仏教では何故苦行をするのか?
釈迦は苦行を6年ほどして、これでは悟れないと判断し、スジャータからおかゆをもらい、菩提樹の下で坐禅を組み悟ったとされています。
でも釈迦は苦行しても悟れないことを、バラモンを見て知っていました。それなのに何故わざわざ6年も荒行・苦行をしたのでしょう?
釈迦の経験から苦行では悟れないと知っているのに、何故修験道や密教では苦行を行うのでしょう?
実は釈迦は苦行の前から十二因縁に気づいており、その生にどの程度の修行が必要か実験したのです。そこで生には坐禅で良いことが分かり、苦行は不要と示したのです。普通の人には生で十分なのです。
しかし本格的に悟るにはやはり苦行が必要なため、修験道や密教では苦行を行うのです。
瞑想の類では脳波はθ波にしかなりませんので、上図で分かるように、生はできても悟りにはいたりません。悟りに至るにはδ波になる必要があり、これには死に直面しなくてはなりません。すなわち苦行で死にかける必要があるのです。
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