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お花が欲しいのです

智子のカフェ

智子はビジネス街と住宅街の間にある小さなカフェ「アロマティカス」を切り盛りしている。センスのいい植え込みのある外観と昭和レトロな内装、手作りの家庭的なメニューは、ビジネスマンにも住宅街の奥様方にも人気があって、そこそこ繁盛している。このカフェのオーナーは、中堅ゼネコンの社長だ。

社長は10年前に妻を亡くし、未だ再婚せずにいる。智子の夫は建設会社の現場監督をしていたが、ある台風の夜、建設中のビルの様子を見に行って転落し、身体障害を負った。45歳で要介護5の認定を受け、病院併設の施設に入っている。

夫の恵一が勤めていた建設会社は下請けだったが、その事故のことを知ったゼネコンの社長は、彼が十分な補償を受けられるよう尽力し、たまたま空き店舗になっていたカフェを買取り、改装して、智子にそこで働くよう勧めたのだ。

料理上手で明るく、人好きのする智子は、カフェの店主にうってつけの人材だった。常連客のゼネコンの社員も、夫が勤めていた建設会社の社員も、皆んな彼女のことを「ともちゃん」と呼んで、少なくとも週に一度はアロマティカスを訪れた。社長も、智子の作るカレーがお気に入りで、「ともちゃんのカレーは毎日でも食べたい。」というのだった。一人暮らしの彼の夕食のために、智子はテイクアウトの肉じゃがなどの煮物をいつも用意した。

彼女は朝早くからパンを焼く。国産材料にこだわった彼女のパンは、香ばしくて、いくらでも食べられる。彼女も焼きたてのパンを食べるのが朝の楽しみだった。パンを発酵させて、焼く間にランチの準備をし、モーニングのコーヒーを入れながら、昼時の忙しい時だけ手伝ってもらっている女の子の出勤を待つ。客足が一段落して取る彼女の昼食は、大抵おにぎりとランチのおかずの残りだった。

スパゲティ・ナポリタンは彼女の好物だ。ウィンナーとハムを炒めたトマト味のナポリタンは日本独特のパスタだが、粉チーズの代わりにスクランブルドエッグをトッピングするとご馳走に見える。それは、アルバイトの直美のアイデアだった。

夕方になると、慌ただしく店を閉め、弁当持参で夫の施設に向かい、夫の食事の介助とアロママッサージをしながら、彼の元同僚の話などをする。夫は両足から両手まで麻痺しているが、話すことはできる。できるだけ楽しい話をして、夫の笑い声を聞くのが彼女の喜びだった。彼女は、夫の歯を磨いた後、自分の歯も磨き、髪をとかす。少しでも一緒に暮らしている感覚を共有するためだった。

夫の好物はすき焼き風の肉じゃがだ。ジャガイモが煮崩れるほどに炊いて、飲み込みやすくしてある。鍋返しをした里芋とイカの煮物、出汁の染みたブリ大根なども喜んで食べてくれる。暑い時期は、冬瓜とエビの中華風の煮物も食べやすい。施設のスタッフは、「山下さんは食欲がない日でも、奥さんの煮物だけは食べられるんですよね。」と言って微笑んでいた。

午後7時半に夫に別れを告げ、途中の食料品店で買い物をして、帰宅する彼女の家はカフェの2階にある、2LDKの簡素な住まいだった。カフェと住居合わせて、月8万円はこの辺りでは破格の家賃だ。店の売り上げで十分賄える。夫の施設にも車で10分と近いのも全て社長の配慮によるものだった。

お風呂に入って、洗濯をして、智子がベッドに入るのは午後11時ごろ。最近のトレンドのドラマを見るわけでもなく、朝のニュースを見るほかにテレビには用がない。おかげで、寂しいと思ったり、自分のことを憐れんだりしなくてすむ。子供のいない智子と恵一の夫婦には、いつかマイホームを持てたら、自宅併設カフェを作るという夢があった。

そして朝が来て、また次の日が始まる。


社長 大平雄三

中堅ゼネコンの二代目の社長、大平雄三は56歳。国立大学の工学部を卒業後、米国の大学に留学した経営学修士だ。IT関連もめっぽう強い。大抵の経営者がそうであるように、資産運用も堅実にしている。そのおかげで彼の大平建設は経営が安定していて、全国にある支店や下請け会社もよく指導し、面倒も見ている。

