2024-08-04_「なぜ人生が思った通りにいかないのか?」と自問したときに考えること

「人生とはそんなもん」と言ってしまえばそれまでではあるんだけども、周囲を見渡せば幸せそうに過ごしている人たちや上手くいっている人たちで溢れていて、「どうして自分は何をしても悪い方に転んでしまうんだ!!」と内心思う時がある。

自分はこの手の感覚に対しては、"運"と"流れ"だと捉えるようにしていて、まず、大前提として自分の努力や意思決定ではコントロールができないことが圧倒的に多数であるということ。

基本的には何しても悪い方に転ぶ時というのは、自分の力ではどうしようもできない問題で溢れている以上「そういうときだから仕方ない」としか言えない。人生には何をしても悪い方に転ぶときもあれば、逆に何しても良い方に転ぶときというもあって、それらは流れみたいなものがあると思うんですよね。だから「今はそういうときなのだ。じっと耐えよう。」と辛い気持ちを言い宥めるようにしてる。

次に運の話。
とても好きな捉え方のひとつに「運は貯めるか、使うかしかない」という考え方がある。この考え方は書籍『運転者』の中で使われている考え方なのだけれども、僕はすごい好きだと思った。人によっては嫌いとか、気持ち悪いと思う人もいるらしいけれど、僕はすごい好き。

理由は単純で長い長い年月を地獄のように過ごしてきた自分にとって、「どん底がずっと続いていた25年以上の長い時間も運を貯めていた」と考えるとかなり救われた気持ちになれるから。そしてその考え方は先に述べた"流れ"の話にもつながってくる。

ただ、「今はそういうときなのだ。じっと耐えよう。」なんて綺麗事を自分に言い聞かせても、人から言われても、目の前にある辛い現実を受け入れるなんて到底できない。しかし「運は貯めるもの」と捉える考え方がベースにあれば、それも受け入れられるようになる。むしろラッキーとすら思えてくる。

なぜなら運を貯める機会を得たのだから。
上手くいくことばかりの状態というのは、すなわち運を使い続けている状態であって、当然貯めていた運はどんどん減っていくことになる(まぁ、ほんの物語のように明確な数値が見える訳じゃないから概念の話でしかないけれど)。逆に上手くいかないことが続いて辛い思いをたくさん経験していること、すなわち運の貯蓄を作っているということ。

いつかどっかのタイミングで今苦しみを耐え抜いて貯めに貯めた運を放出するときが来ると想像するとワクワクしませんか?
物語の中では「チャンスはそこら中に転がっているけれど、そのチャンスは自分自身の気分が良い時しか見つけることができない」とされていて、見逃してしまったチャンスをあとになってから掴むことはできないらしいから、苦しくても辛くても上手くいかなくて焦っていても、気分良く過ごしていたいとは意識して生活しているつもり。

同時に「チャンスはすぐに何か現実が変わるものでもない」ともされている。「チャンスを得よう!」と躍起になっていると本当のチャンスを逃してしまうよー、という話ですね。「これはチャンスだ!!」と思って飛びついても最初は何もない、たとえば運命の出会いも最初はなんてことない雑談だけかもしれない。でも時間が経ってその縁が大きな仕事を運んでくるかもしれないし、自分の人生を大きく変えるきっかけを運んできてくる縁になるかもしれない。でもそれは短期的にはわからない。

それもかなり意識しているつもり、今すぐどうこうならなくても「未来にタネを蒔く」くらいの感覚で人との出会いや、新しい知識・スキルの習得や、知らない世界を体験してみたりを捉えてる。

まぁ、素直に無駄っぽいことを楽しめってことですね。
目先の利益を求めていたら日常生活でなんの用途もないのに「よし、韓国語の勉強しよう!」なんてならないわけ。なにより無駄っぽいことってうまくいくとかうまくいかないとかそういう俎上にないじゃないですか〜?だから実生活で何一つ上手くいってなくても自分の気分を最低限ポジティブに保ってくれたりもするんすよね。実際、韓国語能力試験受けてみたけど別に合格でも不合格でも知らない言語や文化がたくさん知る機会になったから無条件に楽しかった。

貯めている運が開放されるチャンスを得るためにはこういう一見無駄っぽいことの積み重ねだと思うんです〜(ただの持論)

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