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7:千里眼ごっこからの諦観

写真は夫が差し入れに密輸して(笑)くれたイクラ。山盛り白飯にかけた!

まず起きたら強制的にテレビの近くにあるナースセンターの脇に移動。

(別に無理強いされているわけじゃないが、「テレビでも見ましょうかー」とニコニコしつつ、がっつり車椅子をテレビ脇にに移動してくれる。)

前述したように集中治療室は容体急変期の患者さんのつめているところであり、もうほとんど寝たきりだったり、同じことを繰り返しうわごとのように喋っていたり、ずっと1点を見つめていたり。そんな人たちが多かったが、それらの人々を目を離さないでケアできるようにだいたい日中の時間はテレビの前に集められているのである。

そうやって運ばれた先で、一日三回の食事と一回20分のリハビリが一日2、3回あり、それ以外の時間はすることがないのだが、食事が終わっても自分から戻りたいと言わないと延々このテレビ前にいることになるのを気づいた。

戻りたいと言っても「もう少しテレビ見ましょうねー」という感じで足止めされている他の老人患者を尻目に、本を読もうにも字は読めないしテレビで別にいいかなと思ってそのままそこにいた。テレビでは即位の礼関連のニュースが流れていた。晩餐ではどんなメニューが出されるとか何がいくらだとか…美味しそうな料理だった。

この時期の食事のことは正直あまり覚えていない。右手がそんな状態だったからまともに食器は使えず落としまくり、こぼしまくりだった気がする。とにかく山盛りの白飯メインに栄養に配慮された食事は、今考えると美味じゃなかったがモリモリ食べた。とにかく栄養をつけないとという思いと、食器を片っ端から倒す、落とすので、うまく食べれないものは以降の食事では出なくなったためちょっとでも食べれるものをたべておこうと思った。このとき出なくなったのは納豆、パン、牛乳など。

急変期の病棟で長くいる場所ではないため、栄養バランス的なことは置いてスムーズに食事が運ぶことが優先だったのだろうし、私もそれで良かった。上手く食器が使えないからビニールのエプロンを首から付けた。なんかに似てるこの感覚…アレだ。これが焼肉やさんのエプロンだったらいいのになんて思いつつボロボロこぼしながら食べた。

人に見られながらだと余計うまく食べられないしイライラしていた。ストローの使い方をわからなくて聞いたのもこのへんだ。ジャムやマーガリンははなから諦めて手を付けなかった。おもいっきり大好きな肉が食いたい!あとイクラ。…そればかり考えていたし、勝手に動く手にままならなさ過ぎて、挙句の果てに当てつけのように、手づかみで食べた。

安静度が上がってしまったので、車椅子移動中に勝手に立ちあがらないように貞操帯のようなものがつけられた。それはハイレグ帯と言うらしい。ハイレグ体はハイレグと言う言葉通り股間にベルトのようなものを通し腰の位置でパチンとはめる。赤ちゃんの自立器具みたいなものである。これが結構な目立つ色で、その色のベルトをしている人は他の車椅子患者にも結構いるのだがみんな嫌だ嫌だと言っていた。自分くらいの年齢で付けてる人は一人もいなかったため余計嫌だった。

そしてそれをつけるときリハビリテーション医師に「勝手に立たないし付けたくない。嫌だ」と訴えると、付けたり外したりは簡単にできるし検査などをして病室から検査室への移動の時等につけるだけと説明されたが病室に戻ると室内にいるときずっと付けている方針のようだった。

それは話が違うと思った。この時ぐらいからリハビリで、座っての足の運動から立つ練習、歩く練習などもするようになり私は病室でのことを話し、移動時以外は外して貰えるように聞いてみた。リハビリ側の返答としては

「今後歩けるようになったときに寝たきりよりも行動範囲が広がることで事故の発生率も上がる、リハビリテーション側としては積極的に回復を促す意味で部屋にいるときなどはベルトをつけないで過ごすのを推奨しているのだが、看護室とは管轄が違うためそちらサイドではやはり何か事故があったらいけないと言うの気持ちが最優先なので仕方がないのだ」

と聞いた。確かにそうだろうなと思った。私に何かあったら看護師さんの責任になるし起こりそうな要素のあることは未然に防ぎたいのはわかる。でもベルトは暑いし、ほかの患者もそれを装着するため汚れていた。

