「何もうまないコンプレックスとの戦い」
今日は重たいnoteを2本書きます。
メモ魔の人に会うと実は強烈にコンプレックス感じることが
一つあるんです。
「今までそんな辛い思いをしていない」
こういう考え方って何か名前がありますよね・・。
忘れてしまいましたが・・。
この気持ちを初めて感じたのは、Oxfamという国際NGOのYouth Groupに所属していた時でした。私はその団体に入る前に、模擬国連という学生団体に
入っていたのですが、社会課題に関して論じるだけで、社会課題を何一つ実際に解決しようとしていないことに違和感を感じ、同じ大学のOBが代表をしているこのOxfamという貧困NGOに入り、実際に解決している姿を見ようと思ったのです。
貧困に関するNGOだったので、その団体に所属する貧困に関する原体験を聞いた時に、私はみんなほど苦しい思いをしてない・・。私はここにいていいのだろうか・・。
私はこのまま、貧困に対して「共感」することができずに、意識が高い学生のまま終わってしまうのか。そう思ったんです・・。
でもびっくりするほど何もできなかった。何をしていいかすらわからなかった。残酷なほどに・・。当時の私には見えている選択肢が狭かかったのです。社会課題というものが広範囲にここまであると知らなかったのです。
話が逸れました・・。ないものって、ねだりたくなりますよね。
話は変わりますが、私は幼い時にいじめに遭っていました。
いじめっ子集団の女子に体をつねられたり、足を持ち上げられて、
ぶん回されたりとか、殴られるなんて日常茶飯事なコミュニティー
だったんです。カーストの最下位。バイ菌扱い・・。
でも原体験としては美しくない。醜さが足りないなんて思って
しまうんです。故に、醜さを求めてしまうんです。
次第には、自分が苦しむことこそが生きる目的になってしまうことも
多々あります。これだけ苦しんでるんだから許してよ・・。
もう勘弁してよ・・てね。相対評価的に辛い方だから許されるよねって?
そんなドMで何も生まない、思い込みは周りにいる人を不幸にしていく。
23歳になる私は、私が幸せになる方法をもっと考えて生きたい。
私はもう少し普通に人と話したいし、普通に仕事がしたいなんて
思ってる。許されるかなそれは・・。
もう一人の自分に許してもらえるかな・・。