えいちゃん再スタートの日。
こんばんは。岡山からたった今帰宅しました、えいちゃんです。
画像のくまのクッキーかわいくないですか?手作りなんです。料理はできないけどお菓子は作れる系女子です…どうでもいいですね。
今、猛烈に感動というか高揚が抑えられません。
というのも、岡山から帰る途中に、本当に、本当に偶然知り合いに出会いました。あえて、友達と言わないのはその子ときちんと話をしたことがなかったからです。
その子は、並外れた行動力で興味の赴くままに走る、まさに「自分」を持っている子です。
そんな彼女のことを知る人も多く、私もその1人でした。
正直、私とはほど遠い存在で、憧れ、話しかけるなんて…と思っていました。
でも、ずっと話してみたかった。
その旨を伝えました。そして共通認識の話題から、進路の話へ…
今、自分自身が悩んでいて、やりたいことが分からないこと。正直、今何をすべきか分からないこと、全部全部話しました。
この悩みは、その子の夢を聞いてなくなりました。
彼女は言いました。
「社会を変えたい」
「今まで不可抗力で進まされてばかりだった。社会に苦しめられることも多かった。そんな社会を変えたいんだ。でも、どうやってやるかは決まってないんだ。」 そう言っていました。沢山沢山葛藤して、見てきた彼女だから言えることなのかもしれません。でも、”変えれそう”根拠はないけどそう思いました。
確かに今の日本には私も思う節があって、2人で盛り上がったのが、
髪を黒くしろ、スーツを着ろ
この考え方に納得いかないってこと。若者が何をほざいてるんだって思うかもしれないけど、髪が明るくて何かその人が変わるんですか?髪色で何を判断できるんですか?って思ってしまう…。スーツも、何か根拠があるならいいけど、わざわざ動きづらくて堅苦しいスーツを沢山の人が着ている光景はよく分からない。これだけに限った話ではないけど、それって固定観念ではなくて?って思うことは多い。”そういうものだから”って理由で終わってないのかな? こんな社会変えたい。うん、同意。
話が脱線しましたが、彼女の話を聞いていて分かったんです。
やりたいことってきっと形がないもの
だからようやく納得しました、
仕事は手段でしかない
やっとですよやっと。今までの私は、「〇〇が好きだから」とか「××が得意だから」とか、身の回りにある形あるものに必ず関連付けて「やりたいことってなんなんだろう…?」って考えていました。
それって知らぬ間に現実を見てて、枠組みばかりを作っていたんです。
でも、よく考えて。
中身が決まってないのに入れ物なんて用意できない
じゃないですか。ケーキのサイズが分からないのに箱なんて用意できない。”ケーキ=やりたいこと 箱=仕事” だと思うんです。やりたいことは形がないから、それを形づけるのが仕事。
例えばだけど、「世界中の子ども達を笑顔にしたい」っていうのがやりたいことだったら、ご飯をみんなが食べれるようにすることかもしれないし、マジックとか絵描きとか写真とかかもしれないし、教育を普及させることかもしれないし、そもそもその国を再構築することかもしれない。
要するに、やりたいことは形ないから手段はたくさんあるよねってこと。それと、多分だけど、やりたいことは探すものじゃなくて、もうみんなの中にあること、だから悩む必要はなくて、悩むべきは手段だって気づきました。真っ先に職業にばかり目がいくのは変な話ってわけです。それだと永遠に悩みがつかないはずです。答えなんてでるわけないんです。中スカスカなんだから。
ずっと私は海外に興味があるだけで、興味もない鳥取大学の農学部に来たのに、海外へ行きたい欲がなくなったもんだから農学部にいる意味がないって思ってました。確かに農業には興味ないから大学に面白さは感じていません。でも、海外に行きたかったのは「世界中の人の不平等さをなくしたい」っていうやりたいことがあったから。別にこの思いは海外へ行きたい欲がなくなったからってなくなるものじゃなかった。私は形あるものに囚われすぎてたんです。
今日から悩むべきところが変わります。これぞまさに、パラダイムシフト。
私は何がやりたいのか、それがどれだけ大きいことでも自分の中に既にある気がするから、今私がしたいのは自分の心と向き合うこと。今の自分をよく見て自分としっかり話すことなんです。
本当に今日、あの時、あの場所に居たこと、たくさん聞いて話してくれたことすべてに感謝しかないです。”自分が一皮むけた”それが錯覚じゃないくらい強く感じられました。
今度彼女とご飯にいくのがとっても楽しみです。
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