今日は鍋
なんとも言えないことが沢山あってもやもやするんだけど、
歌ってみると悲しみも怒りも湯気になり、どこかに昇っていく。そのまま雲になっちまえ。
急いで家を出て、友達と急いでお茶をする。時間が無さすぎて笑う。時間が無さすぎるのに普通にお茶を飲むのも面白い。普通のご近所さんみたいだね。
髪を切りに行く。思い切って全然可愛くない髪型にした。こういうの、なんて言うのかな、うーん、クレオパトラかな。クレオパトラみたいな髪にした。
でもなんだか似合ってたし、気分転換になった。
いい匂いがするし。
でもやっぱり、考えたくなくても、考えてしまう。
この押さえつけられて生きているような感覚から解き放たれて根無し草になって旅をすればよかったな、私も。旅をする準備に浮き立っているあの子が羨ましいなと思う。ずーっと「都合のいいこ」のまま、ここまで来ちゃったのかなあ。
そして最近もまた周囲の望みどおりの「自粛」をひとつ決めた。けど、だめだ、私が決めたって思って生きないとダメ。でももう少し飲み込むまでに時間がかかりそう。
保育園でお迎えして、そのまま2人を連れて、病院へ。あんとんの花粉症の薬をもらいたくて。
院内は混んでいて、1度でて、家で晩御飯の支度。
ご飯を炊いて、鍋の具を入れ、火をつける。だいたい出来上がるまでの間に、あんとんにはバナナ。ありそんにはおせんべいを補給。病院に戻る前にオムツを変えようとしたら、漏れていた。あわてておしりを洗う。着替えさせる。また上着まで着せて、自転車に乗せて、家を出る。病院で待っている間の0歳児と、2歳児は、もてあましぎみ。重たい。そこに寝そべらないで、触らないで、乗らないでね。そこに立ってたら、通行の邪魔だよ。両腕が重たいし、こしがだるいし、気が気じゃなくて。
そんなときに限って、薬屋では予想外に待たされて。
寂しくないなあと思う。
寂しいなんて思うまがない。、生きてるだけで必死で。生命維持する生物でしかない日々。
不意に、毎日すれ違うおばあちゃんのことを思い出す。
ジャージみたいな上着に、不釣り合いな、赤いキラキラ光る石のイヤリングをつけている。いつもつけている。服には、全然あってないけど。
自分の信じるものを信じていたいよね、ずっと。
悲しい時に何が悲しいかうまく説明出来なくなる状態に、今陥っている気がする。かといって、人前で暗くなったりしないんだけど。
なんとも1人で処理できない気持ちをかかえているんだな。
でも、しかたない。わたしにとっての宝物を、とにかく、大切に生きるしかない。音楽だって、あきらめない。全部私の人生だね。
台所でコトコトやっていると、ありそんが私のふくらはぎでつかまり立ちをして、あはは、歩けないよ。っていって、あんとんがそれをみて、ぼくもやる、って前から掴まってきて、さらに動けなくなって、みんなであははと笑って、そのあと晩御飯を食べる。
今日は鍋。
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