彼は10年前に妻をくも膜下出血で亡くした。最近結婚したばかりの娘が一人いて、ゆくゆくは娘婿に会社を継がせようと思っている。妻の死後も、母親によく似た優美のおかげで随分慰められていたが、彼女が嫁いでからは、何とも言えない寂しさに襲われることが度々あった。しかし、部下である娘婿の将大と同居することはどうしても避けたかった。

それで雄三は、娘夫婦に面倒はかけられないと、付き合いはほどほどにして深酒をせず、夜更かしもしない。ジムに通ったり、友人とゴルフに出かけたり、極めて健康的な生活を心がけている。

彼の父、大平建設の創始者・大平健次郎は現在、会長職にあるが、息子の雄三がよくやっているので、妻の初枝と二人、葉山の別荘で悠々自適の余生を送っている。雄三が60歳になったら、会長職も退くつもりだ。

その頃、下請けの現場監督の転落事故が起きた。雄三は彼の労働災害補償について、煮え切らない下請け会社を説得し、彼が最善の補償を得られるようにした。そして、彼の妻が調理師の資格を活かして生活していけるように、職場兼住宅も用意した。それが、カフェ・アロマティカスだった。

彼は、首から下が麻痺してしまった山下恵一に、同じ男として深い同情を覚えたが、それ以上に、その妻に憐れみを感じた。そしてそれは、次第に愛情に発展していった。特に、彼女の健気さは彼の心を、彼女の作るスパイシーなチキンカレーと肉じゃがは、彼の舌と胃袋を鷲掴みにしてしまったのだ。

食に関する都市伝説に「美味しい肉じゃがは結婚相手にしか食べさせてはならない」というものがあるらしい。それが本当だとすると、智子は多くの求婚者を持つことになるのだが。


「お花が欲しいのです」

智子の休日は日曜日だ。いつもよりはゆっくり起床して、家の掃除をする。すんだ頃に恵一から「おはよう」のメッセージが入る。食べたいものはないか尋ねて、カフェの冷蔵庫にあれば、それで作る。なければ、買い出しに行く。

しばしば、ゴルフ帰りの社長から電話があり、お茶に誘われる。理由を付けて断ることが多いのだが、時に、デパートに行って新しいスーツに合うネクタイを選んで欲しいというミッションがあったりする。日曜日に新婚の娘の邪魔はできないというのだ。

智子は、そんな時は社長がかわいそうに思えて、仕方なく付き合う。デパートのティールームで待ち合わせをして、同じ階にある紳士服売り場でネクタイを一緒に選ぶ。彼は、お礼に智子にも服やバッグを買ってあげたいというのだが、彼女はいつも固辞する。そのデパートにある服は、彼女にとっては「0」が一つ多いのだ。

「じゃあ、何が欲しいの?」と不服げに尋ねる彼に、「お花が欲しいのです」と答えることにしている。智子のカフェには、観葉植物や多肉植物(直美の趣味)は豊富にあるのだが、すぐに傷んでしまう花は贅沢に思えて、なかなか飾れずにいた。

「花なら、言ってくれれば、いつでもカフェに届けさせるよ。」いう社長に、「それでは、私と社長さんの仲を疑う人も出てくるでしょう。ですから、たまに、でいいのです。」と素っ気ない智子…しかし、そう言われれば言われるほど、男はますます躍起になるものらしい。

それでも智子は、デパートの隣にある花屋でブーケを手にするたびに、幸せな気分になれた。花が好きな智子にとっては、それは一番のプレゼントだった。その嬉しそうな顔を見るたびに、社長の雄三は、「このかわいい人をもっと幸せにしてやりたい」と密かに思うのだった。

ある日曜日、部下の結婚式に出席した雄三は、アルコールの勢いもあって、強引にいつものティールームに智子を呼び出した。「今日はめでたい日だから、何でも、ともちゃんのほしいものを買ってあげるよ。」と辻褄の合わないことを言う。

