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水の性 <女性性の捉え直し #2>

一緒の布団で寝る

なんて、たわいもない決断にいたるには
まるで人生を
たった1日に濃縮したみたいな
“カルの納骨登山”
を経てのこと。


わたしたちが暮らす
山の上の集落から
川を挟んだ向こうに見える山

この山の麓に昔、
今暮らす集落の“山の神”が祀られていたと
古老に聞いてから
その対象はもしかしたら
この山自体かもしれないと気づいて
木こりの夫に
連れていってほしいと
以前からお願いしていました。


皆既月食に火葬
そして、登山は11/11
名目は、下見でしたが
これが設定されていた流れかもしれない
と、12日13日に会った人たちで
思わざるを得ませんでした。

山の上に霧が立ち込める日は、とても晴れる日


山が好きだったカル
晩年は、あまり連れて行ってやれなかったし
この日、生きていても
もう、登り切る体力もなかった

毎日毎日見ている山なのに
その山に入ったことがない

カルを見送る流れになったので
下見を兼ねた納骨登山
なんて名目になったけど
わたしの最大の目的は
この山の神に
「喜び」を捧げることでした。


山の神は、女の神とされ
なぜか醜女とされ
木こりが挨拶として
ペニスをちらっと見せる
なんて風習も残っていたりします。

わたしには
山の神が醜女であること
イワナガヒメとコノハナサクヤヒメの対比
ウジだらけのイザナミ
が自分のなかでつながって
さらに
おとぎ話の中の魔女が老婆であること
も加味されて

性の成熟したカタチである母神に
喜びの”美しさ”を
どうしても捧げたかったのです。

この世界の美しさは
すべて
見えない世界の母体のうえに咲いている

その母体が顕現した山は
真っ赤なエネルギーの塊で
それが
自分のなかにもあることを
秘儀を重ねていると
とてもリアルに感じられる

カルの骨を埋め
山の神に感謝を捧げ
おにぎり食べて
まぐわう喜びを捧げたあとは

その見えない世界のカオスを
一気に味わうような
下山タイムでした。

違うルートで下りてみよう
で、一気に谷底
たしかに、家には近づいてるけど
この谷底から
集落のある山との間の川へは
ほとんど崖だ

引き返すことにしたころには
かたわれどき
ええ、殺意を覚えましたよね

それでも、あまりの真っ赤さに1枚だけ笑

だって、苦しいんです
急いで登らなきゃ
山の中で日が暮れてしまう

山の中で日が暮れてしまう
というのは
帰れなくなる
ということ

見えなくなるほど
先を行ってしまう夫への怒りと
それでも、自分のペースを守って
体力を温存しておくことが
いざという時のため
暗くなる前に、分岐点を確認すること
諸々がわかっていて
一緒でよかったと
湧いてくる感謝と

ぜーぜーなりながら
カオスのなかを
ほぼピークの分岐点まで登り切り
来た道を下り出したころには
足元は暗闇

夫のヘッドライト1つで
2人の前途を照らし
足元照らせば
一寸先は闇

もう、膝にも腰にも力が入らない
文字通り棒になった足で
麓の民家の明かりが見えた時のよろこび
無事、家にたどり着けたよろこび
いつものように
温泉に入って
布団で寝ることができるよろこび

あぁ
豊かだな
と思いました。


明けて翌日

この土地にルーツがある彼のギターと
この土地に暮らす方たちと
旋律に心を洗われて
先祖や精霊たちに想いをはせ
語り合うひととき

また明けて翌々日

ふだん見ている景色がクローズアップされている七番
山に
水に
祈る意味
そこに集って、先達たちと確認しあうひととき


カルが開いてくれた
あちらの世界へのゲートを
行ったり来たりしながら
また、ひとつ
体感実感をともなわせながら
捉え直しがすすむ

谷底に下りないといけなかったのは
そこに、ちゃんと
イノチの水があることを
確認するため
だったかもしれない


とっさにいただいてきました。


山は
とくに、この山は
まるで女性器のようで
龍の寝床ぐらいにしか思っていなかったのが
そこに自身が
見事に投影されていることと
ナメてはいけないこと笑
を痛感しました。


そして、なにより
この期間中には
根っこからの自己愛を
基礎講座でお伝えする機会が
ちゃんと入っていたことも
偶然ではなかったと感じています。

それは、また次回。


あなたの女性性。
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