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「Bye Bye My Love(U are the one)」6

【第16話】 

「ええ~っ!?アメリカに行かないの!?
もう友達に転校するって言っちゃったよぉ!!」


アメリカへの異動が、主人の単身赴任になったことを告げると、
娘は口を尖らせた。


「ははは。だけど、転校せずに済むから、友達とも、ずっと一緒だよ。
ちなつも、その方がいいだろう?」


娘を抱き上げ、膝に乗せて主人が微笑む。
少し黙って、娘が主人の顔を見つめた。


「パパは?
パパ、一人で行っちゃうの?」


その瞬間、主人の顔が歪むのを見た。


「パパは・・・・。大丈夫だよ。
必ず、戻ってくるし、ゴールデンウイークとか夏休みとか・・・
いくらでも会えるよ。帰ってくる。」


娘を抱きしめ、愛を誓う姿に、この人の本来の優しさを感じた。
主人は・・・無理をしている。
平気で単身赴任を選んだわけではないのだ・・・。

いつまでも抱かれたまま、父親の膝から降りようとしない娘に少し嫉妬の感情が沸く。

あんなふうに抱き寄せて、髪を撫でながら愛の言葉を囁いてくれたら・・・
私だって、もっといい子になれるわ。

ここ一ヶ月間・・・、週末、私は木村くんに会える喜びに浮かれ、
マニキュア、パック、体の手入れや部屋の片付けに 没頭していた。
主人は主人で、休みであるはずの土曜も出勤するのが当たり前の状態。
帰宅後は、いつも疲れきっていて不機嫌。
話しかけるのも、恐る恐る腫れ物に触るようだった。

心も体も離れていた・・・。
彼は本当は繊細で優しい、思いやりのある人なのに・・・。


キッチンから出、リビングのソファーの二人に近寄ると 娘がにらんだ。


「だめよ!今、ちなつがパパに抱っこしてもらってるんだから。」


小学生のくせに、 一人前の女のような口をきく娘に本気で腹が立つ。


「何言ってるのよ!?パパはママのものよ!
ねぇ~~~?!」

「あ、ママ、ずるい~~~!!」


主人は、あはは!と愉快そうに笑い、両腕で私達二人を抱きしめた。
三人の笑い声の息がぶつかり合う。
あたたかな体温を共有しあうと、心の中で閉ざされていた何かが解けた。


夕刻、主人の実家に寄った。

義父は今年70才だ。
両親とも、まずまず健康で気も若いが、一人息子の主人としては とても心配なのだろう。
私に日本に残って欲しいのは、両親のことも理由に含まれていると思う。


「ちなっちゃんがアメリカに行っちゃわないで、おばあちゃんはうれしいよ。
ほら、コロも喜んでる!」

子犬の頭を撫で、義母は息子の単身赴任を心配しながらも、
孫と離れずに済む喜びを露わにした。
主人は穏やかに微笑みながらうなづいていた。
その横顔を見て、急に私の決心がついた。


「すみません。お義母さん、やっぱり私達、アメリカに行きます。
一緒に暮らします。」

翌日、美香子に電話で渡米を報告した。


「うん、それがいいよ。家族は一緒に住むのが一番だよ。
あ、そうだ。
来週あたり、送別会しよう!おいしいもの食べに行こう。
アメリカっつったってさぁ~、
電話もメールもできるし!
また木村くん情報、送るよ。
もう結納済んじゃってるらしいから、挙式の日程も決まってると思うんだ。」


結納も挙式も・・・・
わかってることなのに。
改めて言葉にされて聞くと、胸に何かが突き刺さる。


「あれ?どうしたの?
木村っちのこと、マジじゃないでしょ?
やだ、黙り込まないでよ~。」


そう、もちろん・・マジなんかじゃないわ。
主人と別れてまで、彼の婚約を破棄させようなんて、これっぽっちも考えていない 。
だけど・・・
だけど・・・・・
彼の名前を聞いて、こんなに切ない気持ちになるのは・・・なぜなの。
自分でも本当にわからない・・・・。


【第17話】 

アメリカへの転居を決めてから2週間で引越しの準備をした。
娘の転校など、面倒な手続きが多く、区役所や学校に何度も 出向いた。

主人は前任者との引継ぎがあるので、先にアメリカへ渡った。

夜遅くまで荷物の片付けをし、 くたくたになってベッドに入る毎日。
サイドテーブルに置いた携帯を見、今日も木村くんから電話がなかった、と悲しくなる 。

なぜ、連絡をくれないんだろう?
彼女との縁談が順調に進んでいるから?
本当に順調なの?後悔はしないの? それで幸せ?

たくさんの問いかけが胸に溢れ、
・・・・これだから彼に嫌われるんだ、と自己嫌悪。

口うるさく干渉しすぎて嫌われたんだ。
彼が望んでいたのは「優しく包み込んでくれるような春香さん」。
不愉快なことを言われてまで、こんな・・・十も年の離れた年上の女に構ってくれるわけはない。

少し優しくされて、 甘い言葉を囁かれて、触れられて。
久しぶりの恋の気分に浮かれていた。
どうかしていたわ。
本気で恋焦がれる相手じゃない。


鏡を見てごらん。

いくら気持ちは若いつもりでも、肌の衰えは隠せない。
この顔で、彼を見つめていたの?微笑んでいたの?


