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リアリティ・トランサーフィンの考察⑥『バランス・過剰ポテンシャル・平衡力』

自然にあるすべてのものが平衡状態を目指そうとする。気圧差は風によって均一化される。気温差は熱交換によって調整される。いかなるエネルギーであっても過剰ポテンシャルが生じたところならばどこでも、不均衡を解消しようとする平衡力が働く。

「振り子の法則」リアリティ・トランサーフィン―幸運の波/不運の波の選択
ヴァジム・ゼランド著
※太字はわたしによる強調です

前回までにトランサーフィンを構成する概念のうち、『ヴァリアントモデル』『(エネルギーの)振り子』そして『幸運の波』について紹介してきました。今回は『過剰ポテンシャル』という新たな概念を紹介します。それぞれは互いに関係しながらも、それぞれ独立した概念です。

トランサーフィンの基本的な考えは『問題と戦うかわりに、問題との関係を断つ、退く、距離を置くこと』『ただ選ぶこと』の二つといえます。

大きくいうと、いま紹介しているこれらの概念たちは前者の『問題と戦うかわりに、問題との関係を断つ、退く、距離を置くこと』を説明するものになります。人生を望むような方向から引き離している問題の本質はなにか?(それが振り子であったり過剰ポテンシャルであったりと言うわけです)について明らかにし、それへの対処法を示しています。

後者の『ただ選ぶこと』については、幸運の波のところなど、各所ですこしずつ触れられてはいますが、詳細については第2巻で語られています。ちなみにこの過剰ポテンシャルの部分で第1巻の半分をすこし過ぎるくらいの内容になっています。このことから、おそらくこのマガジンの記事はぜんぶで20を超えるくらいになるのではないかと予想しています。思っていたより大変な作業ですが、それをやろうと思ったということは、それがわたしにとって必要なことなのでしょう。最善の学びとは教えることですから、トランサーフィンについて書くことで一番学ぶことになるのは、他ならぬわたしなのかもしれませんね。

さて本題です。この物質的な宇宙においては、すべてが均一になっていくような働きがあります。冒頭の引用文にもありますが、気圧や気温などが分かりやすい例です。エネルギー的に不均衡な状態があるとき、そこには過剰なポテンシャルが発生しているとゼランドはみています。そして、過剰ポテンシャルがあるときには、必ずこれを解消しようとする力が働きます。これを平衡力といいます

すべてがエネルギーであるという観点からみれば、人間の思考活動も過剰ポテンシャルを産み出します。トランサーフィンではこの、人間の思考エネルギーが産みだした過剰ポテンシャルと、この過剰ポテンシャルを解放するために平衡力がどんなふうに働くか? を明らかにしています。

それでは、どういうときに思考エネルギーが過剰ポテンシャルを産みだすのでしょうか?

何らかの対象に非常に大きな意義が与えられると、思考エネルギーによって過剰ポテンシャルができる。

評価に必要以上に大きな意義が与えられる場合に限って、過剰ポテンシャルが現れる。

まとめると、なんらかの対象への評価に、必要以上に大きな意義が与えられると、そこに過剰ポテンシャルが発生するようです。ここでゼランドは「自宅の床の上に立っている」場合と「崖っぷちに立っている」場合を比較して説明しています。

自宅の床の上に立っている場合は、そこにはなんの問題もありません。ただそれだけの事実です。しかし崖っぷちに立っている場合は、恐怖感による緊張が増大し、それがエネルギー場における異質性を作り出しています。すなわち、この異質性が過剰ポテンシャルです。

そして、この過剰ポテンシャルを解消するために平衡力が働くのですが、この崖っぷちの例ですと、それは「その人を崖っぷちから引き離す」か、「下へ放り投げて落として終わりにする」かのどちらかということになります。実際にはその人が危険から逃れるために崖から離れた場所に退避するか、あまりの緊張で体のコントロールが効かなくなって崖の下に落ちてしまうか、ということが起こりうるわけですが、いずれにしても、それらを起こすのはこの平衡力であるというわけです。平衡力にとってはただ単にバランス(平衡状態)が回復されればそれでよく、どちらの結果になっても構わないのです。

であるなら、その人は前者の結果、つまり自ら崖を離れて安全な場所へと移動することを選ぶべきですね。行動は過剰になっているエネルギーを拡散させることができるので、それによって平衡状態を回復させられるケースは多々あります。ちなみに、当然のことですが、崖っぷちが平気な人は恐怖を感じず緊張することもありませんから、おなじ状況でも過剰ポテンシャルを産みだしません。

人間関係でも、おなじシチュエーションなのに、めっちゃ怒る人と、まったく怒らない人がいますね。めっちゃ怒る人はそのシチュエーションに必要以上に大きな意義(許せない!)を与えているため、ここでは過剰ポテンシャルが発生しています。この場合だと、平衡力はその人の怒りを鎮める方向に働くはずですが、周囲の人たちが気を遣ってその人をなだめる方向ならまだよくて、悪くすれば周囲の人たちの反感を買いすぎてその人を排除しようということにもなりかねません。怒りを撒き散らす人がいなくなれば、そこには過剰なポテンシャルも存在しません。

