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スプラで学ぶ偉人伝 「国士無双・韓信」

スプラトゥーン界隈において「無双する」という言葉は、動画を見たりSNSを利用する人にとっては、しばしば見聞きする機会がある事と思います。

この「無双」というフレーズは、恐らくアクションゲームの「無双シリーズ」から取られたもの(*あくまで私の推測です)で、このゲームをプレイするかのごとく「敵をバッタバッタとなぎ倒していく様」を指していると思われます。

その一方で、実際そもそもの「無双」の元になっている事象が何なのかという事までは、意外と知らない人も多いのではないか(特に若い方は)と思います。

そこで今回は「無双」という言葉の起源となった人物やその時代背景等を、小学生にもわかるように極力簡単に解説してみたいと思います。

*本記事は、若干私個人の解釈で大袈裟な表現をしている部分があります。

1.項羽と劉邦

時代は今から約2200年前。
場所は中国です。

当時の中国は数百年にわたっていくつもの国が乱れての戦争状態でした。(春秋戦国時代)

その戦争は最終的に「秦(しん)」の国が勝ち、中国は秦によって天下統一が成されます。
これにより中国全土は「秦の始皇帝(しんのしこうてい)」という一人の人物の、思い通りの世の中になります。

そこで始皇帝は、たくさんの馬車や兵士を引き連れ、優勝パレード的な感じで中国全土を回り始めました。
各地の村人たちは自分の土地に始皇帝がやってくると、緊張しながらもその優勝パレードをみんなで見届けていました。

そのパレード的なやつを見ていた人々の中に「項羽(こうう)」が居ました。
項羽はやってきた実際の始皇帝を見て、

「あいつをぶっ殺して、俺が皇帝になってやる」

と言いました。

こんな言葉が始皇帝の部下の耳に入りでもしたら、項羽は一発で処刑されてしまいます。
項羽はとんでもない度胸の持ち主でした。
実際項羽は2メートル以上もある体格の持ち主で物凄い力持ちであり、そこそこの家柄の出身で英才教育も受けていて、戦いでもマジで鬼のように強いヤツでした。


また、パレード的なやつを見ている人々の中に「劉邦(りゅうほう)」が居ました。
劉邦は実際の始皇帝を見て、

「ああいうすげぇ人が皇帝になるんだなぁ」

と言いました。

劉邦は家柄が良いわけでもなく、まともな教育も受けておらず、「侠客(きょうかく)」と言われる今でいうところの「ニートみたいな状態」でした。

しかし劉邦は「コミュ力」だけは異常に高く、ニートにも関わらず人気者でした。

項羽と劉邦

資料:項羽(左)と劉邦(右)


2.秦の国の滅亡

当時秦の国は、万里の長城を建設したりする際に多くの国民を酷使したことで、人々の中には秦に対する不満が溜まっていました。

始皇帝が死んでしばらく経ったある日、酷使されていたうちの一人で「陳勝(ちんしょう)」という人物が現れます。

陳勝は、

「ミスがあれば処刑され、真面目にやっても過労で死ぬ。
 どうせ死ぬなら、名を残して死ぬべきだ」

と言って、反乱を起こします。
これが「陳勝・呉広の乱(*)」です。

陳勝の反乱がきっかけとなって、中国全土でたくさんの人々が反乱を起こします。

*陳勝・呉広の乱は「歴史上初の農民反乱」といわれています。
ちなみに呉広(ごこう)は陳勝の「フレ」ってやつです。

さすがにまずいと思った秦は、「章邯(しょうかん)」を将軍として各地の反乱軍に向かわせます。
秦の将軍である章邯はさすがにめちゃくちゃ強く、あっという間に反乱軍を倒していきます。
陳勝も所詮は元農民の素人将軍、あっけなく章邯に敗北してしまいます。

章邯はそのまま反乱を鎮圧できそうな勢いでしたが、そこに項羽軍が現れます。
項羽軍の兵士数万に対して、章邯の軍は数十万(約10倍)。
項羽側が不利だろうとみられていたこの戦い、なんと項羽はサクッと勝利をおさめ、しかも章邯を自分の部下にしてしまいます。

そして項羽は、そのまま秦を滅ぼしてしまいました。
項羽は約550年かけて中国を統一した秦を、たった3年で滅ぼしてしまったのです。

この結果、今度は項羽が中国最強(スプラ風に言うと「全一」)の座につくことになり、多くの人々が項羽に従うことになります。

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資料:陳勝・呉広の乱


3.鴻門の会

一方、ほぼニートだった劉邦も、陳勝の反乱をきっかけに反乱軍に参加していました。
反乱軍の中でコミュ力の高い劉邦は皆から慕われ、その結果たくさんの人や兵が劉邦の元に集まり、又集まってきた部下たちが結構優秀だった為、反乱軍の中でも勝ち残った勢力として、そこそこの存在感を示していました。

