もしあなたにまだ考える力が残っているのならば、読んで欲しい。

最近、やっと分かったことがある。

俺はここ最近ずっと

「自分の思想とはなにか?」

と自問し続けていた。

思想家になると決めたはいいものの「これが私の思想です」と呼べるものがなく、でも自分は一角の人間ではないにしても、人生の意味や生きる意味、そして何よりもこの社会のおかしさについて誰よりも真剣に考えてきた。

思想家として舵を切りたいのに、これが自分の思想ですと言えるものが無いことに正直、焦りも感じていた。

しかし今日、ようやくその一つの答えを得た。

「俺自身の思想がどうとかではなく、現代社会の本質的な問題は多くの人が「自分自身の思想」を持ち合わせて居ないことこそが問題なのだ」

というモノだ。
思想というものは「これです」というように捉えられるものではないのだ。

しかし、たえば俺は

「ヒートテックは必要ない。何故ならば人間の肉体には、寒さに打ち勝つ能力が備わっており、本質的な問題はこの寒さに打ち勝つ機能を失うような抗酸化作用に乏しい食生活をしていることこそが問題なのだ。そしてそれは生理学を用いて褐色脂肪細胞が増えるよう生活をすれば容易に解決できる」

という考え方すなわち思想を持っている。
またこの思想に加えて

「本来必要の無いモノをさも必要だと思わせて売りつけてくる資本主義的な洗脳には従わない」

という考えや意志もある。
けれども、多くの人は「寒い=ヒートテックを着る」と言うような行動に出る。何故ならば多くの人がそうしていて、それは多くの人がそうするようにマーケティングされているからだ。
でも、俺が科学的に調べてみて実際に試してみた結果で言えば東京位の寒さであるならばヒートテックなど着なくても余裕で生きていける。
(北海道や極寒の地では必要だと思うが)

こういった例を他にも挙げるならば「白米文化」が挙げられる。
俺は寿司屋以外では雑穀玄米しか食べない。
何故ならば玄米の方が圧倒的に栄養価が高く、そして食物繊維に富み、腸内細菌の培養に一役買うからだ。また、押し麦を入れて水溶性食物繊維の摂取も欠かさない。これも自ら調べ、考えた結果だ。

けれども、社会におけるお米の消費は95%以上が「栄養価が少なく、血糖値スパイクを引き起こす栄養価に乏しい白米」に依存している。
そして白米や小麦を肥満の悪者に祭り上げて「糖質制限」なるものまで生み出した。
でも、考えて欲しい。この糖質制限に取り組む人々もその本質を理解していないし、なんとなくみんながやっているから、良いらしいからと言うような理由で取り組んでいる。
こういった事例はいくらでもある。
カロリー理論が正しいと未だに信じている女性たちや、BMIが重要な指数だと信じ込んでいるトレーナーや栄養士。(実際にこれまで会ってきた)

こう羅列して考えてみると、自らの考えではなく、借りてきて余所者の価値観や判断を拝借して生きることを「思想がない生き方」と定義づけられる。
疑うことをせず、社会にあるものはまぁそれなりに正しいと疑念もせずに、大勢に流される。
確かに楽な生き方であるし、自分で考えなくて済む。疑うことは考える力を要するし、調べる時間も必要になる。平たく言えば面倒くさいのだ。
言い換えるのであれば今の現代人は食べ物同様、考え方や生き方までもが「インスタント」なのだ。
料理をしたり、栄養を考えるのが難しいように自分の行動の理由や意味を考えるのが面倒なのだ。
そして、面倒になるように仕向けているのもっともな機関こそが義務教育であり、そして社会的な刷り込みである。
これらの義務教育や社会的刷り込みは考える力そのものを奪い、逆らう者を嫌い、真実ではなく、自分たちや搾取社会にとって都合の良い人間を作り出すための機関なのだ。
従った暁には安定した大手企業への就職が約束され、多くの人間はこの安定欲求をコントロールされて従う道を選ぶ。
そうやって何十年も過ごせば、考える力なんて失われる。
従う事以外に選択肢が無い人間が出来上がる。
もし、社会が本当に自立した、自らの力で考え生きることが出来る人間を育てようと思っているのならば、もっと多くの生きる知恵を生徒に授けるはずだ。しかし、今の日本社会における教育機関は税金の正しい仕組みも、将来生きていくのに本当に必要な知恵も授けようとはしない。何故ならば、自らの意志で生きる事が出来る強い人間は国にとっても、そして搾取する側の人間たちにとっても都合が悪いからだ。
依存しなくては生きていけない、そういう弱い人間たちの方が扱いやすく、そして搾取しやすいからこそ、真の人格や強く生きる力を授けるような教育を行わないのだ。
こうした教育機関の廃れ、本質を失った状況を観ても、我々個人個人が考える力を失い、そしてそれが故に搾取されていることも容易に理解できる。
そして、その根本的な問題は「考える力」そして「疑う力」を奪われた事に他ならない。

だからこそ俺は徹底して考えている。
真実をベースに仮説を立て、検証し、人生を効果的に生きる方法をずっと模索し、ずっと考えている。
社会が「良い」と言おうとも従わない。可能であるならば論文や研究データを調べ事実をベースに自ら判断する。思い込みや刷り込みに頼らず、判断に値する情報を元に判断する。
根本的な考えとして、カール・マルクス氏が資本論で述べたように資本主義は洗脳や刷り込みによって本来必要の無いものを必要と思わせることで労働と資本を搾取しようと仕向けていると理解している。
だからこそ、俺は徹底して疑い、すぐには信じないし、まして社会構造そのものも信じていない。

つまり、これが俺の思想だ。
国や社会が良いとするものを何の疑いもせず信じるのではなく、どんな物事でも疑い、そして自ら考え、自ら答えを出し、自らの考えに従って行きていく姿勢と考え方こそが俺の思想といえる。

これはある種の哲学とも言えるかもしれない。

しかし、こんな世の中だからこそ誰かが常識、そして根拠も無く正しいとされている考えや習わしを徹底して疑い、そして考え、こんな社会に従わなくても良いんだという証拠や生き方や考え方を提唱しなければならない、そう強く信じているからこそ俺は思想というものに強く固執しているんです。

燃えたぎる情熱に任せて勢いで書いたので、上手くまとまっていないと思いますが、とにかく今こそ社会や常識を正しく疑い、そして人々が幸せになれないような社会の在り方も考え方もすべて「間違っている」と言える強い思想が必要なのです。
俺はこれ以外に、本当の意味で悩める人々を救う方法は無いと思っています。洗脳から目覚めて、真に覚醒しなけば考える力は目覚めません。
でもそれこそが日本社会を正しく導く、唯一の方法でもあります。

そしてこの考え方は自分自身の現代版リベラル・アーツの原点にもなっています。この現代版リベラル・アーツこそが俺の思想の真骨頂です。
今後は自らの思想と共にこのリベラル・アーツについても述べていきます。

今日はこの辺でお開きにしたいと思いますが、思想家を目指すと言ってもまだまだ駆け出しなので、自分の考えを上手くまとめるのが下手っぴなのですがこれからもっともっと、分かりやすく、そして理解しやすいようにお伝えしていけるよう努力していきますので、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

關 貴仁

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?