平衡力はバランスを取り戻すように働くだけで、その結果にたいして善いも悪いも判断しません。ですから、それが実際にどのように働くかはケースバイケースです。しかしながら、過剰ポテンシャルがあるところには必ず平衡力が働くのだということを理解していれば、対策できることもあるはずです。もっとも、一番よいのは「過剰ポテンシャルをつくらないこと」です。それができる人をトランサーフィンの上級者と呼んでもよいでしょう。

あなたの評価が次の二つに向かう時、現実はゆがめられる。対象に過度の否定的な質を与える時か、あるいは、過度の肯定的な質を与える時だ。しかしながら、評価上の誤り自体は何の役割も果たさない。もう一度注意を喚起したい。あなたの評価が大きな意義を持っている時にだけ、過剰ポテンシャルを産み出す。あなたにとって具体的な重要性だけが、評価にあなたのエネルギーを分け与える

「振り子の法則」リアリティ・トランサーフィン―幸運の波/不運の波の選択
ヴァジム・ゼランド著
※太字はわたしによる強調です

これも重要な指摘です。人やものごとへの評価が甘すぎるのも、逆に辛すぎるのも、いずれも過剰ポテンシャルを産み出します。しかしながら、甘すぎる辛すぎるといった評価の誤りそのものは過剰ポテンシャルとは何の関係もないということです。問題になるのは、つまり、過剰ポテンシャルを産み出しているのは、その評価がその人にとって大きな(しばしば大きすぎる)意義を持っているときだけです。

さて、ここで「仕事」を題材にしたゼランドの解説を引用しておきます。

仕事に全身全霊を捧げたら、優れた成果を得る事ができるという意見があるが、それは間違っている。平衡という観点からは、「仕事に打ち込む」ということは、天秤皿の一方に仕事を載せ、他方に残り全部を載せるということになる。均衡は破れ、それにより、長く待つことを自分に強いるのは無理となる。結果は期待していたものとまったく正反対のものになるだろう。

「振り子の法則」リアリティ・トランサーフィン―幸運の波/不運の波の選択
ヴァジム・ゼランド著
※太字はわたしによる強調です

仕事とそれ以外の全部を天秤に載せるということが意味しているのは、仕事の意義を必要以上に重大なものとみなす、ということです。必要以上というのは一般的にはそうだ、ということで、その人にとっては適切なのかもしれません。しかし、仕事以外の全部にはその人の家族なども含まれるわけですから、客観的にはやはり必要以上といえます。

この状態で天秤が釣り合うことはあり得ませんから、平衡力はその人が仕事に与えた意義を縮小させることを余儀なくする方向へと働くでしょう。仕事以外の生活面でトラブルが発生して仕事が手につかなくなったり、仕事の無理がたたって病気になったり、あるいは仕事でミスしてクビになってしまったり、などなどが想像されます。

そういう目に遭うことを回避するにはどうすればいいでしょうか?

ここから導き出される結論は一つ。過剰ポテンシャルを解消するために、仕事と自分との関係を意識して見直す必要があるということである。
(中略)
職場に来たら、自分をリースに出すのだ。自分の両手と頭は貸し出すが、心までは譲り渡したりしない。職場の振り子はあなたのすべてのエネルギーを欲しがっている。しかし、あなたは職場の振り子のために働くことだけを目的に、この世に生を受けたわけではない。自分の過剰ポテンシャルを解消し、振り子から解放されたならば、あなたの仕事の効率は目に見えて上昇するだろう。
(中略)
自分をリースに出すことは、だらしなく無責任に働くことを意味するわけでは決してない。これは過剰ポテンシャルを作らず、執着せずに行動することを意味し、この際、あなたに要求されたことは、しっかりとやり遂げなくてはならない

「振り子の法則」リアリティ・トランサーフィン―幸運の波/不運の波の選択
ヴァジム・ゼランド著
※太字はわたしによる強調です

当たり前のようですが、過剰ポテンシャルによる問題の根本的な解決策は常に「過剰ポテンシャルを解消する」ことです。もっといえば、先ほども書きましたが最初から過剰ポテンシャルを作らないことです。過剰ポテンシャルの解消がうまくできない場合には、平衡力の働きが最小限のリスクで済むように行動する(崖から離れる)しかありません。

引用文で言っている「自分をリースに出す」ということの意味は、仕事との間にクールな関係を築きつつ、やるべきことはしっかりやる、ということです。会社に雇われている場合でも、フリーランスでも、そこはいっしょです。仕事はもちろん大事ですが、それに必要以上の意義(この仕事をやり遂げれなければ成功者にはなれない etc)を与えないことです。言いかえれば、仕事に執着しないということになります。

この引用文から読み取れるように、過剰ポテンシャルは振り子との関係においても発生します。なにか問題を抱えているときには、そこになんらかの振り子が介在していないか? と考えてみると同時に、自分自身が過剰ポテンシャルを産み出していないかをチェックしてみるとよいでしょう。これは、今後出てくるほかの概念にも同様のことがいえますから、トランサーフィンを学ぶことで様々な問題をこれまでとは違う観点から捉え、対応することができるようになるはずです。

次回は過剰ポテンシャルを発生させる主要なパターンについて見ていく予定です。


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