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イッセイミヤケと出会って、服を着るのが楽しくなった私の22年

今年8/5に「イッセイミヤケ」デザイナーの三宅一生氏が亡くなられました。KENZOの高田賢三氏が亡くなった時もですが、訃報を聞いて驚きもありながら、こうして時代が移り変わっていくんだな、としみじみ思いました。

あ、私は知人でも関係者でもなんでもないです。たいしてお金もない貧乏会社員ながら小銭を貯めては、都度ここの服を買い求めて早や22年ほどになります。ただの一お客。たいしてお金を落としてもないので、優良でもない。

なのですが、過去に買ったものを色々振り返ってみて「服着るのが楽しくなったのは、ミヤケのおかげだな。感謝。」と思ったんですね。
※私は愛情をこめてブランド名を"ミヤケ"と呼んでいます。敬称略でごめんなさい。

シーズンごとにもらうルックブック&ポスター、
の一部。22年分たまってる。

三宅さんがやってきたことや、イッセイミヤケのブランドとしての偉大なレガシー(遺産)って、過去に展覧会21_21 DESIGN SIGHTとかで紹介されまくってるので、今更私がいうことでもないんでスルーしますが(いろんな媒体が個人史とかもなぞってるだろうし)ただのいち客、としての目線でちょっこし書いとこうか、ぐらいなもんです。

既製服=サイズ、からの解放

それで。
何で服を着るのが楽しくなったか、と改めて考えてみたんですが。
一番大きい理由は、サイズから解放されたこと。
これがでかかったんだなあ、とつくづく思います。

身長は167cm、胸もお尻も大きめで、標準体型でも痩せてるわけでもない私は、それまで服を買いに行くのも試着も嫌だったし、店員と会話するのすら嫌いでした。

まあ、今よりもだいぶ幼くて若かったから被害妄想も多分にありますが、服を買いに行くと「お前が着る服はここにはない」みたいな扱い受けることが多くて。馬鹿にされてる感じがしたんですよね。もちろんそうじゃない人もいましたけど。

それに、展示されてるマネキンが着てるものは大体小さくて、いいなと思って試着しても何だかイメージと違う。

ファッション誌で色々な服を見て「まあ、オサレ」と憧れはするものの、自分とは全く違うボディのモデルが着ているものが、同じように似合うはずはなく。

オシャレをするにはまず9号サイズが入る体型が前提、という感じで。
今みたいに「ボディポジティブ」とか体型の多様性を肯定する言葉なんて皆無でしたしね。

なんか極端にいうと、20年前って
「服に体を合わせる」
そんな価値観だったと思います。

そうなると私が素敵な服を着たくても、
「入るか入らないか」
でしか選択できないのが本当に、本当に嫌でした。

「じゃ、痩せればいい」という人もいるかもしれないけど、なんで私が服に合わせなきゃいけないんだろう?って気持ちは全然ぬぐえず。

標準じゃない体型の人でも素敵に見える服を作る人っていないわけ?
デザイナーの本懐って何なん?と疑問でした。
結局売ってる服にも人にも否定されてる感じしかなかったんだよなあ。
人権が無いっていうか。

私を否定しない服

それがミヤケで服を買い始めてから、そういう拒絶反応がまるで無くなったんですよね。嘘みたいに。

私が主にお世話になってたのは、プリーツプリーズやA-POCではなく、コレクションライン。
プリーツで伸縮自由とか、A-POCの自分の体にあわせて裁断可能(さらっと書いたけどこれもこれでとんでもない大発明だと思う)ではなくて、美しくてかっこよくて面白い(ここ大事)既製服にワクワクしながら腕を通すことができた。

そもそも全体的にミヤケの服は、体のラインがはっきりでないものが多いです。ミニスカートなどの足が出るものも少ない(スカートは膝丈が多い印象。ノースリーブは結構あるので肌を露出しないわけではない)。ゆったり作ってあるから、入る入らないの問題がまず無かった。
※それでもサイズ展開では一番大きい「3」を買っていますが(笑)

とはいえ、ただ大きめというわけではなく。ラックにかかっているとわからないけれど、着るとたちまちかっこいいラインが出現して、体全体がきれいに見えるんです。2Dから3Dへ立ち上がる際の強烈なマジック。着痩せどころかスタイルが1段階よく見えた時は、感動のあまり試着室から出た瞬間に「これ、着て帰ります!」と言ったこともしばしば。明らかに今までの「とりあえず入ればいい」「着ると野暮ったくなる」服たちとは違うものだと分かったわけです。

世界的なプロダクトデザイナーによる時計のラインも人気。
私は吉岡徳仁氏によるモデル「o(オー)」を買ったんですが
時計というよりアクセサリー的にはめています。

当時は営業の仕事をしていて、通勤着でもOKなものを都度買っていたのですが、超なで肩で肩パッドのはいったジャケットが窮屈で合わない私に「ニットジャケット」なるものを教えてくれたのもミヤケだったし、下半身がスッキリ見えて、何にでも合わせられる黒のストレッチパンツは、めちゃくちゃ気に入って、トータル5本持ってます。(お弁当代を削って小銭をせっせと貯めました…)

同僚や先輩に「今日おしゃれやーん(福岡弁)」「痩せた?なんか今日シュッとしてる」と声をかけられることが多くなったのも、ミヤケを着始めてからでした。痩せたわけでも髪型やメイクを変えたわけでもなく、服だけで印象って変わるんだなあと改めて思いました。

