見出し画像

光の鍵の在処(ありか)

最近、ずーっと観てる
ドラマがある。




『今際の国のアリス』




清純派の太鳳ちゃんが
短い髪にタンクトップで
ワイルドに立っている画像に惹かれ





観てみたらもう、ものすごいバイオレンス
ホラーの世界💀💀




暴力、欺瞞、殺戮、恐怖・・
一体何人死ぬんだよっていう💦
性的描写も多い。




目を背けてやり過ごさなきゃいけないシーンも
1つや2つじゃなかったし




(スペードのキングなんて、1時間ずっと
目を覆って体を硬くして観てたw)




いつもの私なら
絶対に1話すら全部観れずに
やめてしまってるようなドラマだ。




なのになぜか、
シーズン2に入っても観続けている😳




(ガイドに)
観させられている感がある。




なんで観続けられるのか・・





それは、希望も何もない
あの恐怖の世界の




その中に
光があるからだと思う。




愛があるから




本質があるから




だから、もっと中を
見たいと思わされるんだと思う。





1年前、アンドロメダガイドが言った
言葉を思い出していた。




「正しく生きよう、
満たされて生きようとする人は




光の扉の鍵を
見つけることはできない。




光の扉を開く鍵は
闇の中にある・・」




これは太鳳ちゃんならぬ、タオのシンボル。
太極図と同じ感じだ。



光の中に、1点の闇がある。
闇の中に、1点の光がある。




この勾玉は
2つで一対。




光と闇、両方あって初めて
完全な円となる。




こういう内容は
言語化が難しいんだけど💦




光の扉の鍵を見つけるために





あえて暴力や殺戮のヒリヒリした世界に
飛び込めってことじゃ
もちろん、ないよ。




そんな極限状態は必要ないし、
しないでね。




でも、このスピリチュアルな世界、
いや、人間の世界でありがちな




光だけを見て
清く正しく生きること




半分だけの
制限の世界




安全に、安泰に
豊かに、何事もなく・・




それをつい、私も含め
人は求めてしまうけど




それってもしかしたら
プログラミングかもしれない。




正しさや安泰を追い続けさせれば
光の扉の鍵は
決して見つからないから。




この地球はまだ
二極のエネルギーの中にある。




正しくあろう
清くあろう
絶対、そんな人しか受け入れない!




・・としてしまえば




極端に針が振れ、
極まった光は
いずれ闇を作り出す。




どっちか一方が過多になれば
もう一方がバランスを取るために
必ず入ってくるようになってる。




勾玉の中の
1点を通って




そしてオセロのように
勾玉の色が変わる。





正しく生きようと頑張ってる人にほど
闇がたどりつきやすいんだね。




だから両方見る。白も黒も。
大きな1つの円として。




大事な自分の一部として。




そこがワンネスの入り口。




白と黒、どちらも受け入れ
どっちも理解する。






闇を体験しろって
ことじゃないよ。




ただ、闇を受け入れるという選択肢を
持てる人になればいいんだと思う。




間違わない撰択をする人じゃなくて
魂の声のほうを取る人に。




悲しい時、怒ってる時
それを不快なこととして
追いやって仕舞わないで




あえてそのエネルギーの中に
頭から飛び込んでいく人に。





そしたら、その中にある光に
必ず気づく。





闇の中にある
本質の光に。





地球って、本物の入り口は
いつも反対側にあるみたいだね。













この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?