そんな中、劉邦と項羽が実際に面会することになりました。
これが「鴻門の会(こうもんのかい)」です。

劉邦は実は、項羽より先に秦の都を陥落させており、項羽としては秦軍のヘイトを全面に受けつつ戦ってきたのに皇帝の座を劉邦に奪われてはたまらん、と劉邦をぶっ殺すつもりで鴻門の会にやってきます。

しかし劉邦は項羽に対し、会の間ずっと「ビビってる感じの態度」で項羽をヨイショし続けた結果、項羽には殺る気がすっかりなくなってしまい、劉邦は何とか一命を取りとめます。


こうして秦滅亡の後の中国は最強全一の項羽がトップに立ち、劉邦をはじめ反乱で活躍した面々に土地を与えて項羽の下に従える、みたいな感じになりました。


4.ニート韓信

さてここまで来て、もう一人の重要人物にして当記事のメイン人物が出てきます。

「韓信(かんしん)」です。

陳勝の反乱が起きる前、韓信は何をしていたかというと、
・・・ニートでした。

他人の家に転がり込んで食事をもらい、仕事もせずにぐうたら生活。
劉邦以上のガチニートでした。

しかし、ニート生活も長続きせず、ある日家の主人に放り出され、ニートからホームレスへと転落(?)します。

そんな矢先、陳勝・呉広の乱が起き、韓信は項羽の軍に一般兵(つまり雑魚キャラ)として参加します。

雑魚キャラの韓信は出世すべく頑張って献策(項羽に戦いの作戦を提案すること)を行いますが、何度やっても項羽に取り入れてもらえません。

このままじゃ一生雑魚キャラで終わってしまうと思った韓信は、項羽軍から脱走し、劉邦軍に参加することにしました。

韓信4

資料:韓信


5.大将軍韓信

劉邦の元にきた韓信ですが、結局のところまだ雑魚キャラ的一般兵の身分から脱出することは出来ていませんでした。

ある時韓信がちょっとした’やらかし’をして、処刑されることになってしまい、この時に韓信は、

「劉邦は自分が皇帝になりたくないのか。どうして俺みたいな優秀なやつを殺そうとするのか」

と言いました。

これを面白く思った劉邦の部下は韓信の話を改めてじっくり聞いてみる事にしたのです。

すると、

「こいつ、めっちゃヤバい(良い意味で)ヤツやん・・・」(*)

という感じになり、これをきっかけに韓信は劉邦軍の雑魚キャラから一気に大将軍にまで出世しました。
これは現代でいうところの、週5勤務のアルバイトがある日突然、数百人単位の部下を持つ営業部長くらいにまで出世した、みたいな感じです。

*この時、劉邦軍の蕭何(しょうか)という人物が劉邦に対し、
「韓信は国士無双(こくしむそう:国中探しても比較できる人が他に無いレベルのすごいヤツ)であり、その辺にいる他の将軍とは違う。天下を取りたいと思うなら韓信は不可欠である」
と、韓信を推薦しています。
蕭何は劉邦軍において専務取締役(事実上のナンバー2)みたいな立場の人です。


6.進撃の韓信

そのころ、身内びいきの項羽の処遇に不満を持っていた各地の部下たちが、今度は項羽対しての反乱を起こします。

大将軍になった韓信も、ここで初めて戦いに挑みます。

ここで韓信の前に立ちはだかったのが、項羽に負けるまで暫定全一みたいな感じだった、元秦の将軍章邯です。

しかし韓信はボッコボコに章邯を倒してしまい、章邯はここで死ぬこととなりました。

勢いに乗った劉邦は、各地で反乱を起こした将軍たちと連合軍を組み、一気に項羽の本拠地を落とし、このまま劉邦が天下を取ってしまいそうでしたが、そこに遠征で外出していた項羽が戻ってきます。

この時点で劉邦軍は50~60万の大軍になっていましたが、項羽は3万の兵力でこの劉邦軍を倒してしまいます。

やっぱ全一の項羽はそう簡単には倒せない。
そこで劉邦と韓信は二手に分かれて戦うことにしました。

劉邦が項羽と戦っている間に、韓信はそれ以外の奴らと戦って勢力を伸ばしていく、という具合です。

劉邦は項羽相手にかなり苦戦していましたが、その間に韓信はいよいよ本領を発揮して連戦連勝を重ねます。
その強さ、進軍の速さはあまりにも凄まじく、敵である項羽はおろか、味方である劉邦ですら恐怖を抱くレベルでした。