智子は、「私にはおめでたいことは何もないんですけれど、どうしてもと言われるんなら、お花をお願いします。」と半ば呆れて言った。

ついに雄三は腹立ち紛れに言ってしまった。「ともちゃんはいつまでそんなことを言ってるんだ!私を頼れば、世界一周旅行にだって連れていってあげるのに。もう私はともちゃん以外の女性は好きになれないんだ。もちろん、恵一くんの一生については責任を持つ。私は、ともちゃんを愛人にするつもりもないし、ともちゃんの愛人になるつもりもない。」

心にあるものは、いつか口をついて出てしまうものだ。雄三の本心を知った智子は、涙ながらに懇願した。「どうか、そんなことはおっしゃらないでください。それでは、誰も幸せにはなれません。」

「では、ともちゃんは今のままで幸せだと言えるのか?」という雄三の問いに、智子は無言で答えた。(『半分はYes, 半分はNo』)


3リットルの涙

雄三の申し出を断った智子は、それでも3リットルの涙を流すことになった。

最初の1リットルは、恵一のことは愛してるけれど、彼が生きている限り、女性としての幸せは半ば放棄しなければならないことに対して流す涙だ。愛されてはいても、抱きしめてもらうことすらできないのだから。

次の1リットルは、雄三の孤独な晩年を思い、流した涙。「もう他の女性は好きにはなれない」と彼は言った。彼は、一度宣言したことは滅多に覆さない。

最後の1リットルは、そうは言っていても、雄三にパートナーが見つかった時に流すだろう涙。彼女は、世界一周旅行はおろか、彼の莫大な財産の2分の1の権利を得る。

いや、慎ましい暮らしをしてきた智子にとって、そんなことはどうでもよかった。早くに父を亡くした彼女にとって、雄三の父親のような気遣いと安心感は、できれば手放したくないものだった。しかし、彼に男性の一面を見た以上、もうそれに甘えるわけにはいかなかった。

それからは、カフェのオーナーと店主という関係に徹した二人だったが、雄三は智子のカレーだけは諦められなかった。本当は毎日でも智子の顔を見たかったのだ。

アルバイトの直美は、芸大出の画家志望の女の子だったが、恋愛に関しては独特の感性を持っていて、二人の関係の微妙な変化に気づいていた。彼女は雄三が来店すると、さりげなくエルビス・プレスリーの “ Can’t Help Falling in Love” を流すのだった。その歌は古い歌だが、恋に落ちた男の純情を切々と伝えている。それを聴きながら、雄三が新聞の陰で涙を拭うのを彼女は何度も目撃していた。

                   
             Can’t Help Falling in Love
                                                                  作詞・作曲 ヒューゴ・ペレッティ他

        Wise men say.                                            賢い人は言う
        Only fools rush in                                       愚か者だけが恋に突っ走るって
        But I can’t help falling in love with you         でも、僕は君に恋してしまった
        Shall I stay?                                                帰りたくないよ
        Would it be a sin                                         それって罪になる?
        If I can’t help falling in love with you.            もし僕がこの気持ちを抑えら
                         れないなら

         Like a river flows                                        川が流れるように
         Suerly to the sea                                        確実に海へと
         Darling, so it goes                                      愛しいひと、流れに任せよう
         Some things are meant to be                     いくつかのことは偶然じゃない
                         こうなるはずだったんだ
         Take my hand,                                            僕の手を取って、
         Take my whole life, too                                僕の命も全部君にあげる
         For I can’t help falling in love with you         だって、もう僕は君を好きで
                                                                           好きでたまらない

                 (百葉訳 雄三バージョン)                

コロナ禍

そうこうするうちに、日本中が、いや世界中がコロナ禍に巻き込まれるようになった。雄三は、コロナが流行し始めて間もなく、本社と全国の支店に大規模な感染予防策を講じた。空気清浄機を増設し、全社員にマスクを配布し、手洗いや消毒マニュアルの実施を徹底した。建設資材の高騰や入手困難にも対処しなければならなかったが、その中でリモートワークを奨励し、会社に出勤する社員も、午前と午後に分けた。

カフェ・アロマティカスにも、空気清浄機が5台と消毒用アルコールなどが続々と届いた。その中にピンクの使い捨てマスクが12箱も入っていたのを見て、智子は直美と一緒に笑った。それらはもちろん国内で製造されたもの…国産にこだわる智子のことを思ってのことだった。

