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17:生活実験:選択編


写真は帰宅して作ったカレー。これで成仏。

退院して。試してみたいことが色々あった。

病室でお笑いなどDVDを見たりドラマを見たりしていたが映画はまだなので大丈夫なのか試してみたかった。字幕の映画がスムーズに見られればいろいろ幅が広がるはずだ。見に行ったのはジョーカー。ジョーカーはこの時点で公開からだいぶ経っていて、それでもまだ大ヒット上映中だったのでイケた。吹き替えの映画ならNetflixやその他病室で見ていたもので問題なかったが、字幕ならどうなのかなと思ったのだ。映画は面白かったし素晴らしかった。

まず字幕は問題なかった。あの映画に関しては割と文字が少ないのと、説明的な内容でないことが良かったのかもしれない。とにかく若干位置がずれるなどの問題点はあったが気にせずに最後まで見ることができた。映画館の段差は夫につかまりながら移動し、人の迷惑にならないように最後に映画館を出た。「退院したら日常生活がリハビリになる」…それはすなわちこういった、今まで普通にやっていたことを一つ一つを取り戻し、日常生活を再構築する作業だということだと実感した。

この日は後は食事をして帰宅した。食事は私が好きなイスラム料理だったが、夫がお皿などを移動させつつさりげなく、食事の補助をしてくれているのが分かった。嬉しかった。

以前1時帰宅した時はとにかく時間が気になったし疲れていたのであまり気が付かなかったが、日常的な生活作業、…これが一番大変なことに気がついた。問題になるのは、こうやって外での食事、映画館などで過ごすことはできるけど逆に家の中でする作業ほど大変と言うこと。…例えばお茶を淹れるのにポットを取ろうとしてポットを見るとお茶との位置がずれる。結果こぼしてしまう、もしくはおかしな位置に注いでしまう。そして相変わらず自宅の階段すら段差にやられた。お風呂の段差でつまずかないように浴槽のふちに掴まると浴槽ごと動いて引っ張ってしまい、(古い家なので)浴槽がずれたりした慌てて戻したりした。とにかく掴まらなければ移動が難しいのは変わらず。

外での食事は普通にできるとしても例えば店に入って座るまでどのあたりに足を置いていいかなど一苦労だった。「…前はどうしてたっけ」、と思い出すような感じでいろいろなものに触れていた。頭がまだぼんやりしていた。以前、リハビリのAさんに聞いたところによると、わたしのように高次脳機能障害からのゲルストマン症候群などではなく、普通の脳梗塞でも「退院後半年くらいはボンヤリしてるみたいよ」と言っていたのでどうにかこうにか、ちょっとでもクリアになれ!と思ったりした。

…夫とはとにかく毎日喧嘩ばかりしていた。もともとの体力差もあったが夫は別に介護のプロではないし私もいきなり自分がこうなってしまったのでどうしていいかがわからず失敗続きで失敗したらしたで逆ギレして、そういうことが積み重なり、クリスマスに決定的な喧嘩があったりもした。

そんな中、2019年末から入院中のことをできる限り振り返り、日常生活に起こったことを詳細に記録し始めることにした。(このノート)退院してからのことは、半振り返りになるので、進行形でおのずと自分ができなかったことに視野が向きがちになったりもした。

夫はそれを「できたこと日記にしたら」と言い出した。…例えば

・バスのステップをどう上がっていいかわからずバスのステップから落ちた→これを

・バスから落ちたけど怪我なく最後まで歩いて家に帰れた、など。

これ以降元旦から話は前後するが、一週間にわたって。

ペットボトルの分別をしてそれぞれの場所に捨てられる、カニ歩きをマスターする、などの進歩があった。カニ歩きというか横歩き。…これは体と足が連動していないところを前に向かって両足で歩くのではなく、利き足の方(麻痺がない方)を先に持ってくることで、そちらに進むのだということを脳に認識させる感じ。すると、麻痺のある方も後から連動させやすくなることに気が付いた。さらにそれで半身避けながらだと、細い通路でも移動しやすくなる。

…どうやらこの横歩きをマスターすることによって調子が良くなったらしく、この辺はあちこち水回りの掃除などもこなしている。家での食事はラザニアを温めて食べるなどが自分でできるようになった。「これはゲームもいけるんじゃないか」と思った。プレステを起動する事は覚えていた。

年末年始は近所の神社におみくじを引きに行くと割と意味深なことが書いてあった。努力したら物事快方に向かう的な。結婚して初めてのお正月だったが夫はこの時期繁忙期なのはわかっていたので、もらった洋風おせちを一人で満喫することにした。入院中は伸びしろをどれだけ作れるかが目的だったため、医師や周囲から聞いている最低限以外自分に情報を入れないようにしていた。現在はそこらへんの制限は自分にかけておらず、時々人に聞かれる疑問に自分なりの答えを見つけたので書いておこうと思う。

それは、「ゲルストマン症候群の人はものを選択する(選ぶ)というのが苦手なのではないか」といったようなこと。

自分でもどうなのかいまいちわからなかったが(折に触れ書いてきたようにその人個人の生活習慣及び既往症なども複雑に関係するため)あくまで自分の場合は、という前提で、疑問に沿う形にしたらわかりやすいかと思う。

お正月のおせちについて、疑問は、おせちの種類は何を選びますか、というもの。…まず、今年貰ったおせちの箱は三段重になっており、すべて開いてテーブルの上に平置きし、好きな具材をとっていて食べようと思った。具材はどれでも迷うことなく食べたい物に箸をのばし食べることができた。 (箸を使う作業自体も慣れていたため問題はなかった。)

ここでポイントになるのがまずお重3つを並べて平置きしていると言うこと。そこには段差がなく、どうやら段差がないものであれば自由に選ぶことができるようだ。その証拠に、おせちをしまう段階になり、うまいこと重ねようとするのだが、どう重ねていいかわからなくなった。

…久々に右手と左手で引っ張り合いになった。まさかこの期に及んでコレが起こるとは。「ミギー、そこにまだいたのか」みたいな気持ちで、久しぶりに右手を引き剥がした。どうにかこうにかだいぶ時間をかけてお重をしまって、残りは夫の帰りを待つことにした。...実はそんないきさつがあったお正月だが、日常生活リハビリの始まりとしてこの「段差と平面」がものすごいネックになってくることがこの正月にわかった。


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