トランス誘導はYESセットと暗示で構成される

相手の知識状態を扱うトレーニングとしてトランス誘導、特にYESセットの練習が効果的であると前の記事で述べた。以下ではトランス誘導やYESセットが実際にどのようなものなのかを説明する。

◆◆催眠解説シリーズ◆◆
1. 相手の頭の中を推測する
2. トランス誘導はYESセットと暗示で構成される
3. 本当に効果が出るYESセットとは何か?
4. トランス誘導と日常会話

人は自ら望むことを暗示されるとよく反応する

「トランス」「催眠」(*1)などというと、世間一般では催眠(トランス)状態に入った人に対して、暗示を使い、人を操り人形のように動かす、というイメージが強い。フィクションの中ではそのような小道具としてよく用いられているし、テレビのショー催眠などで「あなたは犬になります!」などと暗示された芸能人が、ワンワン吠えているのを見たことがあるかもしれない。

だが、実際はだいぶ違う。人は自分の望まぬ暗示にはなかなか反応できない。「あなたは犬になる」と暗示しても、犬の真似など恥ずかしいしバカらしい、と考えている人の反応は悪いだろう。(*2)

逆に自分が強く望んでいることであれば、暗示にも反応しやすくなる。不眠で強く悩んでいる人に対して「眠れる」と暗示したり、試験で緊張し過ぎて実力が発揮できないことを心配している人に「リラックスして試験を受けることができる」と暗示するのであれば、望まぬ人に「犬になる」と暗示するよりもはるかに反応は良くなる。

YESセットが暗示の成功率を下支えする

しかし、暗示する内容が相手の望みと一致していたとしてもまだそれだけでは足りない。不眠で悩んでいる人にいきなり「あなたは今晩からぐっすり眠れます」といきなり一言だけ暗示してすべて問題が解決するのならば苦労はない。

暗示が効果を発揮するためには、こちらの言葉が相手に対して影響力を持つように、暗示の前の地ならしを十分にしておく必要がある。ここで今回の主役、YESセットの出番となる。YESセットは、一見、地味な技術だが、うまく利用すると、相手に対する強い影響力を確保できる。その結果、普通にやっていては反応しないように見える難しい暗示にも反応したりする。

「トランス誘導」「催眠誘導」と呼ばれる行為も、誘導者が「あなたはトランス状態(催眠状態)に入ります」といった暗示したり、YESセットなどその効力を増すための各種下準備を被験者に行うことによって、被験者をトランス状態(催眠状態)へと導くことを指す。

YESセットで信頼関係を形成する

YESセットの仕組みは簡単だ。相手が内心で「うん、そうだね(YES)」と肯定したくなるような言葉を連続して伝える。これだけだ。

なぜこんな単純なことで相手への影響力が増すのか?

イエスを積み重ねていくと、自分と相手との間に無意識的な信頼関係ができてくる。それを催眠療法や心理療法の世界では「ラポール」と呼んだりもする。ラポールとはフランス語で「関係」「親密さ」という意味を表す言葉だ。

YESセットにおいて形成される信頼関係(ラポール)というのは、被験者(=トランス誘導を受ける側)が誘導者(=トランス誘導を行う側)に対して「この人の言うことは大外しはしていなくて、だいたい当たっているな」「間違ったことは言わないみたいだから、この言葉も信じてもいいかな」という印象を持つ感覚に近い。

ラポールがなければトランス誘導は成功しない

この信頼関係、ラポールがなければトランス誘導は失敗する。

考えてみてほしい。

「今からあなたを催眠術でトランス状態にします。そして、私はこの何の変哲もない2000円で買った壺を、350万円で売りつけるつもりです。さあ、始めましょう。あなたはトランスへと入ります」

こんな風に言われて、素直に喜んでトランスに入る人は滅多にいないだろう。みんな当然警戒するはずだ。

信頼できない相手からのトランス誘導を、たいていの人は拒否する。どんなひどい目にあわされるかわからなくて不安だからだ。この拒否、抵抗は意識レベルだけではなく、身体レベル、無意識レベルでも生じる。

トランス誘導の9割はイエスセット、暗示は1割以下

そもそも「トランス」「催眠」という言葉には怪しげなイメージがつきまとう。

それに、多くの人にとってトランス誘導を受けるのというのは初めての体験だ。様々な不安や反発心などがわいてくる。トランス誘導に乗らないようにする心の動きを全てまとめて「抵抗」と呼ぶ。