幸い、智子のカフェでは感染者は出なかったが、恵一の入居してる施設では、コロナが猛威を振るった。当然、面会も禁止され、電話で話すことしかできなくなった。智子の差し入れを食べられなくなった恵一は、急速に食欲が低下し、抵抗力も弱った。そして、ついに彼も感染してしまった。

智子は、恵一から電話がかかってくるたびに一生懸命励ましたが、日に日にその声は弱く細くなっていった。智子は神に祈るしかなかった。


恵一のラストメッセージ

コロナに感染した恵一は日に日に衰弱していった。

息苦しさと遠のく意識の中で、恵一は最後の力を振り絞ってスマホの音声通話を求めた。ちょうど昼時で、智子は呼び出しに応じられないようだ。録音に切り替える。

「ともちゃん、今日も忙しいみたいだね。お疲れ様。

僕はもうダメみたいだ。こんなになる前は、ほんとに夕方が待ち遠しかったよ。ともちゃんの笑顔と楽しいおしゃべり、何より、あの美味しい肉じゃが…絶品だった。

ともちゃんも疲れてるだろうに、僕がよく眠れるように、アロママッサージもしてくれて、ありがとう。僕の手足は感覚がないけど、不思議とあったかくなる気がしたんだ。
あのラベンダーの香りは。今も鼻の中に残ってる気がする。ほんとにありがとう。

ともちゃんのぽちゃっとして柔らかい体を抱きしめられなくなったのは、ほんとに残念だった。でも、お休みのキスはいつも最高だったね。キスの前に歯磨きにこだわるともちゃんは、乙女のようで可愛かったよ。

ともちゃんと知り合ってから、25年が経ったね。四半世紀だよ、すごいね!高校生の時にお父さんを亡くして、東京に出てきて、アルバイトしながら調理師の免許を取ったね。よく頑張った。そのお店で僕たちは知り合ったね。20歳のともちゃんは、ほんとに可愛かった。一目惚れだったんだ。

結婚してからは、現場をあちこちした僕にいつもついてきてくれてありがとう。どんなに仕事がきつくても、家にともちゃんの笑顔と美味しいおかずが待ってると思えば、背中に羽が生えたように飛んで帰れたよ。

子どもができなくて、寂しい思いをさせたかもしれないね。でも、そんなことを一言も言わずに、「けいちゃんと一緒になれたのがいちばんの幸せ!」て言ってくれて、僕は世界一の幸せ者だった。

お店を持ちたいと言ってたともちゃんの夢が叶ってよかったね。僕が友達を連れて食べに行けなかったのは、申し訳なかった。美味しいのは誰よりも知ってたけどね。

もう…気が遠くなってきた…でも、最後にどうしても言っておきたいことがある。

もし、僕の意識が戻らなかったら、つまり、僕が死んだら…どうか社長さんと一緒になってあげて。あの人ならともちゃんを幸せにできると思う。

僕も男だからね。社長さんの気持ちには気づいてたよ。でも、僕が生きているうちは、ともちゃんは僕の妻だ。愛してるよ。

でも、寂しくて悔しいけど、もうそろそろさよならだ。もし、また生きられるとしたら、もう一度、ともちゃんをお嫁さんにしたいけど、その時にともちゃんが他の人と幸せになってたら、潔く諦める。

その時はきっと神様が、ともちゃんとよく似た女の子をお嫁さんにしてくれるだろう。お料理上手で、優しい人をね。

ともちゃん…今までありがとう…」

それから荒い呼吸が続き、しばらくして恵一の心臓が止まったらしく、モニターのアラートがなった。バタバタと看護師だろう足音がして、医師を呼んだ。医師が来て、臨終を告げた。13時36分だった。

智子が恵一のその最後のメッセージに気づいたのは、14時過ぎのことだった。


恵一との別れ

翌日の午後、恵一の遺体は遺体袋に入れられて、火葬場に運ばれた。棺は雄三が用意してくれた。彼は社用車で智子と彼女に付き添っていた直美を迎えに行った。智子は火葬場で恵一の遺体に対面し、最後の別れを告げた。愛する夫の体にもう一度触れることも許されなかった。

