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質問箱への回答⑪『癒やしの本質と動物とのふれあい』

こんにちは。

前回の記事で、SHUREのちょっといいワイヤレスヘッドホンを買うつもりだと書きましたね。あれは嘘でした😉

もちろん本当に買うつもりでいたんですが、その後あれこれと考えているうちに、自分は実はヘッドホンよりもイヤホンのほうが装着感的にも、音的にも好きなのではないか? と思えてきたんですよね。わたしは部屋ではずっと眼鏡を掛けているのですが、眼鏡の上からヘッドホンをつけるとツルの部分に圧力がかかって段々気持ち悪くなってくるんです。

いまもSENNHEISERのHD25liteというヘッドホンを持っていますが、たまに聴く分には問題はありません。ただ、今度買おうと思っていたワイヤレスヘッドホンは部屋で音楽を聴いたり机で作業したりYou Tubeを観たりするときに基本ずっと装着している想定でしたから、それだとつらいかもしれないなあと気づきました。イヤホンならそういうことはないわけですが、ワイヤレスイヤホンはすでに持っている(Anker Sound Core Liberty 4)ので新たに買うという選択肢はありません。そして、ワイヤレスイヤホンは電池持ちの観点からずっと使いっぱなしという用途には向いていません。

そういうわけでワイヤレスヘッドホン購入を思いとどまって原点に戻ってみました。そう、それはいい音で音楽を楽しみたいということです。そこで、SHUREを買うつもりだった予算でよさそうな有線イヤホンを買うことにしました。買ったのはGEEK WOLD というブランドのGK100というものです。見た目はちょっと微妙なんですが、これが驚くほど素晴らしい音を鳴らしてくれるんです。(つづく)

すみません。前置きが長くなってしまいました。イヤホンについてはそのうち、別でマガジンを作ろうと思っています。

誰が得するんだそのマガジン

さて、今回いただいたご質問はこちらです。

そして回答はこちらになります。


ご質問ありがとうございます。たしかに動物とふれあうと癒やされた気分になりますよね。わたしはペットを飼ったりはしませんが、動物は大好きです。とくにインコやオウムが大好きですね。

今回はまず、癒やしとはなにかについて述べてみたいと思います。

癒やしというとき、普通は心身の癒やしのことを指していますね。もちろんそれはそうなのですが、その本質はなんなのでしょうか? それは意識です。すなわち、癒やしの本質とは意識が癒やされることです。なぜかというと、存在するすべては意識だからです。

すべての存在は、ひとつの意識の部分として見かけ上の個別性をもって現れたものです。この見かけ上の個別性というのは、人間で言うならその肉体と精神(肉体精神機構)のことを指します。肉体精神機構の個性は百人百様、十人十色ですが、この個性の違いはつまるところ意識レベルの違いとしてあらわれてきます。

その肉体精神機構が苦(肉体的、精神的な苦痛、苦労、あるいは煩悩)を抱えているほど意識レベルは低く計測されます。そして、この苦が取り除かれるとき意識レベルはその分だけ上昇するわけなのですが、これが癒やしの本質です。つまり、真の癒やしとは意識レベルが上昇することです。あるいは、本当の癒やしには意識レベルの上昇が伴うと表現することもできます。

さて、動物といっても実にさまざまな種が存在していますね。そして彼らの意識レベルも種ごとに異なっています。大まかにいって肉食動物はすべて200未満で測定されます。意識レベル200未満は「生命にとって害がある」ことを示しており、200以上は「生命にとって有益である」ことを示します。

それゆえ草食動物はほぼほぼ200以上で測定されます。鹿は205、ゾウは210、羊も210です。飼い犬や飼い猫は245とされており、これは競走馬も同じ値です。カラスは250、ゴリラは275、チンパンジーは305です。

意外なのはイルカやクジラで、イルカは95、クジラは85と、かなり低いです。ライオンやトラは40で、大型のクマで160ですから、その中間くらいの意識レベルということになるわけですが、これはイルカやクジラが捕食者であるからです。一般的なイメージではイルカやクジラは人間に次いで知能の高い種族とされていますし、またイルカと一緒に泳ぐヒーリングセラピーなどもありますから、これはかなり意外なのではないでしょうか?(知能の高さは意識レベルと無関係ではありませんが、知能の高さ=意識レベルの高さでは決してありません)

ここまで動物の意識レベルについて紹介しましたが、これをみて分かるのは「動物とふれあうことで癒やされるのは、彼らの意識レベルとは必ずしも関係がない」ということです。

意識レベルの概念の基本的な理解として、より高い意識レベルで測定される事物(人だけでなく芸術作品や建築物なども含まれます)に触れることには意識レベルを高める作用(=癒やし)があると言えます。ですから、意識レベル200未満の人が猫を飼っていたら、その人は猫に癒やされるでしょう。これはその通りです。実際、この社会においてペットとして飼われている犬や猫たちがどれだけ多くの人間を苦痛から救ってきたかを想像してみれば、わたしたちは犬や猫たちに感謝しなくてはいけないことが分かるはずです。

ご質問の回答として、まず第一にはこういうケースでの癒やしがあります。

しかし、そうなると例えば意識レベル360の人は犬や猫とふれあって癒やされることはないのか? という疑問が生じてきますね。実際のところ、種族として意識レベルが一番高いチンパンジーでさえ305ですから、それよりも高い意識レベルの人々にとって動物とのふれあいは癒やしにならないのでしょうか?

これについては、癒やしという言葉を先に説明した本質的な意味で用いるのであれば、そういうことになります。つまり、意識レベル360の人は犬や猫とふれあったところで、それで意識レベルが本来の値よりもさらに上昇するということはありません。

ただ、人間は動物と違って感情や思考に起伏(波)があり、その波はとくに低い意識レベルの層では大きくなります。基本的には360で計測される人物でも、200未満の煩悩に振り回されて一時的に意識レベルを下げていることもよくあります。いっぽうで動物はそのような波がほとんどありません。犬猫になれば機嫌の波みたいなものは多少ありますが、それでも他愛のないものです。また、動物は同じ種族内の個体において意識レベルにバラつきがほとんどありません。人間のように意識レベル30のテロリストがいれば意識レベル1000のイエス・キリストがいて、というような違いは猫にはありませんね。

意識レベルにこのような波があるのは概して300台以下の人々ですが、400台でも多少はありますし、200未満ともなれば常に大荒れの海のような状態です。そのような人々が正気を取り戻すのに、動物という安定した意識レベルの存在にふれることは意味のあることだと、わたしは思います。すくなくとも、犬や猫のレベルである245に触れていれば、たいていの人のご機嫌はなおるのではないでしょうか? つまり、動物たちより高い意識レベルにいる人々でも、一時的な慰めとしての動物とのふれあいには価値があると言えます。

なお、鳥のさえずりや、猫が喉をゴロゴロ鳴らすのは、例外的に意識レベル500で測定されるそうです。これはその動物たちの意識レベルではなく、音そのものに癒やしの力(=高い意識エネルギー)があるからなのですが、それを踏まえると猫を飼うことで得られる恩恵はかなりのものといえますね。

そして動物全般にいえることですが、彼らとふれあったり、あるいは観察するだけでも、わたしたち人類は地球という惑星のうえで彼ら動物たちとひとつにつながっていることを感じることができると思います。動物と心が通じあうのは、人間も動物もおなじひとつの意識のあらわれであるからです。そのことを直感するとき、それは意識レベルを上昇させるきっかけになりますから、これもまた癒やしといえます。わたしはこの観点から動物の動画をよく観ていますよ。

今回の回答はこれで以上になります。お役に立てましたら幸いです。

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