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死んだのは誰なのか

実家の隣りに住むF村さんは30代でトラック運転手だった夫を事故で亡くした。
私が中学生の頃の話だ。

「…お通夜の日、雨が降ってきたので窓を閉めようとしたら、
F村さんのご主人が立ってはったわ。ジッと自分の家のほうを見てた。
やっぱり気になって見に来たんやな。」

母が神妙な面持ちでつぶやいた。
怪訝に思いつつも、母の口調が妙に自然で、そんなこともあるのだろうと思えた。

労災のため年金が下り経済的に困ることはなく、F村さんは二人の娘を育て上げた。
むしろ金銭的には豊かになったように見えた。
内職もやめ、カラオケセットを購入し昼夜問わず、いや朝から演歌を歌いまくる日々。
防音も何もない家の造り、F村さんの不安定な音程の歌声で目覚めることも多かった。

実家の一角は同年代の女の子が多く住んでいた。
F村さんの娘さん、レイコちゃんとサヨちゃんともよく遊んだ。
1~2歳年上の二人は私に優しかった。F村さん宅へ遊びに行くこともしばしばだった。
しかし小学校に入り友達ができるようになると疎遠になってしまった。

今から15年ほど前、子どもを連れて実家へ行き、
当時はまだそこそこに元気だった両親とお昼を食べながら、あれこれと話をしていると、
母が眉をひそめ小声でこんなことを言い出した。

「…隣りのレイコちゃんな。…どうも…死んだみたいやねん。」

…え?死んだ?
いや、まだ若いでしょうに…。私より2つほど上とは言え、まだ40そこそこじゃないの。
なんでまた…。

聞き返しても、両親も詳細を知らないようだった。
そもそも、「死んだみたい」ってどういうことなの?

「…いや、それがな。F村さんがうちへ泣きながら『死んだ…死んだ…』って駆け込んできて、どうしたのか聞いても、えらい泣いてて…。聞くに聞けない。」

…それもそうか。自分より早く子を亡くすなんて、どんなにつらいだろう。
小学生の頃のままの幼いレイコちゃんの面影が浮かぶ。
長い間、会っていなかったけれど、幼馴染の隣りのお姉さんが亡くなるのは寂しいし、
なんだかちょっと怖い気がした。

それからまた月日が流れ、両親も高齢になり、私も頻繁に実家へ通うようになった。
昨年、日曜に主人の車で実家へ行った折のこと。
家の前に停めていた車を移動させてくれとF村さんが声を掛けに来てくれた。
即座にキーを手に玄関を出る主人に続き、私も外に出てみた。
するとF村さん宅の前にも大きな車が停まっている。神戸ナンバーだ。
なるほど、もう一人の娘さんサヨちゃんが来ているのか。

そう思ってふと顔を上げ、向こうから来る人影を見てギョッとした。
色の白い痩せぎすの女性、あれはレイコちゃんだ。
サヨちゃんとは違う。
レイコちゃんに違いなかった。

しかし、…しかし、レイコちゃんは死んだのではなかったか?

「…サヨちゃん…?」

弱く、そう声を掛けると

「なんでや!違うわ。レイコや!」

怒ったような口調で返され戸惑いながらも、
目の前に立つこの人が紛れもなく生きているのを感じて、ホッとした。
…なんだ、生きてるじゃないの、レイコちゃん。
うちの両親の思い違いだったんだな。
いや、待てよ。
じゃあ…、死んだのがレイコちゃんじゃないとしたら、妹のサヨちゃんなのか…?
だからサヨちゃんと呼びかけられ、あんなに強い調子でレイコちゃんは否定したのか?

レイコちゃんと、「久しぶり」と挨拶をしながら会話が全く頭に入って来ない。
湧き上がる疑問と動揺で地に足がつかない。
…サヨちゃんは?サヨちゃんが死んだの?
訊ねたい言葉が出かかるが、40年ぶりに顔を合わせていきなりそんな質問を投げつけるのは、あまりにも失礼だ。
それに、「私は今の今まで、あなたが死んだものとばかり思っていたんですよ。」というのも更に失礼。

レイコちゃんの後ろには背の高い男性がいた。ご主人なのだろう。
神戸で幸せに暮らしているのだな。
サヨちゃんは子どもの頃から体の弱いイメージがあったが…そうか、亡くなったのか…。

両親に、この顛末を話したがこの頃には既に認知症が進み、母の返答はなかった。
父も「そうやったかな?」と曖昧な返事で、なぜレイコちゃんとサヨちゃんの名前が入れ違ってしまったのかがわからずじまいになった。

そして、先日。
実家へ行き、父とお昼をとり、さてそろそろ母の居る施設へ向かおうかと支度しているところへ
隣りのF村さんがやって来た。

F村さんは、うちの両親より少し若い。まだ70代かもしれない。
パーマを当て化粧をし、お元気そうだ。

「あら!めるちゃん、来てたの?
お父さんの様子を見に来てあげてるんやな。」

子どもは何人いるのか、どこに住んでいるのか、一通りのことを訊ねられる。

「えらいわ。うちの娘はひとっつも寄りつかん。」

顔をしかめてF村さんが言うので、

「でも去年、レイコちゃんが車で来てる時に久しぶりに会いましたよ。」
「あら?そう?」
「ええ。ご主人と一緒に車で来てて…。」

すると、F村さんの顔色がサッと変わった。

「ご主人?レイコの旦那は死んだやんか。」

…えっ?死んだ?!

「レイコの旦那やろ?カツオくんやろ?死んだやんか。」

…いや、カツオくんやろ?と聞かれても知らんわけだけど、
え?死んだの?去年はお元気そうだったのに…。事故?

「だいぶ前に死んだ。」

ん?あれ?
あ、じゃあ、昨年見たあの男の人はご主人じゃないのか?
と言うか…いたよね、男の人、あの時。
なんかもう、自分の記憶すら不安になってくる。

レイコちゃんの旦那やろ?と念押ししてきたということは
妹のサヨちゃんにもご主人がいて、そちらはご健在ということなのか…。

15年前に亡くなったというのは、実はレイコちゃんのご主人のカツオくんだったのだろう。たぶん。
すると、昨年見たあの男の人はレイコちゃんの何にあたるのか。
謎が謎を呼ぶ。
私を混乱に陥れ、F村さんは
「これ、食べてー!」
細長くひねた焼き芋を押し付け、さっさと隣家へ帰って行った。


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私のブログ「夢で逢えたら…」にも同じ記事があります。

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