二回生になった

 タイトルの通り二回生になったは良いものの、身も心も一回生の時と変わりはなく、寧ろ荒んでいるように感じる。底なし沼の中を滑空している気分である。脳みその中がドロドロとしていて釈然としない。臼のように重い荷物を背負って京都の家に帰ってきたばかりだからであろう。近所のTSUTAYAが砂場になっていた。

 私は長期の休みの度に地元岡山に帰省している。帰省先から京都に帰る時は十中八九新幹線だ。だいたい一時間で京都駅に到着する。文明の利器は素晴らしい。素晴らしいのはその利便性ではなく、車窓である。窓際に近付いて、ベルトコンベアのように視界に現れては消えていく風景を眺める。ただ眺めるだけ。それなのに、それでしか込み上げてこない感情がある。とても、よい。自分という人間の核の部分に触れているような、それでいて、無限遠にある得体の知れない何かに触れようとしているような、不思議な感じだ。数年前に買ってもらった安いコンデジのシャッターを切り、動画を撮って、また眺めた。最近年なのかよく涙が流れるのだが、無理に涙を流すほど野暮なことはない。そして涙の有無に優劣はない。

 建築をやるつもりで大学の門を叩いたはずなのだが、今年からはデザインを本格的に学んでいくことになった。ここを広げると話が長くなってしまうので今回は割愛するとして、取り敢えず、トリッキーなカリキュラムになっている。なるようになるという精神で楽しんでいきたい。

 数年前では思ってもみなかった方に物事が動いている。自分の身に起こることを制御できない人生の仕組みに、時に不安にさせられるが、それも紛れもない自分の人生だ。その事実に私は救われると思う。

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