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だってPeople In The Boxが好きだから - 2020/12/12の日記

 私は今まで、好きなものがどうして好きかを書き記すことをすすんでしてこなかった。理由はただ一つ、否定されるのが嫌だったからだ。好きなもののどこが好きか説明して「そんなわけない」「間違いだ」と言われたら、自分の本質を否定された気持ちになる。曖昧に好きでいたほうが楽なのだ。けれど、そんな理由で好きなものを曖昧にしか捉えられていないのは、勿体ないことだと思うようになった。否定も悪いことではない。誰にだって好きなものがある以上、好きではないものがある。誰もが全てに賛同し、全てが好かれる世界だったら、自分の好きなものを考える意味も必要性もない。

 そういうわけで、好きなものの話をする。なお、好きなものには慣れ親しんでいるという要素も深く関わっているが、「慣れ親しんでいるものが好き」というのはほとんどの人間が持つ性質だと思うので、慣れ親しんでいるという要素はできるだけ排除しそれ以外のことを考えたつもりです。


 これから話す好きなものは「People In The Box」というバンド。音楽に対して文字媒体での説明というのは相性が良くないだろうが、好きなものの中で最も書き記したいと感じたので書くことにする。

 まず、出会いの話を。高校1年生の夏前、英語の授業で隣になったクラスメイトと音楽の話をきっかけに親しくなり、彼女にPeople In The BoxのCD(Rabbit Hole,Bird Hotel,Frog Queenの3枚)を貸してもらった(当時CDを貸し借りする文化がまだあった)。
 初めて聴いた時「奇妙な雰囲気の音楽だな」思ったのを覚えている。けれど、それらよりも気になったのは言葉だった。一つ一つが不思議で、重みがあって、鋭くて、つい聞いてしまう。そうして聞いているうちに、言葉とは不釣り合いな優しい歌い方をしているなあ、とも感じるようになる。演奏技法も当時の私にとっては不思議で仕方なかった。
 柔らかいものに包まれ、身動きが取れないままで脳のなにかを揺さぶられているような感覚。浮遊感とはまた違う。もっと自由がない。これが箱の中ということか?などと、思ったときにはもうすっかりハマっていた。
 その後はライブに何度も足を運び、新しく作品が出れば聞いて、「良いな」「好きだな」という認識を反射的に繰り返していただけなのかもしれない。アーティストという性質上、メンバーへの憧れもあった。高校生はおそらくそういう生き物であるし、少なくとも当時の私には信仰心のような気持ちが存在していた。大好きであった。

 前置きが長くなったが、何が好きなのかを改めて考えてみる。最初から変わらずに好きだと思うのは、

1.言葉選び
2.緻密さ
3.「変わっている」と感じられること


だろうか。要素分解したとき、この3つが最小単位になる。

先ず、3.について人の作品に対して「変わっている」と書くのはやや不敬かと思うので謝罪を述べます。当時の自分が覚えた感覚を言い表すために、この表現が最も近いと考えたためこのように表記をします。

 1.言葉選び
 この表現をしたのは、歌詞とは分けたかったからだ。本人が意図しているのかどうかは確かめようがないが、言葉(文語・口語問わず意味を持つ文字列のこと)をそのまま言葉として用いて歌っている印象がある。もちろんメロディックで歌詞らしい場合もあり、この切り替えが鮮やかな作品を産んでいる気がする。A→Bメロで言葉を並べたあと、サビで歌う。落ちサビではより優しかったり、鋭かったり。
 例としてどれを挙げたらいいのかわからないほどたくさんある。私の頭は10年以上かけてPeople In The Boxナイズドされているため、何も偏りなく「良い歌詞」を選定することは容易ではない。
 八月 という楽曲がわかりやすいかも。https://music.apple.com/jp/album/%E5%85%AB%E6%9C%88/1333464286?i=1333464301

 2.緻密さ
 ほとんどの表現者・アーティストに共通することかもしれないが、彼らの場合は先に述べたように、歌詞か演奏技法が挙げられると思っている。
 意志のある調性の変更やリズム隊と独立したメロディなど、所謂テクニカルなPeople In The Box流の緻密さが私は好きだ。こういうバンドは他にも大勢いるけれど、1.の言葉選びとこの緻密さがちょうど同じになることは多くはないだろう。

 3.「変わっている」と感じられること
 これは私の主観,物事をどう捉えるかという話であるが、私はそもそも「変わったもの」が好きである。所謂メジャーではないと思えるものであったり、アンダーグラウンドやサブカルチャーと呼ばれるものを好きになる節がある(こうして改めて書くとかなり恥ずかしい)。
 パブリックよりパーソナルなものを好むといえばわかりやすいだろうか。私は一人で過ごす時間が好きだ。特に、私だけに意味があると感じられたことに熱中するのが好きだ。一般的ではないパーソナルな事柄を見つめているとき、いつもより心が躍る。
 足並み揃えて進んでいってしまうクラスメイトの皆は、きっと知らないであろうこと。個体がなくなってしまいそうな満員電車ですれ違う人々も、近所のひとたちも、両親もきっと彼らの事を認識すらしてないだろう。当時は、私だけのものと思えるような宝物がそばにあると感じていた。その事実は多くの幸福を齎した。
 ライブを見るようになってからは、たくさんのファンがいることを知った。そのうちファン同士の交友関係も持つようになり、完全に自分だけの世界ではなくなったが(そもそも私の所有物ではないのだが)、誰かとPeople In The Boxの話をできることもまた嬉しかった。「変わったもの」が好きということを、私がそういうものに心を動かされたということを、なんだかんだで誰かには共有したかったのだとも気づいた。
 これらの経験が貴重であったことは間違いない。「変わったもの」ではなく「特別」と言い換えても良いのかもしれない。
 私にとってのPeople In The Boxは、クリームソーダのさくらんぼ,折り紙の金色,ハンバーグの付け合せのハッシュドポテトみたいに最後まで楽しみにとっておきたい「特別」な存在なのだ。

 ここまで好きな気持ちをつらつらと述べてきたが、全然伝えられていない気がしてならない。好きなもののなにが好きかを言うときに最も手強い敵となるのは自分だと思う。
 また、私がここでアレコレ述べることで、表現を壊してしまうのではないかという勝手な心配も湧いてくる。ああ、だんだん彼らにも迷惑をかけていないかということが気になってきた。好きすぎて拗れたモンスターになっている。
 私の言葉より、彼らの音楽を聴く方がずっといいに違いない。頭の中で先述のようなことを何度も何度も考えて、言葉にしたい気持ちを封印してきた。でも書く価値も、好きを理解することの大切さも知ってしまったら、いつか書きたくなってしまう時が──まさに今が!──やってくるのだろう。

私の特別、宝物である「People In The Box」にあらためて感謝を。ありがとう。

サブスクのリンクを貼っておきます。
一番心に残っている作品はGhost Appleです。インストアライブと残響祭で聴いたときの記憶は今も忘れられません。
最も洗練されていると感じるのはSky Mouthです。好みの問題でもありますが、気になった方は聴いて確かめてみてください。
https://music.apple.com/jp/artist/people-in-the-box/263269714
https://music.line.me/webapp/artist/mi0000000000292136
https://open.spotify.com/artist/07PkYuHKeec24az6lKeUS5

//タイトルの画像は高校生のときに描いたものです。懐かしいな……。ずっと大好きでいられるものがあるのは、本当に幸福なことだと感じる。

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