もはや秋へと(Ⅱ)
◆思いをはせる秋
「秋」というのは「fall」。
葉が落ちる季節をさすところから、そうよぶといいます。
一葉落ちて天下の秋を知る——
という、淮南子(説山訓)の一節にもある秋の概念。
前兆によって後にくるものを察するという意。
云うまでもなく、印象的な部分は「一葉落ちて」の光景でしょう。
たんなる木の葉のみならず、それにたとえることもあります。
何を、落ちる一葉と置き換えて思いを馳せるか、ということも少なくありません。
決めつけるわけでもなく、ただ思い浮かぶのです。
その場の自然現象に誘われて、自然にしたがうのみです。
なにかを、一葉が落ちる様子に重ねるだけです。
そう重なるのでしょう。
こころと自然が一つになるときでしょう。
そして、自然にもこころがあることを再認識するときでしょう。
こころもあれば、コミュニケーションもあるのでしょう。
ウソ偽りのない、正直なこころが、そこに表現されているのです。
自然はたんなる視覚の世界ではなく、メンタリティをもっています。
梢から離れる一葉にも、メンタリティが生きています。
見る人に、「ほらっ、秋だ」、と思わせるわけです。
だから、その人だけの詩歌が、一葉とともに生まれるのです。
「fall !」
その事実に気づくとき、うっすらわびやさびを実感します。
あるいは、胸の内の痛みも、また新たに覚えるわけです。
人は
ポジティブだけが、アクティブだけがすべてではありません。
こころは高い次元で内に外に、そして真理に関心を示すからです。
◆話は逸れますが
たとえば、こころにはこんな連想も生じます。
それは、実務で活躍するリーダーシップの秘密です。
一葉落ちて天下の秋を知る——そこにワザがあるのです。
知る——気づきは、リーダーシップの入り口に必要なのです。
入り口さえとらえれば、それで成功同然といえるのです。
いくつもの成功例の共通項にそれがあるのです。
およそリーダーシップは、言葉ではない、理屈でもないのです。
メンバーたちが、ある問題解決の進め方について議論をしています。
話が錯綜し、ついに、互いの言い分は堂々巡り状態となっています。
「fall」です。
そんなときは
「私は難しいことは分からないのですが…」
の立場で、タイムリーに参加する人がいると助かるのです。
その参加者は、簡単なロジックの提言をはじめました。
そこで、展開の構図とシナリオを明示してくれました。
それが見事に嵌ったのです。
「fall」をとらえたのです。
それは「ツボ」のようなものです。
こういうのを、リーダーシップと言いたいのです。
その「効果と効率」がチームに感謝されるのです。
あのときのあの瞬間——、それが本質論への入り口というものです。
天下の秋を知って、果実が収穫できるということでしょうか。
話が逸れてしまいましたかね(^^)v
もはや秋へと。