家のはなし

12月くらいから次に住む家を探している。

永福町6万4千円(20平米くらい、木造2階建ての1階、はじめて見るバランス釜の青い炎が怖かった)→西巣鴨7万5千円(バスより遅い都電荒川線の踏み切りの輪唱がめっちゃうるさかった)→池袋7万5千円(築40年で最初はゴキブリがたくさん出たが退治してからはなかなか快適、今も都合さえ合えば池袋には住みたい)→京都北白川(とくに特徴のない3LDKに妹と住んでいたが、毎年大家さんから切ったロウバイの枝をもらうと部屋がいい香りに満たされるのはよかったが「うちは女性のひとり暮らしは入れないのよ、いろんなことがあるじゃない」などという大家の婆さんのことはあまり好きではなかった)→都内の社員寮(マッハで通勤できたが起床が超遅くなった、あれだけ家賃が安かったのになんでお金がたまっていないのだろう)→神奈川県某所14万円(狂った間取りの3LDK、狂った間取りなので部屋より広いルーフバルコニーがついているのも最高だったがリビングがおかしな形をしていて光熱費がやばかった)などを経て、次に住む家は自分で手を入れて長く住める家にしたいと思っている。

会社の帰りに外を歩けば、おしゃれなタイル張り、洗濯物がよく乾きそうな階段状になっていたり、植栽がもこもこしているマンションが目に入ってくる。窓からもれてくる明かりは感じがよく、どこも素敵な人が住んでいそうに思える。

しかし、住宅サイトで探したり実際に物件を見に行くと、「なんか違う」の嵐が吹き荒れている。郵便受けからはみ出したチラシが風に吹かれていたり、幹線道路がすぐ横にあったり、灼熱の西日を浴びながら「日当たりは最高ですよ」とすすめられたり、間取りが最高だと思って検索したら風俗店がたくさん入っているビルだとわかったりするのだ。古いけど中はきれいにしておきましたよ、リフォーム済みですよといかにもペナペナの床やいらない建具や造花の飾りを見せられると、からあげにグレープフルーツジュースをぶちまけられたような気持ちだ。

たぶん、本当に消耗するのは条件のすり合わせでも営業マンとのやりとりでもなくて、人が住んでいない部屋のまとっている雰囲気そのものだと思う。暗く寒々しく、ルームクリーニングしたあとでも落ちているちょっとした髪の毛やほこりは、いっそう汚らしく感じられる。精神が蝕まれるので、日に何件も見るのはなかなか難しい。

だけど住んだあとなら、その嫌悪感はけっこうクリアできることも知っている。今の部屋にもたいがいひどいところはあるが、バスタオルかけすらないお風呂場のあちこちに吸盤フックや取っ手をつけただけでも、愛着は段違いだ。工夫してやっと体になじんでくるものなのだ。道行く人があこがれる明かりのひとつになる日を目ざして、手のかけがいのある箱を探す旅はまだまだ続く。

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