主に認知症患者のための徘徊防止の為のベルトだが、私は立たない、そもそもリハビリの手を借りなければ、一度転倒して以来怖くて自分だけでは立てないでいるのに…。「まあ、自業自得か。」と思ったが、この姿で夫や友人に面会するのが嫌だった。すでに面会に来てくれていた友人を除き、以降の面会は退院してからとして断ってもらった。しかし意外と早くベルトに代わる案が出された。どうしても嫌なら条件をのむ代わりにベルトは外すというもの。

その条件は、物理的に完全に立ち歩けないのがだれの目にもわかる状態でベッドの上だけで生活すること。

長机を横向きに、ベッドに一歩降りるスペースだけ残して横づけされた。

そして乗るとブザーが鳴るマットが敷かれると基本、端座位でベッドにすわって過ごす姿勢で、襟にはクリップが付けられ動くとひっぱられてこれが外れ、大音量でディズニーの名曲が鳴った。この状態では確かに、物理的にちょっとも余計な動きができなくなったな、ただでさえ点滴が刺さったままで不自由なのにと思いつつ、常に同じ姿勢で座るか寝るかの二択ななため全身筋肉痛になった。

誰か面会人がいるとき以外はその態勢で、夜寝るときもなどもそのままな為、膝が痛くなり足先を伸ばすと今度はマットが鳴った。

リハビリは順調で、リハビリAさんの手を支えにしながらならヨロヨロ歩くこともできたが室内では逆に完全拘禁的な感じで、リハビリが始まる前に室内で動かないせいでできた凝りをほぐすのが先になった。「本末転倒じゃないですかね…?」とAさんにこぼすと、「この先退院に向けてどうしたい?ちゃんと直してから退院したい?それともとにかくうちに帰りたい?」と聞かれたので、「そりゃできる限り治したいですよ」と答えると、その言葉を待っていたようにAさんは「わかった!」と力強く言った。

その真意はだいぶ後でわかるようになる。

体勢の不自由さは我慢するとしてちょっとゴミ捨てしたくてもゴミ箱まで手が届かない。毎回ナースコールするかゴミを置いておいてあとでまとめて捨てるかだが、寝不足で疲れていたので極力人と接したくなかった。以前視野実験のときにお世話になった言語療法士のBさんに、ゴミ問題を相談するとマジックハンドを使ってみてはどうかと提案してくれた。これを頼んで買ってきて貰ったが、強度が足りないのと私の手ではマジックハンドを操作できなかったため、落ち葉もしくは汚物拾いに使う例のアレ(名前は知らない)を導入した。カーテンの閉め忘れ、ゴミ、物を引き寄せて取るなどはこれで対応した。

本当のところはおとなしく車椅子に乗ったままベルトして過ごして欲しかったのかもしれないが、これで不自由はなくなったので「それでいいの?」と聞かれたらぜんぜん問題ないですと答えた。

元から立ち歩きたかったわけじゃないし。マットはあまりにも何回も足に当たるのでちょっとずつ踵で押して20センチくらいは余裕のある位置にひそかに動かしたがそのくらいだ。

一番不自由さにキレていたのがこのころだったがなるべくマイナス発言等SNSでしないように行き場のないイライラと鬱屈をどこにぶつけていいかわからなくて考案したのが千里眼・三船千鶴子ごっこ。すごいザックリ説明すると、あのリングの元になった人だ。まあ内容は千里眼とはあんまり関係ない暗い遊びである。

…今まで小学生の頃とか私をいじめたむかつく男子とか高校生の時に私が学校休学していた理由をあることないこと言いふらした女子とかそういう人の顔を思い出して呪われろとか念じたら今なら確実に念が飛ぶんじゃないか、と思ったが…いや、そこまでムカついてないなと気が付いた。というかそもそももうその人らの顔すら憶えてないし。

…じゃあ、ネットで私の悪口書いた人…と思ったけどこれだと顔すら元々わからないので自分ルール上成立しない。アウトだ。

なんとなく気が済んだのでやめた。

それでもうっかり念飛んでたら御免なさいだけど(笑)、そもそも自分に関しては諸々自業自得、他者に関しては総合して恩恵を受けたほうが比にならないくらい大きい。見舞いに来たラジオの相方のEさんが「反骨精神ですよ!こういうときは!」みたいに鼓舞してくれたけど、いろいろままならなさ過ぎてもうイマイチ底力もわいてこなかった。まあ悪い人生じゃなかったな、などと早々人生総括に入っていると看護師さんが呼びに来た。

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