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初恋の志々雄真実という男 それと自分語り

※この記事には『るろうに剣心』のネタバレが多く含まれます※


私の初恋、それは志々雄真実。

ぐっとくる男は他にも居る。中華一番!のシェルさん、白鯨伝説のエイハブ船長・・・今なら蒼天航路の曹操様もいいし、最近ならゴールデンカムイの海賊房太郎も・・・。

(後半で分かる通り私は根っからの『王様志望』好きである)

しかしナンバーワンは志々雄さま。他の男にはない身勝手さとセクシーさ、そして懐とカリスマがある。でもこれは恋というよりは、居場所への渇望という方が近い。

るろうに剣心を読み始めたのは保育園、連載やアニメが京都編に入ったのが小学校低学年頃。

セラムンやドラゴンボールなどの有名どころ、衛星アニメ劇場も楽しみに見ていたが、一番『るろうに剣心』が好きだった。

なぜなら他の作品はフィクションだったから。いや、るろ剣もフィクションなんだが他の作品は私の生活とかけ離れすぎていた(先に言っておくと、るろ剣賛美ではない)

子どもの頃に見る作品は人々が愛し合っていて、子どもが大人に守られて、ピンチは強い人が助けに来てくれて、辛いときも仲間が居て、男同士には熱い友情があって・・・

そういったことはあまり無いからこそフィクションとして希望を与えるために描かれるのだが、幼少期の私にはそういう当たり前がわからなかった。

(つまり、大人向けのストーリーと言えるもので手元あったのが『るろうに剣心』だけだったのだ)

私にとっての生活とは、祖父母が物を投げ合って喧嘩し、祖母がなにかにつけて私を殴ってコンロの火で炙ったり、服を脱がせて雪の中に放り込んで笑ったりする日々のこと。

村の大人に助けを求めると、知らない振りをして家に戻るように促す。それを見た祖母は「お前はみんなから嫌われている」とまた笑う。

保育園では年配保育士が、次の日の持ち物をわざと教えなかった。幼い私なりに抗議すると、「先生とめそ丸ちゃん、どっちが正しいと思う?みんな正しいと思う方に集まれ〜!」と仲間はずれにし、失敗すればみんなで一緒に笑うように指示し、見えないところで肌をつねりあげた。給食は理不尽なほど量を増やされて食べきらないと遊ばせてもらえなかった。

週末は父母の家で過ごせたが、祖母に「両親はお前が嫌いだ」と吹き込まれていたので毎日怯えていた。お出かけに姉だけ連れて行かれたり、逆に出先に忘れて置いて帰られると本当のことなんだと咽び泣いていた。

唯一優しい姉に守られながら大人の機嫌を伺って過ごすうち気づいたことは、泣けば泣くほど状況が悪くなるということだった。だからなるべく反応しないように、笑顔でいるように心がけた・・・という所で聡明なオタク諸君はお気づきか!???🤓

これって、るろ剣の宗次郎の過去回のやつなんすよね

16巻で初めて自分の生活と似たキャラを見た衝撃たるや。宗次郎には姉のような存在も居ないし、も〜〜っと、ず〜〜っと酷かったんだけど!!私が虐待という概念に初めてふれたのがそのシーンだったってわけ!

でも、もっと衝撃的だったのは志々雄さまの言葉。

「お前が弱いから悪いんだ」


優しい姉にも「お前はサルか?」と、注意されるほど単純だった私に電流走る!

「そーじゃん、めちゃくちゃ強くなって皆を怯えさせればいーんだ!!」


どこの悪役かと思うくらいイカれているが実際、発想元が悪役なのでしょうがない。

だって数巻前にめちゃキレイな女(由美さん)と温泉入ってたセクシーな男が、生きるきっかけをくれたあげく「ついてくるか?」なんて・・・惚れるしかない。

それから大人に怯えて暮らす毎日が一変した。

私も十本刀になって志々雄さまのおそばに行きたい!国盗りを目論むナイスガイのお役に立ちたい!

重いもの上げ下げして筋力をつけ、大人用のシャベルを振り回して剣術に励んだ。私に『百識の法治』は居ないので、姉に請うて勉強も教えてもらった。

雨の日は傘で牙突を、水泳のときは水面で二重の極みを練習した。くだらない修行だったが、何故か鉛筆や箸、コップなど持つ物をことごとく破壊してしまうほど強くなった。

だがそのパワーが祖母に振るわれることは無かった。祖母は癌が見つかり衰弱していったからだ。入院のため、陰鬱な村から脱出することになった。

しかし爆誕してしまった怪力クソガキがもう戻ることはない。転校数日で、女子をいじめる不良に金蹴りを食らわせてクラス内で高いヒエラルキーを得た。

不良は劣等感からか負けると仲良くなろうとする。友達と下校していると後からついてくるようになったが、たくさんのクラスメイトと楽しく下校するなんて初めてだったから一緒に歩けて本当に嬉しかった。

何より彼が見せてくれた父親による根性焼きの数々。村の外も同じで、虐待を知りつつ誰も子どもを助けない。職員駐車場の木の上で聞いてしまったが、担任はむしろ疎ましいと思っているらしかった。

でも私はむしろ教師には気に入られていた。
勉強ができたからだ。法治、ありがとうな。

身バレするので詳細は伏せるが中学校でいじめが活発になったとき、ターゲットだった時も、そうじゃない時も力で全員ねじふせた。だが、教師は成績上位圏の私に文句を言わなかった。それどころかよくやったと褒め称えた。

傍観していた生徒が「スッキリしたよ〜」と口々に言いに来たのもムカついた。

根性焼きの彼と私の違いは成績だけ。暴力生徒にはちがいないのに、なんなんだこの反応の差は。能力のある十本刀を罰せずに利用するのと同じじゃないか、憎き明治政府め(無関係)

ますます「痛みを知る人間が強くなって、恐怖で支配するのがたった1つの正解」と信じるようになる当時の私。

安心してほしいが流石に今なら別の支配の繰り返しであると理解できる。でも私は本当に志々雄さまの言葉によって自分の命を守り、周りの人々と同等に過ごせるように人生を持ち直したのだ。

ベストなやり方ではなかったと自分でも思う。だが他に子どもが自分の生活を守るすべがあっただろうか。

捨て駒だとわかっていても自分がいることを喜んでくれる人が他にいない。それどころか、生きるのを許してくれる場所すら他に無い。

カルト宗教や闇バイトなるものを見ると、幹部はそういった人間の承認欲求をよくわかっているんだろうなと思う。

剣心の「今からではもうやり直しは効かぬのか・・・?」という問いに答えるなら、社会の事例は手遅ればっかりだ。残念だが手の届く範囲にいる人を守るという、連載初期のセリフが人間の限界なんだろう。

今の私はどうか?
志々雄さまはもう居ない。自分が仕えたいと思うような理想の王様なんてのは元から居ない。必要としてくれる場所という幻想を愛していたという意味も含めて、初恋だったんだろう。

これからは自分が王になる力を手に入れるか、宗次郎みたいにゆっくり考えるしかあるまい。

でも志々雄さまを超える王に会うことは、今後も二度と無いと思う。

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