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Vendanges 2020 コンドリユーにて その3:私が見た2020年ビンテージ

10月25日(日)に冬時間に移行した。
この日を過ぎると一気に冬に向かって加速していく感じがするフランス。
日照時間が日に日に短くなっていく速さには、まる8年経った今でも、ついていくのがしんどいと思う。

ワインの醸造の方はどうだろう。
低温発酵しているところはまだ発酵中だろうか。赤はマロラクティック発酵中だろう。
ボジョレーヌーボーはもうそろそろ瓶詰が始まるのだろうか。
来週には仏国内の営業がヌーボーの試飲をしに回るだろう。…絶賛ロックダウン中だが。

そんなことを考えながら、収穫中に私が感じた2020年ビンテージを振り返って見る。

『朝のまたぎに生まれ指ばら色の曙(エーオース)の女神が姿を現すと…』 (『オデュッセイア』ホメロス著 より)
という言葉を読んだ時、イマイチぴんと来なかったのだけど、ブドウ畑に着いて朝日が昇ってくるのを見た時に「あぁ、、、こういう情景を言っていたんだなぁ」と実感した。
ブドウ畑に降り注ぐ曙の光は、美しく、慈悲深ささえ感じられ、自然は誰も拒絶しないのだと感じられた。

極度な乾燥に見舞われた今年のブドウを見た時の感覚は、「けっこう粒が小さいな…」という感じだった。
だが、樹齢の高いブドウであればあるほど乾燥に耐える力が強く、堂々と実を成らせていた。
その一方で、若いブドウ、特に古樹の中に植え替えで植えられた若木は、正直苦しそうだった。
そりゃそうだよね、博士級の人たちの中に小学生を放り込むようなもんだし。。。

うどん粉病やベト病も多少あったが(例年のごとく)、夏の酷暑は免れられた2020年。
実りは概ね良いように感じられたから、また「当たり年」とか言われるのだろう。

私はこの「当たり年」とかいうビンテージに関する考え方がどうもしっくりこない。

例えば、直近では、2015年が偉大なビンテージと言われている。
まぁ…確かに、何の病気もなく、天災もなく、アルコール度数もしっかりあるビンテージだろう。
病気のないビンテージは、作り手の醸造技術に頼らずともおいしいワインができる。おいしくないワインに出会うことはほとんどない。
そういった「安心」がすでにビンテージに備わっているという意味では「当たり」なのだろう。
ただ私個人は、こういうビンテージは、正直どこかつまらない。

何故つまらないのか。
果実味があって、アルコール度数もしっかりしており、超熟にも耐えられうるだろうビンテージ。
クラスで一番の成績で、容姿も良い、運動もできる、先生に対して従順な子、人当たりもよくて友達も多い、みたいな感じのワイン。
これの一体何が不満なのか、と言われても、、、「隙が無さ過ぎることが欠点」としか言いようがない。どこか完璧すぎて面白くないのだ。
満開の桜、咲き誇るバラを眺めるのにも似ている。

反対に2014年は、大きな天候被害は無かったものの、ビンテージだけを単純に比べると2015年に劣るといわれる。
でもこのビンテージのワインの方が私は好きだ。
ほのかに残る酸味がワインを飲んだ時の感想に奥行きを与えてくれる。
「もう何年かしたらもっとおいしく熟成するのかもしれない。」という感覚、でもそれがいつなのかはわかりにくいミステリアスさ。
それがまた飲んでみたいと思える原因なのだろう。

6~8分咲きの桜、少し開きかけたバラのような感覚なのだ。

2020年ビンテージは、そういう意味では2015年に近いのかもしれない。
完璧はつまらない。でもおいしいワインは好き。結局私がわがままなのである。
いずれにしても2020年を飲むのが楽しみだ。私の今の予想と反するかもしれないというミステリアスさが残っているしね。

収穫期間中、暑さがしんどくて、午後は上はブラトップになって収穫していた。
女性はみんなこんな感じだったが、目のやり場に困る…といった男性がいないのはフランスだからだろう。
日焼け止めもしっかり塗ったが、保育園で「黒んぼ大賞」を取った経験もある日焼けしやすい私は、もちろん例外なく日焼けしまくった。
収穫してから2カ月経った今でも、背中はブラトップの線を境にツートンカラーになっている。
Vendangesの置き土産である。

どうでもいいが、「黒んぼ大賞」を取った時の写真の私はバンザイしながら苦い顔をしていて、母がアルバムに貼ったコメントが「もらっても大して嬉しくない黒んぼ大賞」だった(笑)
本来は外でしっかり遊んだことを示す賞なのだが、今なら「黒んぼ」という言葉が引っかかってこんな賞をあげられないだろう。それか違う名称にするだろう。

ブドウ畑の仕事は、秋の追肥をしたり、そろそろ剪定準備に入っている頃かな。
2021年ビンテージが始まった。

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