージは早速ピークを迎えます。
この日は竜宮城ホールのこけら落としということもあり、ファンにとっては涙もののセットリスト。ルネサンス期のバラード「戦慄の旋律」から最新シングルまで、188曲を熱唱してくれました。
今日は、カメにとって初めてのライヴ体験。そこはまるで天国のようでした。
「アンコール!アンコール!」
もう、これで何回目のアンコールなのでしょう。気づけば3年の月日が経ってしまいました。
そこでカメは、はっと思い出しました。
(家族や友だちは、どうしているだろう?)
カメは、近くの警備スタッフに言いました。
「今までありがとうございます。ですが、もうそろそろ、家へ帰らせていただきます」
「帰られるのですか? あと2万曲は残っていますが」
「いいえ、わたしの帰りを待つ者もおりますので」
するとスタッフは、寂しそうに言いました。
「……そうですか。それは名残惜しいです。あ、そうそう。俺島さんから預かっているものがありまして、こちらの玉手箱をお持ち帰りください」
「玉手箱?」
「はい。この中にはカ……キャメさんがこの竜宮城ホールで過ごされた『時』が入っております。これを開けずに持っている限り、キャメさんは年を取りません。ずーっと、今の若い姿のままでいられます。ですが開けてしまうと『時』がもどってしまいますので、気をつけてくださいね」
「はい、わかりました。ありがとうございます」
会場を後にし、地上にもどったカメは、辺りを見回して驚きます。
「たったの3年で、ずいぶんと様子が変わったな……」
たしかにここは、カメがいつも散歩をしていた場所なのですが、なんだか様子が違います。カメの家はどこにも見当たらず、すれ違う人も知らない人ばかりです。
「わたしの家は、どうなったのだろう? みんなはどこかへ引っ越したのだろうか? ……あの、すみません。カメの家を知りませんか?」
カメが一人の老人にたずねてみると、老人は少し首をかしげて言いました。
「……ああ、たしかそのカメなら、700年ほど前に海へ出たきりで、帰らないそうですよ」
「えっ?」
老人の話を聞いて、カメはびっくり。
竜宮城ホールの3年は、この世の700年に相当するのでした。
「家族も友達も、みんないなくなってしまったのか……?」
がっくりと肩を落としたカメは、ふと、持っていた玉手箱を見つめました。
「そうだ!」
あの時の、警備スタッフの言葉を思い出します。
"この玉手箱を開けると『時』がもどってしまいます"
「……もしかしてこれを開けると、自分が暮らしていた時に戻るのでは?」
そう思ったカメは、意を決して玉手箱を開けてみることにしました。
モクモクモク……。
すると中から、真っ白のけむりが出てきました。
「この煙、どこかで……」
そう、竜宮城ホールの開演時に見た、あのスモークです。
流れ出すイントロ。うっすらと見える俺島さんのシルエット。全てがあの時のままです。
「OK, 今夜は帰さないよ」
決してそれどころではないはずなのに、カメの体は自然と揺れ、気づけばペンライトを振り、俺島さんの名を叫んでいました。
「ああ、こんなことしている場合じゃない!」
第1部が終了すると、カメは楽屋に駆けつけました。
「俺島さん!」
第2部で着用するであろう漆黒の衣装に袖を通しながら、俺島さんは振り向きました。
「やぁ」
「いただいた玉手箱を開けたら、みんな……、みんないなくなってしまったんです」
「OK, 心配いらないよ。あの2階席を見てごらん」
舞台袖から2階席を覗くカメ。そこにはなんと、カメの家族も友達も、みんないるではありませんか。
「さぁ、思い切り第2部を楽しんで」
これはいったい、どういうことなのでしょうか。たしかに700年の時は過ぎたはずなのに、みんな生きています。俺島さんの曲に耳を傾けながらも、カメはそのことばかり気になってしまいます。
「OK, それじゃあここで初披露の曲を」
俺島さんのMCにオーディエンス達が沸きます。
「これは俺が、とあるキャメを助けた時に作った"Forever"という曲で……」
「あの時の曲だ……」
カメがこの曲を聴くのは二度目ですが、当時はいじめられていた直後ということもあり、実はちゃんと聴くことができずにいました。
そして、"Forever"の歌詞をちゃんと聴いたその時、全ての謎が解けます。
「そうか、わたしは1万年も生きられるのか」
謎が解けたカメはすっかり元気を取り戻し、残りのライヴを満喫。帰りたくない。もっと聴きたい。そんな思いから、何度も何度もアンコールを叫び、気づけば1万年が経っていました。
そして、警備スタッフから玉手箱を受け取り、帰路へとつくのでした。
おしまい