だからケーキを食べる
疲れたなあ、辛く苦しいなあ、と思っても、なかなか、口には出せない。悲しいことばかり話していても、暗くなるばっかりでどうしようもないし。
一方で吐き出したい気持ちもある。大変だ大変だ!ってわめいて泣いて助けてもらいたい甘ったれた気持ち。
でも、それをしたってどうしようもない。吐き出したって、現実は変わらない。やるせなくなってしまうだけってことが、本当に多い。
そんなことになるなら、やっぱりできるだけ重苦しいことは胸の中にしまって、楽しいことを喋っているのが幸せ。
疲れることや、辛く悲しいことが、なんにもないなんて人はこの世に居ない。生きているだけで、どうしたって人間は孤独だし、それによって少し寂しい。その時や人によってはものすごーく寂しくなることだってあるんだろうし、そこに重ね重ね悲しいことが起こるわけだからやりきれない。
でも、だからって1個ずつ向き合ってたら心が朽ち果ててしまう。
だから、あなたと喋って、あったかいものを飲んだり食べたり、くだらない話でにやにや笑って、吹き出して、そういう時間がただ愛おしいんだなあと思う。悲しい気持ちがどっかに飛んで行く。大したことじゃないかも、なんて、気分にもなる。
だから、ケーキを食べる。
時間は後ろ歩きしない。残念ながら。私の脳みそは2ギガぐらい。残念ながら。どんどん過ぎ去っていく時間を贅沢に消費しながら、きっとこの笑い話も忘れてしまうのかなあと思いながら、生きる。
一生のうちの経った数時間。地層なら随分と薄べったい。
薄べったいしあわせを、ミルフィーユみたいに重ねて、sabamiso星の地層は重なってゆくのである。
もりもり。
そこそこ地層を重ねた気がする。
30年。
疲れたなあ、辛く苦しいなあ、という気持ちを持て余して急に泣くことは少なくなった。強くなったね。
それでも飲まれそうになることもあるわけで。
つまりまだまだなわけで。
今は上手に悲しみと付き合あえるおばあちゃんになりたいなあ、と展望している。
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