「トランスに入ったら、人に話したくないことまでペラペラ話してしまうのではないか?」
「一度、トランスに入ったら、そのまま出られなくなるんじゃないか?」「上手く誘導に乗れず、トランスに入れないんじゃないか?」
「この人の誘導に乗らず、トランスに入らないでいることはできるだろうか?」
「トランスに入ったら、単純なバカで扱いやすい奴と思われるんじゃないか?」

などなど。

こういった誘導されることへの抵抗を軽減したり、逆手にとって誘導に利用したりするために、大半のトランス誘導技術が開発されてきた。これらはまとめて「抵抗操作」と呼ばれる。トランス誘導をするにあたっては、被験者の抵抗操作を避けて通れない。「あなたはなんでも自由に抵抗していいんですよ」という許容的なアプローチが現代催眠(*3)においてはよく使われるが、これも立派な抵抗操作技術である。もちろんYESセットも抵抗操作技術の一つとなる。様々な抵抗操作技術の根底にはたいていYESセットの発想が横たわっていると考えていい。

トランス誘導作業のほとんどはYESセットの構築に費やされる。

抵抗さえなければ、暗示なんて極めてストレートな一言で十分だ。何度も同じ暗示を繰り返す必要はないし、手の込んだ暗示もいらない。手の込んだ暗示というのはその中にすでに抵抗操作の要素が盛り込まれている。

トランス誘導中の言葉がけの分量としてはYESセットが全体の9割くらいを占めると思ってもらっていい。暗示は1割以下である。YESセットのないところにトランス誘導は成立しない。

人間の身体において心臓や脳などの臓器は重要だ。しかし、身体の大半を占める骨や筋肉、血管などがなければ生きていくことができない。トランス誘導におけるYESセットもそれに近い。

YESセットを保つには他者の頭の中を正確に推測する必要がある

YESセットを組み立てるためには、「この言葉であれば、相手は肯定するであろう」という推測を相手の反応に合わせて臨機応変に行わなければならない。そのためには相手の知識状態の推測はもちろんのこと、これからこちらが投げかけた言葉に対して起こるであろう思考や感情の反応まで、瞬時に正しく推測する必要がある。

その様子は次のようにたとえることができるかもしれない。

表面がでこぼこの石垣に向かってボールを投げる。そのボールが石垣に当たる位置をあらかじめ予想し、その部分の石垣の形状からボールがどちらの向きに跳ね返るかを予想し、そこに移動してボールを受け取る。予想が当たればうまく受け取れるし、予想が外れると、とんでもない方向に跳ねたボールを慌てて拾いに行くことになる。

トランス誘導中は呼吸するように可能な限りずーっとイエスセットを保ち続ける。そして、その合間にちょこっと他の誘導的な暗示を挟んでいくことになる。

だから、トランス誘導の練習をしていれば、自然とYESセットを使い続けることにもなる。その結果、相手の知識状態やこちらの言葉への反応を推測する癖がつく。

ぼくは「トランス誘導のトレーニングをすると普段のコミュニケーション、わかりやすいトランス誘導の形を取らない日常会話のキレも良くなる」とよく説明している。YESセット自体はトランス誘導場面だけではなく、日常会話の中でもいくらでも使えるからだ。

次の記事ではYESセットをトランス誘導の導入に用いる実例を挙げながら、どのようなイエスをとることで信頼関係構築の効果が上がるのかという解説をしよう。

次の記事を読む

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(*1)「トランス」も「催眠」もほぼ同義であると考えてもらっていい。強いて言えば「催眠」という言葉を使うほうが、他者による誘導によって日常との意識状態とは異なるある特殊な状態(=変性意識状態、催眠状態、トランス状態)を引き起こす意味合いが強く、「トランス」というときには誘導者の不在の自然発生的な変性意識状態も広く含むイメージがある。

(*2)テレビのショー催眠はやらせなのか、違うのか、という問題については本題からそれるので、またいずれ機会があれば別の形で書こうと思う。

(*3)古典催眠と現代催眠という対比でよく語られる。古典催眠は形式化した誘導手順に基づき、一目で通常のコミュニケーションとは異なる誘導の仕方を行う従来のやり方。現代催眠は主に催眠療法家ミルトン・エリクソン以後に開発されたもので、通常の会話との境目を持たないより幅広い柔軟なアプローチ法である。「エリクソン催眠」などと呼ばれることもある。ぼくは現代催眠やエリクソンを主に考察や実践の対象としている。

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2020年 5/4~6 トランス誘導ワークショップ
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