失言はなぜなくならないのか?

2年ぶり投稿です。
その間にメンタルトレーニング事業は一旦区切りをつけて保険代理店勤務になりました。
コロナ禍は今までの常識を沢山非常識にしてしまいました。当たり前のように選手たちと接触して指導やサポートすることがままならない。
そんな中で無謀にも保険代理店に転職するというある意味暴挙を犯してしまったのですが、これには理由があって、危険予知トレーニングやリスクマネジメントの研修事業をいずれやりたいからです。
そんな前置きは置いておいて本題。
静岡県の川勝知事が入庁式でのスピーチが原因で退任を発表されました。これまでも何かと失言が多かった方なのですが今回ばかりはご時世的に許されない結果となりました。
なにせこれからの日本の未来が掛かっている第一次産業従事者をバカにしたわけですから、許されて良いはずがありません。
しかし、辞任を発表して会見を行った川勝知事の口ぶりと顔つきからは反省しているというよりは、「しょうがないから謝ってやった。」という空気感がありありで、ご本人は「なんでこんなことにならなければいけないのか?」と、すら思っておられるかも知れません。

この失言の根底には、その本人の育成歴に根ざした価値観が影響しており、ご本人なりの正義のつもりだったのでしょう。だからこの発言が「悪」という自覚がないのです。

失言の根底には本人が心の中に秘める無意識に刷り込まれた価値観が大きく影響しています。それは他の政治家でも有名人でも同じであり、メカニズムはほぼ同一です。

失言は防ぎようがありませんが、意識してあまり出ないようにすることはできます。しかし完全になくならないのは、無意識下における価値観に根ざした発言だからです。今回の川勝知事の発言も、そうしたご本人にとっては当たり前と思っている価値観から来た発言であるから、どうやっても口に蓋をすることができないのです。

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