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想像も幻想

私には、かなり大切な人がけっこういる。
母、父、姉、恋人、幼少からの友達、中学の友達、高校で出会った友達、大学で出会った友達、バイト先で出会った友達…。
私の周りの人間は皆親切で、優しくて、愛情に溢れていて尊敬できる、素敵な人たちばかりだ。

私は彼らを心から愛していて、一緒にいて幸せだと感じ、知り合ってくれたことに感謝し、これからも一緒にいたいと思う。
ずっとこの人達と生きていきたいと思う。

それでも私には死にたい夜がある。
それは感情や考え事を通り越して、発作に近い強い願望だ。
狂おしいほど、今この瞬間に息絶えたいと思う。
思う程度ではない。
今、たった今死ななければならない。
その時がどんな時であろうと、誰といようと、どこにいようと関係ない。
今しか死ねない。
焦燥感で体がじっとしてはいられず、その場にいてもたってもいられない。
どんな方法を使ってでも死ななければならない。

大切だ。本当に大切だ。
大好きで、大切で、ずっと一緒にいたくて、死ぬほど感謝している。
絶対に悲しませたくない。
泣かせたくない。
人生を棒に振って欲しくない。
成功して欲しい。
笑っていてほしい。
私の葬式に参加している彼らなど想像したくない。

それで踏みとどまれるような状態だったらいいのにと思う。
でも、ごめんね。
そんなに簡単じゃないらしい。
私の意思とはもう別のところにあって、普段の私とはまるで違って、だから大切な人の顔なんてもう思い浮かんでこない。
むしろ死ぬために、思い浮かんではいけないと強く決心してしまう。

自分で自分が恐ろしい。

そういう夜を一回一回乗り越えて、今、生きている。
いつ来るか分からない。
いつ乗り越えられなくなるか分からない。
また死にたくなるのが怖い。
ずっと、怖い。


私が精神の調子を崩してから、4年ほど経つ。
色々なフェーズを辿ってきた。
自覚するまでの自己嫌悪の日々。
自覚して自ら暗闇に走っていく日々。
波が細かく大きく自分を失う日々。
毎日死ぬ為に生きていた日々。
波を繰り返す日々。
大きすぎる不安に苦しむ日々。
色んな人に相談に行ったし、休養もたくさんとったし、いくつも病院を渡り歩いた。
セルフカウンセリングで考え方を変える努力をしたし、自己防衛も身につけたし、自分の限界も知った、限界に達しないように調節するようにした。
たくさんの大切な人に支えてもらった。優しくしてもらった。甘えさせてもらった。
なんとか普通に生きていけるように、かなりがんばったと思う。
現状を変える為に、努力をしてきたと思う。
辛い決断を何回もしたと思う。

それでも、まだ苦しみの渦中にいる。
時間がかかるなあ。

人は会話の中で簡単に、
「あの人病んじゃったらしいよ」
「メンブレメンブレ」
「うつ病とか言ってたけど」
とか言う。
それにはみんな(笑)がついているように思うし、そういう気持ちも分かる。
私自身も自分のことを話す時に、本当に死にたくてどうしようもない助けてなんて真剣な顔で言えない。
「多分死なないよ笑」
「高いところ余裕なんです笑」
「死にて〜笑」
なんて冗談っぽく言ってしまう。
これもつまらないジョークだと分かっているけれど。

だけど当の本人は、インターネット上の情報や噂話やSNSに現れる見える部分だけでは到底補いきれないような葛藤や苦しみと闘っていると思う。

私が同じだから思う部分もあるけれど、私にも想像できない細かくて小さくて黒い言葉が頭の中を巡っていると思う。

知って欲しい。想像して欲しい。簡単に言わないで欲しい。

そう言いたいけれど、当事者である私が、「私にはわかるから」と声を上げても信憑性に欠けることは分かっている。
私が言っても、「苦しみを理解しろ」とか「私はこんなに苦しいんだ」とかにしかならない。

分かってる。
そう言いたいだけな部分もあるんだと思うし。

それでもやっぱり、ネタにするのは違うと思う。
主観的に見ても、客観的に見ても、違うと思う。
そしてそういう会話をしている自分にも、そういう会話で笑っている人にも、悲しくなる。

誰だってほんとうは、強く生きていたいんだよ。

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