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私とステンドグラスの灯り~日本橋三越本店三越劇場のステンドグラス~

cafe好きな私。
コーヒーの向こうにステンドグラスの灯りがあると癒される。
そんな折、約100年前に制作されたステンドグラスが間近で見られると聞いて日本橋三越百貨店の三越劇場に出かけてきた。


〇三越劇場のステンドグラスとその歴史


三越劇場には、芸術的なステンドグラスがある。
三越本館100周年記念を前に、ステンドグラスの修復に携わっているガラス職人松本一郎さんの講演でお話を伺うことができた。

松本さんは、昭和23年より東京に工房を構えておられる「松本ステインドグラス製作所」の代表取締役であり、ステンドグラスの製作と修復を多数手がけている。
「ステンドグラス」ではなく「ステインドグラス」は、明治時代のステンインドグラスの呼称を継承して会社名にしたそうだ。

ここで、三越劇場の副支配人齋木由多加さんのご説明を一部紹介。

舞台そでよりプロセニアムアーチ(額縁)の装飾を望む

日本橋三越本店は大正4年竣工、大正12年の関東大震災で内部は焼失したが1927年(昭和2年)に再建。ステンドグラスのある三越劇場は6階に百貨店初の劇場を設けたことで有名だ。
震災後に元気をなくした人々に力を与えたいと、建物だけではなく文化的な復興を目指して建築された。
ちなみにこの劇場で、日本初のファッションショーが呉服で行われたそうだ。

本日講演会のメインテーマは、劇場の天井に付した8枚のステンドグラスのこと。

一階から二階席を見上げて

当時のステンドグラス工法は、カットしたガラスを鉛線で囲み半田付けをし、ガラスと鉛線の隙間をパテで埋めて制作するという物。
大変手間と時間がかかっている。

国内では、ステンドグラスの歴史はそれほど古くはなく明治の後半、洋館が建築されるようになると、日本の技術が遅れていると、日本からステンドグラス工法を学ばせにドイツに人を行かせたという。
その最初の人が機械技術者の宇野澤辰雄さん。

そもそも三越劇場の建築は横河工務所、現在の横河建築設計事務所が担当し、ステンドグラスの製作については宇野澤辰雄さんの最初の弟子である別府七郎さんが制作にかかわったそうだ。

宇野澤ステインドグラスに昭和5年入職したのが、演者の松本一郎さんの三代前の松本三郎さんだ。
松本三郎さんは、昭和18年に宇野澤ステインドグラスを継いだが、昭和20年の戦災で宇野澤ステインドグラスを閉鎖。
その後、昭和23年に独立して東京浜町に「松本ステインドグラス」を開設している。
これが今に伝わるドイツ系譜のステンインドグラスの技術者の流れだ。

〇ステンドグラスの修復


ステンドグラスは年数が経過すると、ガラスを繋ぐ鉛線が軟らかいため、天井のステンドグラスは重みでお皿のように垂れ下がってしまう。
ガラス自体は強く何百年も持つが、垂れ下がった重みで割れてしまうという。

そこで修復が必要となるのだ。

特に割れやすいのが、ステンドグラスの角にある開閉できる蓋の部分(写真画像の下部)。
これは、当時では珍しい通気口の役目も果たしている。
二階席に上がって至近距離から確認したが、割れは激しい。

通気口として開閉できるように設計


割れたガラスは、当時と同じものはもう無い。
代替として電気を付けたときと同様の色になるように選択したガラスや樹脂を活用するため、若干の違いがわかるというもの。

天井に取り付けたステンドグラスは、簡単には全面を取り外せない。
ステンドグラスの下に大きな補助板をはり、一mも無い天井裏に職人さんが横になって修復作業をするのだから、想像もつかない大変さだ。

複雑な修復ではあるが、日本橋三越本館が国の重要文化財指定(2016年)を受けているため、他の装飾品などと共に伝統のステンドグラスをこれから先もどう残していくかについては課題であり、現在議論されているそうだ。

修復した一部分の様子
狭隘な天井裏で修復作業を行う

〇灯りは私の心の栄養のひとつ


ドイツ系列とは別にもうひとつ、独自にアメリカ留学でステンドグラスを学んだ元日本画家の小川三知さんがおられる。
アメリカ系譜のステンドグラスがこれであり、私、個人的には絵画的な作品が多く好みだ。

三越劇場で観劇の方も、ぜひ天井を見上げてステンドグラスの美しさと明治から昭和初期の時代に思いを馳せてみるのも良いのではないでしょうか。

なお、松本一郎さんのおじい様三郎さんが制作にかかわった、国会議事堂のステンドグラスもおすすめの見どころだそうだ。

私は、時間を見つけては素敵なステンドグラスのあるcafeを探している。
あるとつい、店内に吸い込まれるように入っていく。

本日も、最後までありがとうございました


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