コペルニクス的転回の有効範囲

コペルニクス的転回の概要

対象が意識を規定するのではなく、意識が対象を規定するというカントの哲学の変革を、コペルニクスの地動説による天文学の大転換にたとえたもの。

倫理用語集,山川出版社,2014,p.216

旧来の考え方として,人間の認知の及ぶ範囲の外側にある本質で世界は構成されており,人間はそれを感性などで受け取り,実際現前し認知できているような形に落とし込む,というのがあった。こうした客観性至上主義とでもいうような考え方を,人間を中心とした考え方に逆転したというような,逆転の発想的なものに対してコペルニクス的転回という言葉が用いられる。「発想のコペルニクス的転回をすれば〜」のような。

この言葉は,どの程度有効なのだろう。

手段の目的化を意識して行えばコペルニクス的転回?

ある目的を遂行するための手段について検証している時に,目の前の手段に対する問題に目を向けすぎてしまい,本来の目的を見失ってしまい,手段について考えることが目的になってしまうということがある。この現象に陥ってしまったとき,一度本来の目的に立ち戻り,やるべきことを見失わないようにするというのは,何かに取り組む時に心がけるべきことだと思う。では,一度本来の目的に立ち戻り,現在自分が取り組んでいることについて考え直した上で,それについて継続して取り組む必要性,その手段を達成するべき必要性が出てきた場合,手段の達成が目的となる。その場合,手段の目的化は,目的達成のロードマップにおける脇道でも,迷走でもなく,一つ手前のゴールとなる。

段階的に,手段の達成→手段を用いた目的のための実践のように考えることもできる。一方で,そのような段階ではなく,手段の達成を目的とした実践の過程が本来の目的を導くような場合もあると考えられる。手段に対する検討を目的として(仮目的),元の目的(真目的)はその過程で導くとすれば,これこそまさに,発想のコペルニクス的転回なのではないかと思う。目的と手段が転置されるわけではないので,真に意味的な正しさは持ち合わせていないが,ストーリーを踏まえたものの例えとして,文脈に対する口語的な用法としては誤りでないのではないか。

おわり

”コペルニクス的転回”という原語が意味する範囲からの逸脱は否めないが,”発想の”などの枕詞を付けることにより範囲の限定を行えば,口語的な有効範囲の内側でこの言葉を用いることができると考える。


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