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私の心を救ったあの御馳走

景気の低下とともに個人事業の売り上げは下がっていった。長年培った営業経験を根拠に手当たり次第訪問しても、その悲壮感から誰も相手にしてくれない時期が数年に及んでいった。順調なときに結婚もし、子供も授かり、これから順風満帆と意気込んでの船出だった。
長年業務提携しながらパートナーだと絶大な信頼をもっていた法人の突然の政策変更だった。
顧客に対して情報を他の業者に横流してその業者に売り上げをあげさせようとするものだった。蜜月の関係にあった親しいその業者に私の顧客リストを無断で渡し、営業させるという今では到底考えられない手法だった。
当然ながら、支社長に猛抗議をした。
「上からの指示だから」と一点張り。新規深耕の開拓については
権利はまず私にあるのではないかと抗議をした。
そもそも情報を他社に流すことなどありえないと抗議したが、相手の心には響かなかった。悔しさと涙。
さらには、その業者は私の顧客リストを回り、私が廃業したと嘘をいいまわっていたのだ。そのことも追及した。相手からも支社長からも謝罪はまったくなかった。
それまで数十年順調に推移していた成績はあきらかに落ちていった。
個人事業主である限り、一人働かないといけない。心もかなり傷ついた。
メンタルもえぐられた。何を希望にしたらいいのか。もはや信用できないとの思いでいっぱいになり、営業の行動量も落ちていった。
自分のメンタルを維持できず、立ち直って次の準備もせず、ただひたすら人のせいに会社のせいにしていたと思う。
これからどするかと思っていた矢先、同業の大手法人が私の住む地域に事務所を立ち上げるので手伝ってほしいとオファーがきた。長年一人でやってきた店をたたむのもかなり悩んだが、この業者と提携して進むよりも商材が多く仕事もしやすいだろうと統合することを決めた。
それまでの顧客を引き継ぐことができたので、すべて移管した。
事業主からサラリーマンとしての仕事になり安定した収入も約束されているそういう労働契約だった。
大手であり安心していたのだ。だが実際はそうではなかった。売り上げを搾取され、給与に支払いもまったくない会社に引っ掛かってしまったのだ。
よく聞くと業界でも有名なブラック企業だったのだ。
どこまでついてないんだ。私は私の運命を憎んだ。家族にも相談できず、いや相談したところで理解できないだろう。順風満帆に育ってきたんだろうから。生きていく気力もなくなってきていたことだろう。
さらに気持ちが落ちると同じ事は繰り返すものだ。借金ばかりふくらみ、次の仕事を探さなけれならない。いろんな仕事も経験した。土木、清掃、営業、介護関係まで数十種の厳しい仕事を働き盛りに経験しなければならなかった。すでに体重も激減し始めていた。生きることを食べることは同じだ。
食べたいという欲求がなくなっていき、ただ、機械のようにお金を求めてはたらいた。そして同業界からまた似たようなスカウトから経験を活かしてこんどこそと思って飛び込んだ会社も以前の会社と同じだった。もっと働ける元気に年代のときに、こういうトラブルに巻き込まれていったこともまともな判断力が低下し活力も失っていたことだろう。ごはんも喉を通らず、毎日、毎日生活の心配をし、明日の生活がどうなるのか心配しながら、家族から責められ、会社での理不尽さ。いよいよ体にも変調をきたし、脱毛症や喘息、アレルギー発作まででていた。
コロナのきっかけもあるが、すでに両会社をやめようとするとき、いつも懇意にしていただく方から連絡があった。土木のアルバイトをしていたときの社長だった。「今、時間あるか、めし食べにいくぞ」。家族連れで誘われるままお店にいくと社長の家族やら知人との食事会に声をかけてくれたらしい。地元でも有名な和食料亭。多くの人数の方がその社長の招待できていたのだ。恐縮しながら食事にありつく。それまで食べるころがなかったので、体重も20キロ近く減っていた。骨も見え、やせ細り、ふらふらした状態だった。そういう姿をみてみかねたのだろう。「どんどん食え」と言われ、
出される和食を遠慮なく御馳走になった。それが最初のきっかけだった。
それからこの社長からことあることに、焼き肉や寿司に誘っていただいた。
生きる気力をなくしていた私に食事を御馳走を沢山していただいた。
体重も徐々に戻り、気持ちも取り戻すことができ始めていたのだ。
食べることで生きるための活力まで御馳走になった気がした。
どんなに裏切られても、心落ち込んでも、こんなに支えて頂ける方がいる、たくさんいると涙があふれた。

今まで、いらんな和食、中華、お寿司、焼き肉まで誘っていただいた。
何もしていないのに気にかけてくださる方がいる。
いままで自分中心だった。人や世間をうらやみ、自分だけが苦しいと思っていた。もうこれ以上生きていてもとさえ思った。それは明らかに間違っていたと思う。支えていただける方がいることに気が付かなかっただけで感謝がなかっただけなのだ。苦しみを作ったのも自分。心を保つことができなかった自分。こんなにも笑顔で支えてくれる方がいる。一人ではない。
食べるという行為は生きることだと思った。
自然の恵みを頂き、活力となる。そう命への感謝が私にはなかったのだ。

これからもいろんな出来事に遭遇するし同じこともあるかもしれないが、
これまで御馳走になった御恩はいつかお返ししたい。
コロナも収束しようとする今、私は今、新しい道を歩みだしている。

#元気をもらったあの食事

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