せんべい誕生の地でジャパニーズソウルフードを「カリッ!」

 おにぎりは日本人にとって、行事にも日常の食事にも欠かせないソウルフードだ。ただ、ひとつだけ難点がある。米を水で炊いた食物だから保存がきかない。江戸時代にも同じように考えた人がいて、おにぎりをつぶしてピザ生地のように平たく伸ばし、両面が乾くまで焼いた。保存食「せんべい」の誕生だ。
 一般的なせんべいは半年間ほど保存できるし、東日本大震災以来、災害食として賞味期間が5年間という商品も開発された。保存がきくというのはお土産にも向いているということで、いつでも、どこにでも、だれに対しても、楽な気持ちでもっていくことができる。甘いものが苦手な人はたまにいるが、せんべいが嫌いという人は聞いたことがない。
 せんべいといえば「草加せんべい」だ。自己紹介で出身地を「埼玉県の草加です」と言うと、その場にいる人から「ふーん」と返される。聞いたことがないという反応である。すかさずわたしは「『草加せんべい』の草加です」と付け加える。すると「ああ、せんべいの!(知ってる!)」と返ってくる。これはいつものことだ。草加、いや埼玉県が日本地図のどこに位置しているのかは知らなくとも、誰もが認識してくれる固有名詞が「草加せんべい」である。
 ここで、その草加せんべいを一番美味しく食べる方法を皆さんにお教えしよう。
 草加には、せんべい以外にも誇れる名物がある。建設省および「道の日」実行委員会によって「日本の道100選」に選ばれた日光街道の松並木だ。ここへ向かおう。東武スカイツリーラインに乗って獨協大学前〈草加松原〉駅で降りる。東へ5分ほど歩くと交差点があり、信号手前に小さなせんべい屋がある。ここ「まるそう一福」で、草加せんべいを1~2枚買っていく。
 横断歩道を渡ると「国指定名勝」と刻まれた石碑がある。松並木の出発点だ。川沿いに右へ歩いていく。綾瀬川の右岸に当たる遊歩道の両側には、六百本以上の松が並ぶ。街道では一日中、老若男女が歩いたり走ったり、ベビーカーを押したり犬を散歩させていたりする。パンデミックでスポーツジムが閉鎖されたときも、黙々と歩くマスク姿の人たちの姿をよく見かけた。地元民にとってはどんなときにも運動の機会を提供してくれる、安心のウォーキングコース、ジョギングコースなのだ。
 しばらく行くと、大きく緩やかな弧を描く太鼓型の歩道橋が出現する。望楼までもう少しだ。橋を渡ればすぐ、杉と桧で造られた、高さ11メートルの五角柱が控えめに佇んでいる。望楼内に入って螺旋階段を登ろう。一番上まで行ってもビルの3階くらいなので、高さを誇る展望台というわけではない。しかし3月には、深緑色の松を背景として、薄紅色の桜が絵の具を筆で振ったように広がる。斜め上から見下ろす花見なんて、他ではなかなかできない。
 ここで休憩を取る。いよいよ、さっき入手した草加せんべいの登場だ。塔内は狭いので、望楼の外に出てベンチに腰掛け、包装をピリッと破る。バゲットのパリッとしたクラストが好きなら、せんべいのカリッとした食感も気に入ること請け合いである。表面に塗った醤油の香ばしさがひとしおであるのも、草加せんべいの自慢である。
 手や歯でせんべいを割りくだきつつ右手前方に目をやると、杖をつき見返りの旅姿をした像がある。江戸時代の俳人、松尾芭蕉だ。芭蕉の紀行文『おくのほそ道』に、深川を出立した後、初めて泊まった宿が草加であると記されていることから、縁の地として建てられた像である。ここを芭蕉が歩いたんだ、草加はどんなふうに芭蕉の目に映っただろう。
 私は芭蕉が歩く300年前の景色を想像してみる。もっと松並木の間隔は狭く、日中もこんなには明るくなかったんじゃないだろうか。
 せんべいのかけらまで余さず口内に収めたら、100メートルほど先の小さな橋を渡る。今度は松並木の対岸から、川のすぐ脇まで降りられる散策路を歩き、水鳥の模様やカヌーをのんびり眺めてから、ふたたびせんべいを買って獨協大学前〈草加松原〉の駅に戻ろう。1日はまだ長い。ここからスカイツリーラインに乗って、今度はスカイツリーの展望台から東京全景を見おろしつつ、せんべいをカリッといく計画はどうだろう。

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