今年は翻訳者の友人が何人か亡くなった。みな、まだ60を過ぎたばかりだ。12月ということでひとりひとりをなんとなく思い出していたら、10年前のことがまざまざと蘇ってきた。
 当時は会社員だった。ある日自宅に帰ってきたら、1通のはがきが届いていた。年賀状以外ではがきをくれる人など、すでにほとんどいなかった頃だ。裏を返すと、薄墨の文字が並ぶ。「薬石効なく」って、誰か友達のお父さんかお母さんが亡くなったのかしら、差出人は誰だろうと見ると、覚えのない名前である。
 事態を把握するのに1分はかかったと思う。「故○○○○にいただいた生前のご厚情を」とある。友人であり、姉でも先輩でもあった大事な人、iさんの名前がここに入っていたのだ。
 3回くらい読み直しても、まだ混乱していて文字が追えない。
 この3週間ほど前に「このところ落ち着いた」と連絡をもらって嬉しくなり、「ご都合をお知らせください。会いにいきます」とメールしたばっかりだったのに。
 iさんとは、Niftyの翻訳フォーラムを通じて知り合った。イギリスでの生活を描くブログには、異文化の話、庭や周辺に咲く花や植物、気候、美味しそうなお料理やお菓子や作り方が、優しく温かい筆致で綴られていた。読むと幸せな気分になれる文章だった。
 感想を送ったりしているうちに距離が近くなり、新宿の街をふたりでそぞろ歩いたこともある。白いカーディガンを羽織ったiさんは、わたしより10歳ほど年上のはずだが、とても可愛らしく見えた。きっと、お婆さんになっても可愛いんだろうなぁ。これをお人柄というのだろうか、などとつらつら考えていた。
 共通の友人の仕事場を一緒に訪ねたこともある。辞書の用例カードを作った経験を話してもらったが、当時はそうしたことw何も知らず、他から情報を聞いたこともなかったわたしは「なんだかたいへんそうな世界だなぁ」と、驚きとも感心ともつかない顔で、ぼけっとiさんの顔を見ていた。
 仕事と生活を回すので精一杯、5分でも時間が空けば眠りたいという毎日を送っていたわたしは当時、しっかり地に足をつけられず常にふわふわと漂っていた。けれどiさんはいつも穏やかに微笑んで話を聞いてくれ、声だけでなく態度でも「大丈夫よ」と伝えてくれた。
 そのiさんが入院、手術されたと聞いていた。カロテン療法のために人参ジュースを飲んでいることも。数か月前まであまり思わしくなかったが、最近はだいぶ回復して体調のいい日が増えてきたとメールがきて、とても安心していたところだった。
 わたしは社交辞令が大っ嫌い。思ってもいないくせに「今度会おうよ」「ご飯食べようよ」と言われると寒気がするほどだ。
 だが、そんな自分がiさんへのメッセージには「会いにいく」と書いた。それは、「ほんとうに」会いにいくつもりだったのだ。だからこのことばを使った。「◯◯日なら」のことばを待って……。
 あれから10年経った。お墓参りに行きたいが、ご遺族には四十九日にお花を送ったきりで、連絡を取るのもいまとなっては憚られる。聞いておけばよかった、いや、「葬儀は近親者のみで済ませ」とはがきにも書いてあったのだ、教えてもらえなかったかもしれない。
 今年の年末は、亡くなった友人たちと、ゆっくり酒を飲みながら話ができたらいいな、下りてきてくれないかな、と思っている。iさんもそのとき、わたしと話をしに来てくれるだろうか。

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