こうして韓信の軍は、徐々に大勢力となっていきます。


7.垓下の戦い

韓信が斉(せい)というそこそこ大きな国を攻略した頃、部下の蒯通(かいとう)という人物から、

「韓信さんはめっちゃ強くて真の全一ですよ。劉邦なんかに従ってないで独立しましょうよ」

と進言されます。

蒯通としては中国が項羽・劉邦・韓信の三つの勢力に分かれる三国志的な、いわゆる「天下三分の計」をイメージしていたようですが、韓信は、

「劉邦さんには大将軍にしてもらったデカい恩があるから、裏切るようなことは出来ないよ」

といって、蒯通の提案を断ります。


そのころ劉邦と項羽は膠着状態に陥っていましたが、こうして強くなって帰ってきた韓信が劉邦のもとに加勢し、項羽軍を一気に追い詰めます。

この項羽と劉邦のラストバトル「垓下の戦い(がいかのたたかい)」(*)です。

項羽軍はどんどん追い詰められていき、項羽はついに一人になってしまいますが、それでも項羽は一人で敵をバシバシ倒しまくります。
しかし、敵が無限にわいてきてどうしようもないので、項羽は仕方なくここで死ぬことにしました。

*垓下の戦いにおいては「四面楚歌(しめんそか)」という有名な四字熟語の元になったエピソードがあります。
このエピソードは、私が高校生の時、何かの模試で漢文の問題として出題されたことがあるくらいのものです。

当時の私は元々「四面楚歌」の内容をすべて知っていたため、漢文の問題文をほぼ読まずに、満点を取れてしまいました(笑)

四面楚歌

参考:垓下の戦い(虞や虞や汝を如何せん)



8.漢建国と韓信のその後

こうして劉邦は中国全土を統一し、皇帝になりました。

劉邦が皇帝となった国を「漢(かん)」と言います。

現代の「漢字」の漢であり、中国の人々を「漢民族」と呼ぶこともありますが、この漢も、劉邦の漢の国が由来です。

漢の国は約400年ほど(途中なんか一瞬乗っ取られたりもしますが)平和な時代が続いた、なかなかにすごい国でした。


ちなみに韓信は、天下が統一された後ちょっとしたことで劉邦と仲たがいしてしまい、反乱を企てますが事前に計画がバレてしまい、処刑されてしまいます。

韓信は死ぬ間際に、

「蒯通の言うとおりにしておけばよかった・・・」

と嘆いたそうです。


9.真の「無双」とは

歴史のお話は以上です。
ここからは私の個人的な話です。

スプラトゥーン界隈で使われている「無双=バッタバッタと敵をなぎ倒す様」というイメージで言うと、「国士無双」とは韓信というよりは項羽のほうが近いんじゃないか?と思ってしまうのが、なんとも面白いなぁと思います。

実際の韓信は、敵をなぎ倒していくというよりは、指揮戦術能力に優れた「最強のプレイングマネージャー」という感じだと思います。
「背水の陣」という戦法を初めて実践したのも、韓信だと言われています。

韓信の立ち回りはスプラトゥーンで言うと、前衛ではなくむしろ中・後衛です。

でも、スプラトゥーンで考えたとしても、実際の超絶トッププレイヤーの方々は、対面も当然めちゃくちゃ強いけど、盤面状況だったり戦況そのものの把握・判断能力も非常に高いですよね。

うーん、「国士無双」とは、確かに良く出来てる言葉だなぁ、と改めて思わされる気がします。



今回の記事「国士無双・韓信」、いかがだったでしょうか?
私はこの韓信という武将が昔から好きで、実はスプラを始めて「無双」という言葉を聞いた時から、こういう事をずっと考えていました(笑)

もし「項羽と劉邦」に興味が出たという方は、私が中・高校生の頃に読んだ横山光輝先生のマンガ本のリンクを貼っておきますので、是非お読みください。
三国志も良いですが、項羽と劉邦のお話のほうが、より人間味がある気がして私は好きです。

いざ書き始めると、自分で勝手に盛り上がってきてしまい、なかなかのボリュームになってしまいました。

今回の記事はシリーズ化するほど今のところネタがないので、恐らく単発になると思います。

ただ、故事成語とか偉人の名言みたいなのは私は好きなので、微妙に違うシリーズを、今後連載していくかもしれません。

以上、長々とご拝読頂きまして、ありがとうございました。

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