泣き崩れる智子の肩を直美が抱いていた。居合わせた社員皆んなが号泣していた。下請けとはいえ、山下恵一は、責任感のある優秀な現場監督だった。彼の持っていた資格は、一級施工管理者、享年46歳だった。

雄三は、智子とともに彼の骨を拾った。麻痺していたとはいえ、まだ青年のような逞しい骨だった。雄三は前途有望だった彼の死を心から悼んだ。

葬儀らしいことはできないまま、恵一の遺骨は、山梨の彼の実家に引き渡された。公務員をしていた恵一の両親はまだ健在だった。恵一は遺志を両親に伝えていたらしく、彼の父は智子に言った。

「ともちゃん、今までご苦労様だったね。恵一はともちゃんと一緒になれて、幸せだたって言ってたよ。親としてはそれで十分だ。私たちのことは気にせずに、ともちゃんはこれからの自分の幸せを見つけてくれていいんだよ。かわいい娘を手放すのは惜しいけどね。」

恵一と彼の両親の気遣いに、智子は言葉が出なかった。ただ泣くしかできなかった。恵一の母は智子を抱きしめて、「ありがとう、ともちゃん。どうか幸せになってね。」と耳元で囁いた。


「3年待ってください」

カフェの仕事に戻った智子のもとには、次から次へと花籠が届いた。どれも、淡い色の上品な花で、暗くなりがちな彼女の心を慰めてくれた。

それから雄三は何も言わず、半年待った。そして、カフェの閉店時間を待って智子を訪ねた彼は、108本のピンクのバラを手にしていた。

「花好きのともちゃんは、バラの花言葉を知ってるよね。一般的には『愛情』だ。見ての通り、ここには108本のピンクのバラがある。その意味を調べて、今度返事をくれるかな?」

智子には、それが彼のプロポーズであることがわかっていた。108本のピンクのバラは、「私と結婚してください」というメッセージを伝えていた。

「すみません。今、お返事をさせていただけますか?」

「うん、いいよ。」

「社長さんのお心遣いには、本当に感謝しています。父のいない私が試練を経験している間、父親のように支えていただきました。誰かに『社長さんが、好きか、嫌いか』と聞かれたら、迷わず『大好きです!』と答えます。でも、3年待ってください。」

「いいけど、どうして3年なの?」

「3年の間に、私は母が暮らす田舎に帰って、実家をゲストハウスにリノベーションします。費用は亡くなった夫の生命保険金で賄えます。ゲストハウスの運営がうまくいけば、それで母の老後の生活も安定します。その時に社長さんのお気持ちが変わっていらっしゃらなかったら、私を迎えにきてください。」

「わかった。ご実家のリノベーションについては、協力させてもらってもいいかな?私も建築屋だからね。他の会社に譲るわけにはいかない。そして、このバラは受け取ってもらえるかな?」

「もう、『お花が欲しいのです』とも言えませんから。」

二人は笑い合って、ハグした。たまたま忘れ物を取りに来ていた直美は、物陰からその様子を見て、涙を堪えられなかった。


3年後の「その日」に

カフェ・アロマティカスは、実家を出た直美が引き継ぐことになった。彼女は、智子のカレーの味を忠実に再現できるようになり、ロコモコやタコスなどの若者らしいメニューも新たに登場した(結婚する気のない彼女は、肉じゃがは作らない)。もちろん、国産、無添加は変わらない。画家志望の直美は抽象的な花の絵が得意で、店のエントランスに作品を掛けると必ず買い手がついた。皆んなは彼女のことを「なおちゃん」と呼んだが、「ともちゃん」を懐かしまない人はいなかった。

オーナーの雄三は、もちろん毎日のようにカフェ・アロマティカスに顔を出した。智子直伝のチキンカレーは、彼女に会えない寂しさを少しだけ埋めてくれた。直美は、彼の愛が3年間色褪せないように、相変わらず、例の曲をかけ続けた。

そして、智子は1年をかけて静岡の海の見える実家をゲストハウスにリノベーションした。雄三は1級建築士でもある。久々にCADで図面を引き、毎日のように智子とLINEで打ち合わせをする、ワクワクするような日々を過ごした。完成してからは、ゲストハウスの経営の相談に乗り、本社の研修やレクリエーションにゲストハウス「波のかおり」を利用した。

