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正解はいくつもある<前編>

ここ1週間の嵐のような日々を
どう書いたらいいんだろう。




うまくまとまるかわからないけど
順番に書いていきます。




私、ニュースって見ない人で。



もうずっと前から
新聞もTVも、ネットのニュースも
ほぼ全く見ない。




だからなのか、このコロちゃん渦の中でも
まるでそんなもの存在しないかのように生活してきた。




ワクちゃんに関しては、出始めたとき
上が打つなというので打ってなかった。




その直感を100%信じていたから、
ワクちゃんに関して調べもしなかったのね。




その感覚に疑いがなかったから
調べる必要がなかった。




それに調べれば調べるほど混乱して
自分にとって正しい判断ができなくなるとも思ったから。






そんな私に息子がある日言った。



「マミーぼく注射やだ」



「なんの注射?」と聞くと
Covidだと言う。





カリフォルニアの学校は
来年以降、ワクちゃんが義務化されると言われている。




そのニュースを聞いたパパちゃんが
息子に注射するよと話したそうなのだ。




息子は私と違って人付き合いが上手だし
子供にとって、他の子たちとの交わりは
勉強以上に大切だと思ってるから




こと息子に関しては
ワクちゃんを避けるために学校を辞めさせるという
選択肢はあり得なかった。




そんなことしたら、
きっと精神を病んでしまう。




だから、学校が義務だというのなら
その時は私も息子と一緒に打とうと思っていた。




息子だけ打って私が打たないなんてことは
ありえない。




でもまあ来年だし
今は考えなくていいかアハハって思ってたら




今月11月からアメリカは
5歳以上の子供のワクちゃん摂取が可能となり




パパちゃんが、今すぐにでも受けさせてくれと
言い出した。





その時、初めて不安になった。




”こんな小さな子供に、打っても大丈夫なの?
まだ緊急認可の段階なのに
もうちょっと様子を見てからでもいいんじゃないの?”




それが最初の気持ちだった。




パパちゃんの決断には
息子への愛がベースにある。




私だってもちろんそうだ。
そこは完全に合致してる。




出張が多く、人が集まる場所によく行くパパちゃんは
それだけ感染する可能性も高い。




彼自身は接種してるから平気だけど
もし息子が接種せずに感染してしまったら・・?



彼はそんな風に思ったから、
接種させて息子を守ることは
親としての当然の責任だと考えたのだ。



その理屈はよくわかる。




だから、たくさんたくさん考えた。
私についてくれてる意識の人たちにも
相談しまくった。




上はもう、今は打つなとは言ってない。
どちらでも大丈夫だよと言っている。




でも、100%の安全性が保証されてないものを
息子に与えなければいけない不安


強制される感覚



家族からのプレッシャー
学校のプレッシャー



世間の圧




パパちゃんと平和的にこの家を回し
ワクちゃんを打つためには




世間一般の価値観を
脳内にインストールしなければならなかった




それが一番辛かったな。




私は、個人的には
打たなくていいのなら打たないという意見だった。



だけど、そのために例えば
息子を連れて山に逃亡するとかね



要するに、自分と反対の意見の人と
真っ向からぶつかって戦うことは




なんの解決にもならないって
強く思ったんだよね。




自分が正しい、相手が悪いと
正当性を主張し戦うことは



たとえ今回はやっつけられたとしても
また新たに別の敵を先に作る



どこまで行っても二元の世界。




山に逃げたって
誰も幸せになんかならない。



私がいたい世界はそんな場所じゃない。




だから戦わずに
もう打とうと思った。



戦わずに、話なんてせずに。




パパちゃんとはなんというか
価値観が180度違って



得意分野が全然違うからこそ
助け合えるっていうのもあるんだけど




彼と何かを話し合わなければならない時は
常に緊張と不安が走る。




まるで、フランス語とタガログ語で
話してるように



お互いの言ってることが
お互いに理解できない。




でもワクちゃんっていう大事なことを
二人で決めることになり




もう二元の世からは出よう
本当の調和の世界に行こうと思った私の




その決心が
なぜだか、神官時代の記憶を深く蘇らせた。




<後編に続きます>





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