全ては勘違い。
いい年をして 、幼い恋愛ゴッコに夢中になって。
なんて醜悪なーーーー


深いため息をつきーーーー
もう一度 、吐息を漏らし・・・・・

それでも、お互いを想い合った瞬間が確かにあったと胸が小さな叫び声を上げる。
その声に耳をふさぎ、枕に顔をうずめて眠り、浅い夢を見る夜が続いた。


出発の朝。
空港まで見送ってくれた両親は、孫を抱きしめて涙を浮かべた。
手荷物を預ける手続きを済ませ、手を振り別れ、 国際線ゲートへ向かう時、
無意識に彼の姿を探してしまった。

・・・いるはずはないのに。
ドラマのようなシーンを期待して。
愚かな自分が哀れだ。
娘を連れての飛行機の旅だというのに、 もっとしっかりしないと。


少し緊張して出国審査場を出る。
後はフライトまでの待ち時間。
免税店やキッズルームなどもあり、娘は大喜びで施設内をあちこち探検している。

ロビーで座っている時に美香子から携帯に電話が入った。


「夏になったら遊びに行くよ!案内してよね。」


カラリとした声で美香子が笑うと、私の心も軽くなる。


搭乗時刻は、もう間もなくだ。


【第18話】 

飛行機に乗るのは久しぶり。
座席を確かめ、手荷物を棚にいれ、腰を下ろしても、なんだか、まだ落ち着かない。
娘のちなつもキョロキョロ機内を見回しては、「すごい!すごい!」と小声で連発し、騒がしい。


ゆっくりと飛行機が滑走路を走り始める。
すると、ちなつは急に黙り、緊張の面持ちで瞳をキラキラと輝かせた。
窓から見える右翼のフラップの動きを見て、驚きの声を上げている。


「ねぇ?いつまで走ってるの?
 いつになったら、飛ぶの?」


じれるように聞く娘に、笑って答えた。


「飛行機は、こんなにいっぱい人も荷物も乗せていて、すごく重いのよ?
 そんなにすぐには飛べないわ。」

「・・・そうよね。こんなに重いのに。
 本当に飛べるの?」

「飛べるわよ。
 ほら、もうすぐ飛ぶわ。」

「本当だ・・・!段々、早くなってきたよ!!」

「うん。窓の外を見ててごらんなさい。
 おうちが見えるかもしれない。
 ちなつが好きだった観覧車も見えるかもね。
 『バイバイ』って言おうね。」


ふわりと飛行機は離陸し、
窓の景色が斜めになった。
・・・・と、ぐるりと旋回を始め、街並みが眼下に広がった。
いったん飛び立った飛行機はどんどん高度を上げていく。

青い空の、空の、空の上へーーーー

バイバイ
私の住んだ街。
好きな人たち。
また、帰ってくるその日まで。 しばらくの間。

だけど、だけど、
木村くんとは、これでさようなら。


唇を噛み締め、窓の外の空を見る。

あの春の日、
木村くんと一緒に眺めた同じ青い空の色が、目の前に広がっている。

この上なく幸せな気持ちで眺めた空だったのに。
今日はこんなに哀しい色なのは、なぜ?
何が変わったの?

私達の、この短い期間の緊密な関係は、
一体、何だったのだろう?

静かに、胸に問いかける。
そう・・・
誤魔化しようもない。
私は不器用に精一杯、恋をしていた。

結ばれるはずのない向こう見ずな恋だった。
だけど、
彼と私の心は、確かに繋がっていたと思える瞬間があるから、
だから・・・全てはそれでいい。


上昇飛行のエネルギーと同質量の未練が地上に向かって駆け下りて行く。
見えない触手があの街のどこかを歩く彼を探し出し、力の限りに抱きしめる。


さようなら。
さようなら。私の恋。
・・・・あなたが大好きだった。

やがて飛行機は水平飛行になり、白い雲の上を滑るように進んでいった。
少しだけこぼれた涙は、誰にも見つからずに済んだ。

新天地での新しい生活は想像以上に大変で、
はっと気づいた時には、もう夏が過ぎ、秋風が吹いていた。

やはり、子どもの方が新しい環境に順応しやすいようだ。
娘にはいつの間にか友達もでき、一緒に遊んでいるうちに自然と英語も少しずつ覚えていった。

木村くんからもらったオレンジのTシャツは、ちなつのお気に入りで、
夏の間中、ずっと着ていた。
洗濯を繰り返したため、少し色が褪せ、襟首も伸びた。
だが、かえってしっくりと肌になじむようになったらしく、少し涼しくなった今も
まだ、着続けている。


美香子は時々メールをくれる。
相変わらず、お義母さんと揉めているようだ。
7月半ば、木村くんが結婚したとメールで簡単に教えてくれたが、
返信で私はそのことに触れなかった。

先日、主人が社内報の小冊子を持ち帰った。
それには毎号、新婚社員が写真つきで紹介されるコーナーがあり、
恐る恐るページを開いてみたのだが、木村くん達の紹介は載っていなかった。

不思議に思って、事情通の美香子に問い合わせると、
木村くんは結婚式も挙げず、社内でのお祝いも一切断り、新婚旅行へも行かなかったと聞き、驚いた。

義父となる常務の不祥事があったわけで、
しかたのないケジメなのかもしれない・・・。

でも、知り合いの誰にも祝ってもらえないなんて・・・
なんだか・・・・・少し、哀しい。

でも、当人同士が幸せに暮らしているのなら、それが全て。

遠く離れた空の下で、彼の、これからの幸せを祈ろう。

今日もいいお天気。
あの日と同じ空は美しくも哀しい青。
干したばかりの白いシーツが風にはためく。

(完)

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2002年に書いたサザンの曲を基にしたオリジナルの物語です。

全18話。

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