二人は、あえて結婚のことには触れなかった。特に雄三は、そのことを口出した途端、智子をさらっていきたくなる衝動にかられるからだった。しかし、秋風の立ち始めた頃、「来週の日曜日の昼頃そちらに行く。ミーティングルームを空けておいてほしい。少し豪華な昼食を5、6人分頼めるかな?アルコールはこちらで用意する。その日は1泊するので、ツインの部屋を用意してほしい。」とメッセージが入った。

そして「その日」、108本のバラの日からちょうど3年目の初秋の日曜日に、雄三は初恋の女性に会うように頬を上気させて、白いメルセデスAMGに乗った。この日だけは運転手には任せられなかった。助手席には智子の誕生石のルビーの指輪と薄紫のチューリップのブーケがあった。その花言葉は、「絶えない愛」。

ゲストハウス「波のかおり」で、二人は簡素な結婚式を挙げた。その日のために、智子の母はシルクの白いワンピースを縫っていた。雄三があらかじめ依頼していた立会人は地元の有力者で、人望のある人だった。お祝いに、大きな鯛の舟盛りを贈ってくれた。宴の後、婚姻届は立会人が預かって、市役所に提出した。


大平建設社長夫人になる

智子は後のことを母と手伝いの人に任せて、東京に戻り、しばらく直美と同居しながら、披露宴の準備をした。ブライダルエステは直美の担当。ドレスと訪問着は、思い出のデパートで、ブーケはいつもの花屋に注文した。雄三の邸宅には、雄三と娘の優美が用意した服やバッグ、靴など、ほとんどの物が揃っていたので、智子が買ったのは、お揃いのカップと夫婦茶碗、輪島塗の箸二膳ぐらいだった。ああ、歯ブラシを忘れてはならない。

その間に、智子は雄三と共に、葉山の雄三の両親を訪ねた。贈り物として、健次郎には、エルメスの黒のベルト、初枝には、作家物の帯締めを用意した。地方によっては、花嫁が花婿の両親の長寿を願い、「末長くよろしくお願いいたします」という気持ちを込めて、「長い物」を贈るという風習がある。どちらも彼女の貯金から支払った。

帰り際、初枝は智子の手を取り、こっそりと言った。

「智子さん、雄三のことをよろしくお願いします。こんなことを言っては、あれなんですけれど、亡くなった先の嫁は、政治家の娘でしてね、いわば政略結婚でしたの。それも早くに亡くなってしまい、雄三には辛い思いをさせてしまいました。ですから、今度こそ、雄三が『好きで好きでかなわない』あなたと結ばれることができて、母親の私は、ほっとしていますのよ。」

それは、言わば格式違いの嫁を受け入れた初枝の精一杯の歓迎の言葉だった。

それから一月後、親族を招いての披露宴、取引先を招待しての披露宴、社員たちが企画したお祝いの会、と1週間にわたって祝宴が続いた。直美はお祝いに、108本のバラを描いた60号の絵を贈り、それは社員のお祝いの会で、そのエピソードと共に披露された。歓声と拍手が鳴り止まなかった。

最初の披露宴の直前に、朱鷺色の菊の柄の友禅の訪問着を着た智子は、レストルームで女性客に尋ねられた。

「披露宴があるみたいですけれど、花嫁さんはいついらっしゃるのかしら?」

「もうすぐいらっしゃると思いますよ。」(彼女は若く見えるが、46歳になっていた)

披露宴の後、社員たちは何かにことよせて、雄三と智子の邸宅を訪ねるようになった。皆んな、花を手にしていた。もちろん、優美と将大の夫婦も例外ではない。そして、皆んな智子の美味しい料理をお腹いっぱい食べて、満足して帰るのだった。

二人は、たまにカフェ・アロマティカスにもランチを食べに行った。雄三はチキンカレーを、智子はナポリタンを注文した。静岡の「波のかおり」にもひと月に一度は泊まった。どちらも二人の愛の思い出の場所だった。

さて、世界一周旅行はどうなったのだろう? 雄三は、一度口にしたことは実行する人だ。彼が間もなく60歳になって、会長に就任した時に、それも果たされることだろう。

                  終わり




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