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子供の頃の感覚は自然の美しさそのもの

空や海などの、心に沁みる風景を見た時に一番に思うことは、
「綺麗」とか「ずっと見ていられる」とかではなく
「私もこの景色の一部になりたい」だ。
私は無意識レベルで自然そのものになりたいと願っている。


美しい風景を見てこう思っている自分に気付いたのは
思春期ぐらいからで、それよりも前の年齢の時は
見える世界がとにかくいつもクリアで、澄み切っていた記憶がある。
自分自身が美しい風景、自然そのもののようだったのかもしれない。
この頃の自分を記憶の中から見つめている時の感覚は、
今の自分が空や海などの自然を見ている時の感覚に似ているからだ。


幼稚園や小学校や家庭で嫌なことがあったり、
子供ながらに自分の人間としての生々しさが出ていた
記憶もあるので、美化し過ぎているという訳でもない。
しかし幼稚園~小学校低学年までは、日常で見えている
基本の世界が本当に今よりずっとクリアで瑞々しかった。
新しい体験・行動をした時のあの、純粋で潤った好奇心が溢れ、
身体中が透明できらきらとした、目に見えない美しさでいっぱいになる感覚。
その感覚は今も心の芯に残り、私にずっと希望を与え生かし続けてくれている。
どんなに苦しい時も、この社会に対する憎悪で心が埋め尽くされた時でも
私の心の泉からはこの美しい感覚が湧き続けているから、私は大丈夫。


成人した頃から、この心の芯にある感覚を意識し始めた。
そこから少しずつ、あの頃の澄んだ感覚に近づいていっている自分を感じている。
これからも紆余曲折あるのだろうが、子供の頃のあの感覚が
私を常に浄化し続け、社会に流されそうになったとしても、心が潤う方向へ導いてくれるだろう。
きっと私がおばあさんと呼ばれる年齢になる頃には、気付けばあの頃の感覚よりも
さらにパワーアップしていて、美しい自然の中で生活しているような気がする。
そしてそのまま最期を迎え、美しい自然の一部になりたい。


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