忙しくない

 日記を途絶えさせている。自分の日記は自分しか書かないので、完全に私の所為ということだ。しかしおかげで充実な夏休みを過ごすことができた。地獄の7時間監禁和歌山旅や琵琶湖汚水伝説など、特に9月後半はアクティヴであったため、目的は達成されたと言ってよい。また春休みにでも。

 さて、大学が始まってからというもの、私はさらなる忙しなさに追われている気がする。バイトを始め、大学祭のデザイン関係のボランティア(お金は発生しないので、図々しくもこう呼んでいる)も任されている。他にもレゴの展示や映画制作等いろいろやっていて、とても教習所に行けるような時間を捻出できていない。でもそれぞれが楽しいので今のところは上手く回っている。

 社会に出てからはバキバキに労働をしできるだけ大きなお金を手に入れてデカいだけが取り柄のバスタブに札束と麗しいお姉ちゃんを浮かべ笑むのが美徳とされるが、一方私は我儘ながら十分な睡眠をとり、その時に好きな事だけを壊れたおもちゃのようにやっていたい。頑張るという言葉は自分の容量に合っていないことをやるかのようで気に入らない。大学生の時点で忙しいやら寝てないやら言う人がいるが、今の時点でそれなら一生その繰り返しだと思う。そういうのが好きな人もいる。しかし私は勝手ながら、徹夜という状況が成立するのは日中何も活動していない証左だと考える。日の出ているうちにめきめきと頭と体を動かしていれば日暮れには自然と横になる、というのが人間生活と言うべきものではないのか。これ以上の勝手は誹謗になるので差し控える。

 例えば友人に「今忙しくてさ」なんて言ってしまうと向こう数か月はご飯に誘われない。多少無理をしてでも会って話をしたい存在こそが友人というものだ。この単純な思考を展開し移項すると、人生終始暇そうにしておくのが得策であり、もっと言えば仕事という仕事を入れず暇にしておくのが良い、という解を得られる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?