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年をとるのはいいこと?悪いこと?

別に節目でもなんでもないけど、今日Twitterで昔のことを思い出していたら考えたので一言メモ。

而立、齢三十を目の前にしたアラサーの私の答えは「イエス」。……と言いたいところだけど、正直に言うと「イエス・アンド・ノー」。

女の賞味期限はクリスマス、だとか、年を取ると劣化していくなんて、大学卒業の頃こそ周りにそんなことを言う人はいたけど、最近はとんときかない。私がそういう価値観のコミュニティからどんどん離れているのもあるけど(そういう自覚はある)、一方で世の中の風潮も、「女性は若くてなんぼ」ではなくなっている。よきかなよきかな。そもそもそんなのは50とか60で人生を終える人たちがたくさんいた時代の話で、現代は「人生100年時代」、20代だけが人生の綺羅星なわけがなく、単純に余命の半分が人生の頂点だというなら50歳くらいまでは若者だ。そもそも少子化が進行して、定年を迎えた団塊の世代が元気にはしゃいでいる世間をみると、「若さ」なんて人生を謳歌するのにそんな大事な要素ではないというのは納得がいく。というか、60歳はかなり元気で「若い」。年をとるというのは存外悪いことじゃあない、という昨今の流れには多いに賛成です。

けれども、「年をとる」という現象そのものに対してどう?それはいいこと?と問われたときにちょっと考える。

「イエス」と答える自分は、社会に出てある程度お金も稼いで、余暇は自分の好きなことができる。オタク活動をして旅行をして、時々身体を動かしたり。税金も納めているから、多少身体を壊して職から離れてもなんとか生きていける。ありがたし社会保険。まぁ社会保険に関してはいろいろいいたいことはあるけど、それは置いておく。趣味の作文でも、仕事でも、以前よりも向上している技能があって、場数だけは踏んできたからその分打率もあがっている実感がある。好きなモノや苦手なモノ、自分に心地よいスピード感も、失敗して躓いた分だけつかめてきているから、社会で呼吸するのもラクだ。ぶっちゃけ五年前や十年前にあった妙なプライドや見栄みたいなものがどんどんそぎ落とされていくのは心地いい。周りからどう見られているのかはわからないけど、自分が持っている話題も広がったし、同じように年をとっていく友人たちも同じように丸くなっているからいろんな話ができるようになる。友人との会話も、学生時代や出会った頃と比べてすごくすごく楽しくなっていく。同時に、これから私がそこそこの年齢のおねーさんになるにあたり、今まで私が母親以外の年上のおねーさんたちから、まるで魔法のように預かり受けてきた呪文を、この先出会う女の子たちにかけられるかも?というワクワク。親や、友だちの親以外で出会ったおねーさんたちはいつだって魔女のようだった。そんな大人と自分の年齢がふと近しいと気づいたとき、やっと私もあの個性的な魔女たちの仲間入りになれるのかと思う。なにはともあれ、取捨選択をしながら生き方を絞り込みつつ、自分自身の幅はアメーバのように広がっていく感じがする。結構楽しい。もう少し年若かった頃の閉そく感とは縁がない。

一方で、「ノー」。これは単純に、体力は確実に落ちていく。がむしゃらにつき進めた気力も同じように。それを補うのが睡眠と栄養、そして運動なわけだが、生活習慣と言うものはちょっとやそっとでは変えられないから、ずっと体力の底力でへっちゃらだったものがあるときしんどくなる。見た目に関しても、何もしなくてよかったのがちゃんとケアしないと思うようにいかなくなる。メンタリティに曲がり角はないけれど、身体の曲がり角は確実にあるのだ。
同時に、いわゆる「将来」に対する選択肢の狭まり方。一度は公務員もありかも?と思ったことのある私、なにげなく公務員試験の年齢制限を見たら、もうすぐ頭打ちだ。あーら。たぶん今から学生時代の延長で海外留学だとかもできなくはないけどハードルはぐんと上がる。昔は360°開けていた未来への道行き、今の位置から見たらたぶん130°くらい。まっすぐよりはかなり広いけど、でも私の行くべき方向はだいたい決まっている。そんな感じがする。それは私のことを守りに入ったと言われそうだけど、結局自分の人生は、今までの積み重ねなのだと最近実感する。今まで進んできたところから、加速することもジャンプアップすることも、ちょっと寄り道することも可能だけど、これから生きていくうえで武器にするスキルみたいなのは、それまでの積み重ねの結果なのだ。勇者としてはレベル60だけど、今から転職して僧侶になったらレベル1からスタート。ボスを倒すにはレベル100が必要で、残りのゲームの行程で1から100まで育て切るのは難しい。そういう意味での130°くらいだ。

そしてまた「イエス」の話題に戻る。果たしてこれは誰にでも等しく与えられた「イエス」なのか? たまたま私がベンチマークできるような年上のおねーさんたちに出会えていて、たまたま好きなものや得意なものに打ち込める環境があって、たまたまそれなりに努力が好きだったというそれだけなんじゃない?って気もする。失敗した分だけ自分の得手不得手を自覚するタイミングを持てて、だから上手く呼吸できる。自分が今まで年齢と関係のない技能で少しずつステップアップできている実感があるから、これからもできるだろうという実感があるんじゃない?っていう、そういう運のよさ。私が頑張った、ではない。頑張る環境すらも運じゃない?生まれ持った性格や性質もある。

何が言いたいかというと、私は、年をとることはいいこと!とおおむね答えられる。でも、それは万人が言えることではないのかもしれない。みんな思ってたらいいけど、若い頃はよかった~ってぐちぐち言いながら生きる人、絶対いる気がする。これまでの自分の生き方や出会い方の運や積み重ねが、これからの希望につながるな~とふと思ったのでした。

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