夏休み

 夏休み。盆と正月が一遍に来たような最高の言葉だ。最も、夏休みには盆しかないのだが。

 8月4日の木曜日の午後から正式に夏休みに突入した。午前中に終えた数学の試験の結果が若干気掛かりだが、どれだけ気にしても点数は上がらないので気にするだけ無駄である。履修した授業の単位を敢えて1つ2つ落としておくのが大学に於けるマナーだとかマナーじゃないだとか。

 1年以上前の任意の時間軸にいる自分に大きな希望を含ませて伝えたいことがある。「大学生の夏休みはとてつもなく長い」ということだ。8月上旬から9月下旬までの約2か月。中学生や高校生の頃は夏期講習という狂った風習があったが、大学生にはそれも無い(ある人もいるが)。勉強なんてやっていられないくらい暑いから夏休みが存在するのに、その枠に夏期講習なんざを持ち込んでくる感性はイカれているとしか言い様が無いと常々思っている。せめて、夏休みらしく。庵野秀明もそう言っている。言っていない。

 夏休みの裏風物詩とも言える、大量に課される宿題や絵日記、読書感想文も無い。8月31日の徹夜は二度と経験しなくても良いし、もうできない。大変な思いをするからこそ、夏休みという現象は脳裏にセピア色をはっきりと残してくれるのかもしれない。思い出になる夏を作るのは夏自体ではなく、自分なのだ。ダラダラしがちな暑い夏こそ何かに熱中するべきだ。ということで、折角の長い長い休みを湯水の如く使ってやってみたいことを自分なりにまとめてみたので読んでほしい。ちなみに、この「ほしい」は補助形容詞なので、漢字ではなく平仮名で表記するのが本来とされている。

 まずは読書だ。本を殆ど読まずに成人を迎えてしまったので、これまで過ごし損ねてしまっていた、インクの付いた紙と共に過ごす青春を取り戻すかの如く本を読みたい。ジャンルは純文学から小説、建築史、芸術論まで、とにかく活字を摂取するつもりだ。読書感想文もこのnoteに書くかもしれない。

 次は映画鑑賞だ。アマゾンプライムの学生プランなら半年間無料で映画を楽しむことができる。格安でコンテンツを楽しめるので、大学生にとっては嬉しい限りだ。別にステルスマーケティングをしたい訳ではなく、ただ事実をここに記したらそれっぽくなってしまっただけだ。自分は曲がりなりにも大学の映像研に所属しているので、1日に1本とは行かずとも、沢山の映画やドラマ、アニメなどの映像作品に触れたい。これも書けそうな作品があったらnoteに感想文を書くつもりだ。

 建築学生ゆえ、様々な建築物にも目を通しておきたい。京都は歴史的な寺社のみならず、興味深い近現代建築が犇めき合っているイカした地域だが、折角の長い休みなのだから県境を跨ぎまくってみるのも良い。建築はやはり実物に限る。

 もう一つは漠然としているが、アウトプットをしようと考えている。イラストや漫画、動画やストップモーションを使っての映像作品制作、レゴ作品制作、短編執筆、作曲、CG制作、ゲーム制作など、やりたいことはこれまた沢山あるのだが、これらに取り組むための準備段階としての膨大な情報やスキルのインプットが必要となるのは言うまでもない。読書や映画鑑賞によって得た知識やスキル、センスを余すことなくアウトプット活動に注ぎ込みたい。創造的人生の持ち時間は10年だ、と風立ちぬのカプローニも言っている通り、この夏には暑さに負けてぐずぐずしている時間など最早どこにも無いのである。

 体調に気を付けて、充実した夏を過ごしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?