流行や着る年齢に
全く左右されない頼もしさ

そうやってどんどん着てみて分かったのは、
ミヤケの服は「ボディ」に依存しない。
服が服として自立してる。
そして、流行に左右されない。
ということ。

ショップに行けば、雑誌に載ってる物とは全く異なる色形の服たちがいつも並んでたし、選ぶときに「来年着れるかな?」なんて考えは一度も浮かばない。それは今もそうで、その証拠に10年以上着ているミヤケがうちのクローゼットには何着もあります。
これってすごい大きいことで「着る人の年齢も指定しない」ってことなんですね。

値段はそれなりにする。
が、値段分の価値と耐久性がある
=経済的

個人差はありますが、そうですね。だいたい30代後半ごろでしょうか。このぐらいの年齢で頻出するのが「今まで着てた服が急に似合わなくなる」問題。これは体型や肌、顔つき、自分がまとう雰囲気(大げさに言えば「生き方」も含む)が変わってしまうがゆえのこと、と私個人は解釈してます。

わかっていても、泣く泣くクローゼットの中身を全取替する友人たちが続出する中、うちにいるミヤケの服たちは微動だにしませんでした。
そういえば20代の時から、ミヤケのお客様には私よりもだいぶ人生の先輩たちがたくさんいて、颯爽とお洋服を買って行かれてたなー、と考えると当然の話かもしれません。

時々買う靴下。模様とカラーリングが楽しいし、他にない。
繊細なんでうっかり爪にひっかけて破くと地獄w
真の意味での贅沢品はこれかもしれない。

とはいえ値段は安くはないし、ブラウスやパンツ1枚の価格を友達に言えば「服にそんなお金出すの?」と驚かれていたけれど、1、2シーズンしか着られないものを短期サイクルで何枚も買うのと、10年以上1軍選手として活躍してくれる一着を買うのとでは、実はそんなに大差ないんじゃ?と思います。むしろこっちのが経済的な気が…。

なにしろ、ほとんどのアイテムが自宅で洗えるんですよ。クリーニングに出さなくていい。私はネットに入れて、洗濯機の「おしゃれ着洗い」で普通に洗って干してます。それで10年以上保ってるわけだから。ランニングコストがかからないってこともすごく大きなポイント。

テキスタイルのこだわり、
アートや音楽、建築とのコラボ
ファッションのフィールドを超えた世界観

とか書いてみたけど、全然小難しい話じゃなくて、なんかミヤケがブランドとしてやってることって「ファッションてこうあるべき」って形とか枠組みが全くなくて楽しいな、という話です。
私のように単純に買ってたお客からしたら「いつも面白そうなことやってんな〜」っていう楽しみ方。

最近買った132 5. ISSEY MIYAKEのスカート。
折り紙工学を基にデザインされているそうな。
同シリーズのトップス。
ぱっと見、服には見えない。

買い始めた当初は、コレクションのクリエイティブディレクターは滝沢直己さんになっていて、プラモデルキット風にパーツを分解して、ブリスターパッケージされたサンダル(買った)や、横尾忠則の作品がプリントされたTシャツなんかもありました。2001年にはSilent Poetsとコレクションのヴィジュアルアルバム出したり(これも買った)。

Silent Poetsとコレクションのヴィジュアルアルバム。
音源は今サブスクで聞けます。

プリーツ・プリーズでは、アラーキー(荒木経惟)の作品を全面にプリントしたワンピースがあったり(めっちゃおもろいけど、衝撃でかくて私は着られんな、、、と正直思ったw)。森山大道さんが雑誌「装苑」で撮り下ろしたジャンプスーツも面白かったなあ。コンバースとのコラボで、靴から地続きになったオールインワン。色違いも含めて国内で5本ぐらいしかないって言ってたような。ちなみにその白を私は持ってて、着て地下鉄に乗ってたら子供に指さされました(笑)…他の色を買った人に会ってみたかったわ。

シルクのストール。シルバーの光沢感と、織りがモダン。

あと毎シーズン、オリジナルでテキスタイルを作っていて、そこに見える職人気質というかヲタク気質というかw そういうところも大好き。
明らかに、買う客からしたら「どういうこだわり?」な内容なんだけど、お店の人から説明を聞くたびに楽しくて愉快な気持ちになります。本当。まー過去に「これね、雲母を織り込んだデニムです」って言われたとき、わけわかんなくて「はあ?」って言っちゃったけど(笑)そのぐらいな感じです。

それはときに最先端の紡績技術だったり、古くからの伝統技法だったり。お金をかけたラグジュアリーさではなくて、技術や手間がつまった「特別なもの」で、それを自分が纏うという不思議さ、楽しさをくれるんですよね。
友達や知人に「その服いいですね」って言われた時に、説明するのも楽しいし。BAOBAOのバッグをはじめ、結構男の人に聞かれることが多かった記憶…。ちなみにミヤケのメンズは建築士の人に人気だそうで「なんか分かる〜着てそう!」と思った。

三宅さんが亡くなられてもブランドは残るし、私も買うのをやめたりはしないだろうし、なんかシャネルみたいにデザインの遺伝子的なものが脈々と受け継がれていくんだろうな。

そういえば買い始めた頃から今もいらっしゃるお店の人がいて、奇遇にも音楽の趣味で異常に話があって仲良くさせてもらっているんですが「考えたらもう22年経ってんですよ…成人こえて大学卒業してる年月よ。怖くない?」って二人で大笑いしました。来シーズンのコレクションも楽しみだな。
ということで、また。

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